Uber配達員が見た感染拡大の東京 – 松田健次

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ドキュメンタリー映画「東京自転車節」は、コロナによって訪れた「新しい日常」を、監督自身のウーバーイーツ就労から透かして見せる、今この時代の、進行形の一面を切り取る一作。7月10日からポレポレ東中野で公開になった。11日に劇場で鑑賞。観て良かった。同時代感を味わえた。

どんな映画か、概要を公式サイトから――、

映画「東京自転車節」

< 映画「東京自転車節」公式サイトより >

やむにやまれず飛んできました宿無し銭なし一羽鳥
金波銀波のネオンも消えた花の都は大東京
たどり着いたは流行の自転車配達員
西から東へ行ったり来たり、チャリを漕ぎます運びます
今日も日銭を稼いで生きていく、こんなオレの明日はどっち!?

未来に向かってチャリをこげ!
コロナ禍を生き抜くリアル・ロードドキュメンタリー

2020年3月。山梨県で暮らしていた青柳監督は、コロナ禍で代行運転の仕事が遂になくなってしまう。ちょうど注目されてきた自転車配達員の仕事を知り、家族が止めるのも聞かずに新型コロナウイルス感染者数が増えていた東京に向かう。緊急事態宣言下に入っていた東京で、青柳監督は自転車配達員として働きながら、自らと東京の今を撮影し始めた。働くということとは?“あたらしい日常”を生きることとは?あらわになった“ニュートーキョー”を自転車配達員の視点で疾走する路上労働ドキュメンタリー。

『東京自転車節』公式ホームページ (tokyo-jitensya-bushi.com)

舞台は2020年春、1回目の緊急事態宣言が出た東京だ。思い返せば、あの1回目の緊宣(もはや略すが)は、得体の知れない緊張を街の隅々にもたらしていた。トンネルに入って急に光が闇に変わり目が慣れない、そういう戸惑いに街も人も覆われた。

人の行き来が減って閑散としていった都心。三密とかソーシャルディスタンスとかステイホームという言葉が新鮮で重たかった。どの情報が確かなのかもわからず、日々、ネットに上がる新しい情報にひたすら翻弄されていた。マスクがあっという間に市場から消え使いまわしを余儀なくされた。自分など不織布マスクを洗って、シワを伸ばそうとアイロンをかけたら熱でマスクが溶けたっけ。

空気感染の可能性も否定されておらず、他人に近づきづらい空気があった。今現在出ている4回目の緊急事態宣言とは別物の、あの、ピリピリとした空気だった東京で、青柳監督はステイホームで需要が増したフードデリバリーに身を投じ、自分自身にカメラを向ける。

自分で自分を撮影し、何かを見せるというのはYouTube的だが、YouTuberほど饒舌ではない。

映画「東京自転車節」

金を稼ぐというゴールを設定してロケ撮影を続けるというのは、テレビではおなじみのドキュメントバラエティ的だが、ドキュメントバラエティほど煽りはない。

映像で積み重なるのは日常(=新しい日常)だ。

その日常を映画全編で93分見て、没入できてしまうのは、どうにも青柳拓監督の人間性が大きい。観ればわかるが、前向きながらもヘタレ、サバイバルには不向きのような無垢さがある。前作「ひいくんのあるく町」(2017年)も鑑賞したが、作品にはそういう監督の人間性が投影されていたことを思い出す。

今作「東京自転車節」での青柳監督は撮影当時で27歳だが、たくましい大人の男には遠い。辛坊治郎と濱田岳を合わせて矢部太郎の弱々しさでコーティングしたような風貌だ。その声は細く柔らかく頼りなげで、人のよさが端々に感じられる。

なんだろう、大人版の、緊急事態宣言下での、ウーバー配達員での「はじめてのおつかい」のような・・・。そんな青柳監督のキャラが日常に妙な磁力をもたらし、「東京自転車節」を一本のユニークなドキュメンタリー映画として成立させているように感じた。

スマホとGoProを駆使した自転車走行撮影の躍動感

Getty Images

「だいじょうぶか・・・」と心配の眼差しをつい向けさせるキャラクターだからだろうか、映画を観ていると青柳監督がこぐチャリに「にけつ」の同乗感が沸いてくる。

これはこの映画のアピールポイントにもなっているが、撮影カメラにスマホとGoProを駆使したことで、監督の視線と自転車走行の躍動がダイレクトに伝わってきて、映画を観ているまるで自分も東京のあちこちを自転車で走り回っているような感覚になる。

「新しい日常」の東京を、新宿を拠点とする各地を、ひたすら自転車で走りながら、監督は友人知人他人と出会ったり頼ったり話をしたりするのだけど、それらを包むこの映画の大きな分母は、まごうことなき「労働」だ。

働くってなんだ? 稼ぐってなんだ? という人の営みの根本が映画の土台、走る自転車の地べたになっている。

スマホ普及と格差需要によって世界に広がるウーバーイーツは、好きな時に始めることもやめることもできる割り切った成果主義で、今やこの時代を象徴する労働形態のひとつだ。時代を象徴する労働を題材とした映画は多々あるが――、その源流を辿るとチャップリンの「モダン・タイムス」になるのだろうか。

「モダン・タイムス」は機械化が進むことで人間の労働が機械の歯車のひとつになる姿を風刺したが、「東京自転車節」はそこまで告発的ではなく、もっと私的で内省的だ。

ウーバーイーツという現代を象徴する労働に身を置いて感じた、疲労、達成、孤独、発見、落胆、高揚・・・それぞれの感情を積み重ねながら、とにかく生きるために稼ぎ続ける。

ウーバーで稼ぐとは、イコール「自転車(チャリ)をこぐ」こと。

チャリをこげば金になる、こがなければ何も貰えず0円だ。金が無ければ生きられない。言うなれば「こぐ or DIE」だ。映画では宿泊や食という生活に必須の場で常にこの「こぐ or DIE」のシビアな日常が横たわる。

映画の主題歌「東京自転車節」(作詞・作曲 秋山周)はこの当たり前のことをつまみあげ、盆踊りでおなじみの民謡「炭坑節」(♪月が~出た出た~月が~出た~ヨイヨイ 三池炭鉱の上に出た~)のメロディーを拝借し、ご陽気な音頭調で「♪こげよ~こげこげ チャリを~こげ~ホレホレ」と歌い上げている。

そのメロディーは、戦前戦後の過酷な炭坑労働があった時代を想起させ、その軽い歌声は、スマホのタッチだけで多くのことが進む現代に通じ、昭和と令和、時代と時代をリンクさせる、軽いようで深かったりするユニークな役割を果たしていた。

ウーバーイーツというRPG&位置情報ゲーム

BLOGOS編集部

この「東京自転車節」という映画は、青柳監督の目を通した私的体験なのだが、その積み重ねによって段々とこの「労働」の全体像が伝わってくる。青柳監督はそれを「システム」と呼ぶのだが、客席の視点からこの「システム」をあらためて脳内再生したとき、ウーバーイーツはリアルをプレイフィールドとしたRPG&位置情報ゲームのようにも見えた。

ゲームの設定はシンプルだ・・・、コロナによって壊滅した田舎を旅立った貧者が、都でゴールドを稼ぐためウーバーに参戦。配達員として指定されたアイテムをピックアップし、指定された場所に届け、ゴールドをゲットする。より多くゴールドを稼ぐためには配達用の装備をグレードアップさせること。なお、都は流行り病に冒されていて、人々はアイテムを受け取る際に中々姿を見せない。だが、まれに配達員にメッセージを残したり、話しかけてくる人もいる。このゲームはいつ始めてもいつやめてもいい・・・。

ウーバーイーツは2014年にアメリカで初めて登場し、日本には2016年に上陸。「新しい日常」に欠かせない労働として広く浸透している。2020年に撮影され、2021年に公開された「東京自転車節」は観るとあれこれ考えたくなる同時代の映画である。

それにしても、1日に1万円を稼ぐというのはいかに大変なのか・・・。

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