とんねるずのイジりを笑えた過去 – 宇佐美典也

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元経産省官僚の宇佐美典也さんに「私が○○を××な理由」を、参考になる書籍を紹介しながら綴ってもらう連載。第16回のテーマは、お笑いコンビ・とんねるずについて。TBSのかつての人気番組「うたばん」で石橋貴明氏がモーニング娘。を“イジる”やりとりが好きだったという宇佐美さんは、「今では見られたもんじゃない」内容だったと振り返ります。笑ってしまっていた過去の自分とどう向き合えばいいのか、コラムに綴ってもらいました。

私がそれでもとんねるずにテレビでの復活を期待する理由

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近年テレビで、LGBTの性的指向セクハラ的演出、容姿を笑いのネタにする、ということは全くのご法度になった。政治的にも女性差別やセクハラとみなされる言動をとると容易に失脚するようになり、記憶に新しいところでは「女性のたくさんいる会議は長い」と言った森元首相はオリンピック/パラリンピック競技大会組織委員会の会長の座を追われ、オフレコ取材での女性記者に対する卑猥な発言を録音された財務省の福田淳一事務次官も失脚した。

最近ではすっかりこうした「前時代的な差別発言」を監視し糾弾するメディアとなったテレビであるが、昔からそうだったのかというとそういうわけではない。つい最近まではむしろそうした「差別」を助長するような演出がテレビ番組で平気で行われていたし、視聴者もそれを楽しみ笑っていた。

石橋貴明氏の過激な“いじり”を笑っていた時代

BLOGOS編集部

私が思い出すのは、浪人〜大学時代に1週間で一番の楽しみにしていたTBSの人気番組「うたばん」でのとんねるずの石橋貴明氏(以下出演者の敬称略)とモーニング娘。のやりとりだった。そのため以降は、「とんねるず」といっても石橋への言及が主となる。

この番組では石橋がモーニング娘。の中心メンバーに対して、今の基準で見れば間違いなくセクハラと指摘されるような言動を頻繁にしていたし、一方の非中心メンバーに対して「ブス」や「こっち来んな」と罵り冷遇し、笑いのネタにするというようなことはしょっちゅう行われていた。というよりそれがメインコンテンツであった。

とんねるずがこのようにいわゆる「クラスの中心」から外れたような人を足蹴にして笑いをとるのは当時としては常套手段だったし、テレビはそれを放映し、私もそれを笑っていた。モーニング娘。ファンとしては多少の罪悪感を覚えつつも「こういう『いじり』でも非中心メンバーに注目が集まれば、メリットがあるし、見てる方としても楽しいしwin-winだろう」などと思っていたし、実際当時「ブスいじり」されていた保田圭は後年、石橋を「恩人」と呼んでいる。

私はこういうテレビの過去の演出を肯定するつもりはないし、実際今になって見てみるとそれこそ「見られたもんじゃない」と感じるのも事実だ。ただそれでも「とんねるずを見て笑っていた過去の自分をどう消化すればいいのか?」という思いが私の中で未だ燻っている。そんなわけで今回は「とんねるずの笑いをどう受け止めどう消化するのか?」ということについて、ザ・ドリフターズから霜降り明星に至るまでの日本のお笑い史を概観した「お笑い世代論」(ラリー遠田著)を読み進めながら、考えてみたい。

素人がテレビで大暴れ とんねるずの痛快さ

BLOGOS編集部

最近よく「お笑い第七世代」という言葉が広く口にされるようになったが、同書の紹介するそれぞれの世代の代表的な芸人をその大まかな生まれ年の区間とともに整理すると以下のようになる。

第一世代(1931~1946):いかりや長介、坂上二郎、萩本欽一
第二世代(1947~1960):ビートたけし、明石家さんま
第三世代(1961~1970):とんねるず、ダウンタウン
第四・五世代(1971~1976):ナインティナイン、ロンドンブーツ1号2号、さまぁ〜ず、有吉弘行
第六世代(1977~1988):キングコング、オリエンタルラジオ、オードリー、千鳥
第七世代(1989~):EXIT、霜降り明星

これによると、とんねるずは「お笑い第三世代」にあたり、第二世代までである程度仕上がった“テレビのお笑い”に新しい風を持ち込んだ世代だと説明される。

第一世代や第二世代の芸人が浅草や大阪の伝統芸能の枠組みで花が開かずテレビという場で新たな領域を切り開いていったのに対して、第三世代にあたるとんねるずはそもそも師匠というものを持たないまさに「新世代」であった。彼らは全くの素人のまま「お笑いスター誕生!!」で10週勝ち抜きチャンピオンになって、そのままタレントになってしまった存在である。

とんねるずは、素人がテレビの中で自由に動き回るようになった80年代の「素人ブーム」の中で「夕やけニャンニャン」「ねるとん紅鯨団」における“素人いじり”で台頭した。さらに自身が素人でありながらプロのアイドルやタレントをいじるという、それまでのテレビにはなかった“逆転現象”を演じた。とんねるずが人気になった理由について同書は、一般人とは縁遠い存在だったテレビ・芸能界にあって「痛快」だったのだと評している。

石橋が振り返った“最大公約数”の笑い

とんねるずが本格的にブレイクしたのは「夕やけニャンニャン」を担当のMCを務めた1985年以降のことである。夕やけニャンニャンは「最も面白い素人」のとんねるずが、素人を揃えたアイドルである「おニャン子クラブ」を盛り上げる、というまさに素人がテレビをジャックしたような番組で、彼らに熱狂したのは当時中高生の団塊ジュニア世代前後の世代だった。実際芸能界でとんねるずの信奉者とされるのは、おぎやはぎ、バナナマン、ダイノジ、有吉弘行といった団塊ジュニア世代にあたる芸人が多い。

団塊ジュニア世代はおそらく日本最後の他の世代を大きく凌駕した人口的ボリュームを持った世代であり、彼らの上の団塊の世代からテレビというメディアをジャックする勢いを持った最後の世代であった。とんねるずが最強の素人として世間的には「やっちゃいけない」とされていることをテレビでやることを、未成熟な団塊ジュニア前後の世代の若者が支持し、テレビも商業メディアとしてそれを受け入れたという構図である。

後日石橋はインタビューで以下のように語っている。

「100人全員を笑わせるのは不可能だと思うんですよ。絶対、自分の感性で笑わせたいという気持ちもある。1人でも引っかかって笑ってくれたら嬉しいんですけど、冠番組だと、1%じゃダメなんですよね。最大公約数を取りにいかないと。テレビというメディアは視聴率を取らないと続いていかないので。自分のやりたい方向に何かを足さないと、ある程度の数字は出てこなくなっちゃう」

やや粗いようだがつまるところ当時のとんねるずの番組を支えていたのは「団塊ジュニア前後世代の最大公約数的な価値観」ということになる。ただ実際に世代全体の「最大公約数」が取れるかというと、それは難しく、あくまで「マジョリティが共感できる価値観」にしかなり得ない。必然的にそこから外れたマイノリティの視点というのは軽視されることになり、その結果が冒頭に書いたような今ではテレビから排除されたような芸ということになる。

ある程度成熟していれば自分の見えていなかったマイノリティに配慮することこそが人間的な強さの証であり、社会的に求められる態度だということがわかってくるわけだが、未成熟そのものでスクールカーストの中に生きていた当時の視聴者にはそれができなかった。私自身は1981年生まれのちょうど団塊ジュニア世代とZ世代に挟まれる谷間の世代なわけだが、過去の自分にそれを当て嵌めても言える。

ただ団塊ジュニア世代も40代となり当然成熟したわけで、視野が広がり、責任も伴ってくる中で「ダメなことはやっぱりダメだよね」となった今、とんねるずのテレビにおけるポジションは無くなってしまったのが現在ということなのだろう。

現在の“最大公約数”を見つけられるか

BLOGOS編集部

同世代で未だテレビ第一線で活躍している芸人にダウンタウンがいる。「お笑い世代論」では松本人志について、大喜利や漫談や一発芸といった芸としての“お笑い”を「IPPON」「M-1」「すべらない話」「ドキュメンタル」という形で“競技”として再発明し、プロの芸人を「芸をする人」から「人を笑わせる人」に再定義してみせたと紹介する。松本が面白いと思うかどうかが面白さの基準となる時代になったのだという。

一方でとんねるずについては、「素人芸」から離れれば魅力が失われることを自覚し、地位が上がっても頑なに芸風を変えず、用意された企画や台本に縛られず強烈なアドリブを繰り出し続けていると評する。

石橋は「(テレビと比較して)素人のメディア」であるYouTubeで、テレビでできなくなったこと(例えば、いやがる芸人を無理やり美容院に連れて行ってパーマをかけさせてしまうというようなこと)をまだやっているのだが、それは私には成熟しきれなかった大人が未だ過去の栄光を捨てきれずやんちゃをしているようで見苦しく感じてしまう。そして石橋のそういう姿が彼の番組を楽しんで笑った自分をも惨めに感じさせてしまう。

冒頭に言った通り私は「彼らと一緒になって偏見をネタにして笑ってきた私たちは自分たちの過去とどう向き合えばいいのか?」というその答えが欲しいのである。そのためには今一度とんねるずは彼らを視聴者として支えたかつての若者が、どのように価値観を変遷させたのか、そして今の彼らの最大公約数はどこにあるのか、ということに向き合って欲しいのである。

そして答えを見つけた、いや、答えを探そうとする、とんねるずをもう一度テレビで見て笑いたいのである。

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