執筆者のリリアン・ラジ氏は、ラグジュアリーブランドアドバイザーであり、コミュニケーションの専門家である。
ラグジュアリーブランドは、eコマースへの参入がもっとも遅かった。その根拠にあった理由は、ラグジュアリーとはまさに経験であるというものだ。顧客は何か深い意味のあるものを見つけるためにカルティエ(Cartier)のブティックを訪れるが、それと同じような親密さをオンラインに創造する方法を調整することができなかったのだ。特にここで私がカルティエに言及したのは、同ブランドは2010年にはすでに米国でeコマースを採用していたからである。このブランドに夢中な者として、パリのヴァンドーム広場のブティックを初めて訪れたときの感動的な体験は、初めてブランドのウェブサイトに行って何時間もかけてウィッシュリストを作った経験とは、まったく違うものだったと断言できる。
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ウェブサイトでは、バロンブルー(Ballon Bleu)を腕につけたらどんな感じなのかを想像したり、パンテールドゥカルティエ(Panthere de Cartier)のネックレスが自分のデコルテを美しく飾る姿を想像したりすることはできたが、店舗にいるときには、そんな空想や願望は必要なかった。優秀な販売員は誰もがそう言うだろうが、一番簡単に商品が売れるのは、顧客がそのアイテムを身につけたときだ。私自身も、販売員の勧めで気に入ったものを即座に購入した。
では、デジタル時代になったいま、この種の体験はどのように実現するのだろうか。ラグジュアリーブランドは、どうやって富裕層のロイヤルティを高めているのか。
eコマースに対して、かつては反抗的だったラグジュアリーブランドだが、その価値を無視し続けることはできず、現在ではeコマースを受け入れ、さらに感情(Emotion)と体験(Experience)というふたつのEの助けを借りて、それを行っている。
対面での体験とオンラインの限界の両立
ラグジュアリーを追求することは、情熱的な努力である。顧客がタイメックス(Timex)とパテックフィリップ(Patek Phillipe)を比較するとき、すべての論理的な感覚より優位に立つのが感情だ。どちらも時間を知らせてくれるものだが、パテックはまた、とても親密でパーソナルな何かを顧客に感じさせる。感情がこうした追求にどう影響するのかを理解しているブランドは、自社サイトのデザインでストーリーテリングを優先している。
ルイ・ヴィトン(Louis Vuitton)のウェブサイトを訪れると、興奮やロマンス、そしてもちろん欲望といった感情がかき立てられる。このブランドは、サイトを訪問するたびに新しいストーリーを伝える動画を頻繁に更新することでこれを実現している。ラグジュアリーはその排他性によって常に定義されているが、ルイ・ヴィトンのサイトでは、インクルーシビティという感覚を推進している。もちろん、それは購入した場合にのみに可能となるのだが。その動画は、ルイ・ヴィトンのアイテムを所有することは魅力あふれるプレステージな世界に足を踏み入れることだと思わせるよう促している。購入すれば、この排他的な世界にアクセスできるのだ。そのアクセスに価値を見出す人々にとって、支払った金は入場料に十分見合う価値がある。
さらにサイト内を進むと、ビジュアルと文章の両方で詳細なストーリーを掲載した製品ページがあり、そこではあらゆる点について綿密な情報が提供され、その製品が自分の希望にかなうものなのかを顧客が簡単に判断することができる。もしそうでない場合でも、サイトのユーザー体験が非常に魅力的であるため、顧客は適切なアイテムが見つかるまでつい検索を続けてしまう。
しかしオンラインでの購入は、ある一定の価格帯以下のアイテムに限られている。 ある価格以上になると、ほとんどのラグジュアリーブランドは個人的なやりとりを要求するだろう。そうすることで、ラグジュアリーブランドは対面での体験とオンラインの限界を両立させている。
ユニークな体験だけが富裕層の顧客を魅了する
富裕層(HNWI)に関しては、オンラインがIRL(現実世界)で提供される体験に勝ることは決してない。2万5000ドル(約339万円)のネックレスやハンドバッグを購入するには、電話をかけるかブティックを訪れるかして、誰かと話をしなくてはならないだろう。これによってオンライン体験がオフラインになり、ウェブサイトだけでは実現できない親密さを生み出している。
顧客が最初の購入を一度行ったら、次の課題はリピーターになってもらうことだ。そのためには、パーソナライズされたニュースレターキャンペーンがカギとなる。また、初回の販売時に顧客から重要な日付をうまく聞き出した販売担当者が、時折電話をかけてくることもある。 記念日や大切な人の誕生日など、顧客が特別なものを必要としていることを販売担当者が知っていれば、次の販売も簡単に行うことができる。
では、ラグジュアリーブランドに何十万ドルも費やす顧客の領域に入ってみよう。ここでブランドは自問自答する。あらゆるものを所有していて、何でも買える人には何を与えればよいのか?
そうした顧客に与えるものは、金では買えないものだ。体験、招待、アクセス——つまり一部のエリートしか体験できないような類のイベントへのアクセスである。
現在はブヘラ(Bucherer)となっている会社で販売員をしていたとき、私はある顧客の時計コレクションをキュレーションする機会に恵まれたことがある。最初はモバード(Movado)がほしいということだったが、私はそんな彼に真の高級時計収集を紹介した。タグ・ホイヤー(Tag Heuer)やブライトリング(Breitling)といったクラシックな時計から始めて、私が会社を辞める前にはジャガー・ルクルト(Jaeger LeCoultre)、ブランパン(Blancpain)、ブレゲ(Breguet)に関心を持ってもらった。1年後に彼と話した際、彼はブライトリングの時計に魅了されたと言っていた。実際、非常にたくさん購入していたので、ブライトリングが彼をスイスの工場見学に招待してくれたのだという。
このようにラグジュアリーブランドは、デジタル時代の富裕層に対応している。 お金が目的ではない場合、ユニークな体験だけが顧客を引きつけることができるということを、ラグジュアリーブランドは理解しているのだ。
NFTやeコマースが重要なチャネルに
デジタルが戦略全体の中でより重要な部分になるにつれて、一部のラグジュアリーブランドは、NFTを採用するようになっている。特定の時計を認証するためにNFTを鋳造することで、テクノロジーに関するジレンマを解消しようという企業もいくつか現れた。NFTの分野に参入することで、ラグジュアリーブランドは常に進化している富裕層の趣味との関連性を保っている。
イタリアの時計メーカー、パネライ(Panerai)は最近、限定モデルのラジオミール・アイリーン・エクスペリエンスエディション(Radiomir Eileen Experience Edition)を購入した50人の顧客を、時計と同じ名前のヨットでのアマルフィ海岸の航海に招待した。その際に同社は、アーティストのスカイゴルペ氏ーー現在までにNFTで520万ドル(約7億489万円)を売り上げているーーによるNFTアートワークとデジタルウォレットもプレゼントした。このウォレットは、パネライが顧客との感情的な結びつきを作り続けるためのもうひとつの手段となる。
パネライのチーフエグゼクティブであるジャン=マルク・ポントルエ氏は、フィナンシャル・タイムズ(Financial Times)のケイト・ユード氏とのインタビューで次のように述べている。「私たちは顧客に付加価値をもたらすためにこのNFTを追加し、体験が始まる前、体験中、体験後に顧客とつながるようにしたいと考えた。このNFTは、私たちのブランドを愛してくれる人々をつなぐ現代のプラットフォームなのだ」。
NFTのような新たな技術がラグジュアリーの顧客のライフスタイルの一部となる機会をさらに作り出しているが、デジタル時代になってeコマースは、富裕層がラグジュアリーを情熱的に追求する上での重要なチャネルになっている。
[原文:Opinion: How to attract high-net-worth customers in the digital age]
LILIAN RAJI(翻訳:Maya Kishida 編集:山岸祐加子)