凱旋門賞 世界一に挑む日本競馬 – 村林建志郎

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Getty Images(写真は2019年)

生涯成績14戦12勝で引退した日本近代競馬の結晶ディープインパクトや、ラストランの有馬記念で8馬身差の圧勝を遂げるなどの輝きを残した栗毛の怪物オルフェーヴルでさえ勝てなかったレースがある。

10月3日(日本時間:23時05分頃)にフランスのパリロンシャン競馬場で開催される世界最高峰のGⅠ・凱旋門賞だ。

3歳以上の馬たちによる2400mのレースで、今年で記念すべき第100回を迎える。世界各国からその国を代表する馬たちが集まるのだが、実は日本代表として出走した馬がこのレースで勝利したことは、まだ一度もない。「凱旋門賞のゴール板を日本の馬が先頭で駆け抜ける」ということは、日本のすべてのホースマンの夢なのだ。

三冠馬でもわずかに届かなかった世界一の称号

凱旋門賞における日本の馬の戦いの歴史は、今から半世紀以上も前にさかのぼる。1969年のスピードシンボリから昨年のディアドラまで、これまで総勢25頭の馬たちが計27戦出走してきた。(※参照:https://world.jra-van.jp/race/arc/2021/history/

その25頭の中には、当時の日本ではもはや敵なしといっても過言ではなかった伝説のレジェンドホースもいる。

2006年に出走したディープインパクトは、前年に史上2頭目となる無敗での三冠を達成しており、この年の宝塚記念を制してGⅠ5勝目を獲得。満を持しての凱旋門賞出走だった。誰もが「日本のディープインパクト」から「世界のDeep Impact」になる瞬間を期待した。

Getty Images

レースはディープが集団の2番手から3番手に位置する展開となったのだが、これは日本ではあまり見られないディープのレース展開だった。ディープはスタートが得意ではないため、ゲートが開いた直後から馬群の後方に位置することが多かったのだ。

武豊が手綱を持ったまま最後の直線に突入し、ディープは世界最強へのビクトリーロードを駆け抜ける――はずだった。だが、日本で見られるような、武豊が言うところの「飛ぶ」ディープの姿がそこにはなかった。一度は先頭に立ったものの、終始ディープをマークするような形で走っていたレイルリンクに、そしてゴール直前にはもう一頭の馬にかわされ3着入線となったのだ。(※その後行われた馬体検査で、ディープの体内から使用禁止薬物が見つかったことから失格扱いとなっている)

あと僅かのところで悲願を叶えられなかった馬は、ディープだけではない。2012年2013年に二年連続で出走したオルフェーヴルもまた、日本の競馬ファンが戴冠を夢見た馬の1頭だ。

2011年に牡馬ではディープ以来となる三冠を達成したこの馬は、2012年にディープと同様宝塚記念を制してから凱旋門賞に出走した。また、オルフェを管理していた池江泰寿調教師は、ディープを管理していた池江泰郎調教師の息子ということもあり、父親の悲願に息子が挑むというドラマも見どころの一つとしてあった。

ちなみに、オルフェはデビュー以来すべてのレースで池添謙一が騎乗してきたのだが、このフランス遠征だけは、池添ではなくクリストフ・スミヨンというベルギー出身のスーパージョッキーが騎乗することになり、池添に騎乗してほしかった私としては、スミヨンの腕の凄さを知るがゆえにあまりに複雑な気持ちになったことを覚えている。デビュー以来すべてのレースをともにしてきた騎手と馬が織りなすドラマよりもあくまで勝利に対してシビアになるという姿勢が、分かる気もしたし分かりたくないような気もしたのだ。

レースは好スタートを決めたオルフェが後方に位置する展開。最後の直線に突入するまでスミヨンが気性の荒いオルフェを落ち着かせながら、迎えたその時。日本では日曜の夜に地上波で生中継されていたのだが、実況のアナウンサーがこう叫んだのである。

「外から栗毛の馬体が来たぞ~!!ニッポンのオルフェーヴルだ~!!!」

正直、この瞬間を思い出すだけで私は泣ける。今も書いていてちょっと泣いている。だが、ゴール直前でソレミアにかわされ2着となり、日本の悲願がついに叶うことはなかった。2013年も2着となり、オルフェは帰国後の有馬記念で引退を迎えたのである。

共同通信社(左がオルフェーヴル、右がソレミア)

とはいえ、2年連続凱旋門賞2着という戦績は、日本からの長距離移動や馬場の違いなどを考慮するととんでもない大偉業であるということを、強く伝えておきたい。

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