「 サヴォワールフェール 」という不変の価値: ファッションジャーナリスト渡辺三津子氏が語る「ラグジュアリーブランドの新戦略」その2

DIGIDAY

前回、「実店舗の重要性」のテーマで語ったパリのディオール本店「30 モンテーニュ」には、店舗だけではない注目すべき施設「ラ ギャラリー ディオール」が、ブティックのリニューアルオープンと共に誕生した。このギャラリーを見て渡辺三津子氏が感じた、ラグジュアリーブランドの奥義とは?

ラグジュアリーブランドのヴァーチャル体験への取り組みも多いなか、リアルでの顧客体験の多様化も進化しています。今回、ラグジュアリーブランドの「ブランド価値」提供の新しい試みについて、ファッションジャーナリストで、元VOGUE JAPAN編集長(2008年〜2021年)渡辺三津子氏が短期連載にて紐解いていきます。

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「過去」から「未来」を作るラグジュアリーブランドのノウハウとは?

前回、「実店舗の重要性」のテーマで語ったパリのディオール本店「30 モンテーニュ」には、店舗だけではない注目すべき施設「ラ ギャラリー ディオール」が、ブティックのリニューアルオープンと共に誕生した。メゾン ディオールの歴史(2022年で75年)を回顧する展示スペースだが、「展示スペース」という言葉が軽く感じるほどの質と内容を誇る「ミュージアム(美術館)」と呼びたくなる規模の施設となっている。
 
「予約をしないと長く並ぶことになるかも」と聞いていたので、私は数日前にウェブ予約を済ませ、当日ブティックを巡ったのちに予約時間の5分前に「ラ ギャラリー ディオール」のエントランスに向かった。モンテーニュ通りの本店入り口の角からフランソワ・プルミエ通りへ歩いて数秒。すでに2、30人の人々が列を作っていた。以前はオフィスの入り口として展示会などで何度も訪れていた馴染みのある場所だったが、中に入ってみてその変貌ぶりに驚かされた。

ライティングされた白の螺旋階段と、ガラスに覆われ、最新技術を駆使したオブジェが、過去と未来を繋ぐドラマティックなディスプレイ。舞台装飾を手がけるナタリー・クリニエールがギャラリーの空間演出を手掛けた。

まず目の前に立ち上がる白い螺旋階段の壁一面には赤、青、ピンク、グリーン、イエロー……と虹色のグラデーションになったミニチュアのドレスやバッグ、靴などがディスプレイされた“ディオラマ”(ディオールのアーカイヴから制作されたジオラマ)が展示され、「夢の世界」へ一瞬で誘い込まれる圧巻の演出になっている。ちなみにその数は、ドレスが452点、3Dプリントで製作された小物が1422点で、3Dプリント製作には約10万時間が費やされたという。ブティックと同じく、この螺旋階段が最高の撮影ポイントとなって、入場するなりすぐ写真を撮る人も多かったが、最初にエレベータで登り、上の階から展示を見た最後にこの階段を降りてくる流れになっている。

「舞踏会の魔法」を表現した部屋。オートクチュールの華麗さと最高峰の技を誇るボールガウンの壮観の競演。背景が夜空から雲、フレスコ画へと壮麗に変化する。
 
「観覧には1時間あれば十分だろう」と思っていたが、実際には予想を遥かに超える展示規模(店舗と同じ2000㎡)で、13のテーマに分かれた部屋を一通り巡るだけで1時間は簡単に過ぎ、じっくり見るためにはもっと余裕が必要となる。クリスチャン・ディオールの個人的なヒストリーと記念碑的作品(1947年の初のショーで“ニュールック”として世界を席巻した「バー」スーツが最初に出迎えてくれる)から始まり、イヴ・サンローラン、マルク・ボアン、ジャンフランコ・フェレ、ジョン・ガリアーノ、ラフ・シモンズ、そして現在のマリア・グラツィア・キウリまで6人の後継者のオートクチュールの服がテーマごとに展示される。それだけでなく、創設当時のアトリエやムッシュ ディオールの仕事場が再現され、ギャラリー巡りの終盤にはアトリエの職人が実際に仕事をしていて、観覧者の質問にも答えていた。クチュリエたちの美しい「作品」の圧倒的な見応えと共に、ギャラリーの展示から私が強く感じたのは、職人たちの卓抜した技があってこそ「メゾン ディオール」であると改めて主張するかのようなブランドの確固たる姿勢であった。ブランドはそれを「サヴォワールフェール」と呼び、自らのDNAの大切な核と定めている。

クリスチャン・ディオールの生涯を展示した最初の部屋では、メゾンの成功を決定づけた「バー」スーツやディオール本人のスケッチ、プライベートな写真を見ることができる。

サヴォワールフェールの価値向上

「サヴォワールフェール(Savoir-Foire)」を英語にすると「ノウハウ」ということになり、能力や技量を意味するのだが、それだけでなく、感性や感覚も含めた幅広いニュアンスを持ち、長い時間のなかでこそ培われ、受け継がれる「職人技」「匠の技」を表す言葉と言うことができる。デザイナーの「個の才能」だけでは成り立たないラグジュアリーブランドの奥義がここにある。昔からサヴォワールフェールを押し出すブランド戦略は一般的に見られたものの、最近の傾向としては、それを喧伝するだけではなく、より広く一般の人々に触れて感じてもらえる施設や機会を提供する動きが顕著になってきた。パンデミック前からの計画も多いだろうが、ポストコロナに向けて一斉に動きが活発化した感がある。

シャネル、LVMH、エルメスのサヴォワールフェール戦略

ラグジュアリーブランド・ビジネスを長年リードしてきたシャネルは、2022年1月に「le 19M」という施設をパリの19区にオープンした。2万5000㎡を超える広大な敷地には、刺しゅうや羽根細工などオートクチュールを支えるシャネル所有の11のアトリエが配置され、多くの職人たちが実際にそこで仕事をしている。ギャラリースペースやカフェも併設され、幅広く訪問者が職人技に触れ、体験し、楽しめる施設として人気を呼んでいる。もちろん施設建設の意図には、職人たちの仕事の環境を整え、次世代を育成する目的がある。
 
また、今年10月には、LVMH(モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)が、世界15カ国でグループに属する57のメゾン(フェンディやロロ・ピアーナからビューティブランドまで)が参加し、世界15カ国で、店舗や本社、製造施設に一般の来場者を招き「ものづくり」の裏側や伝統ある職人技を公開するイベント「レ・ジュネ・パティキュリエール」を開催した。今回で5回目を数え、前回の2018年以来、パンデミック期間を挟んだ再開となった。前回は総計18万人が来場したというが、今回はその規模を超える開催になったと推定される。
 
オートクチュールとは別の背景を持つラグジュアリーブランド、エルメスは、サヴォワールフェールの継承と向上のため、2021年9月に研修機関「エコール・エルメス・デ・サヴォワールフェール」を開設した。修了者には国家資格の皮革製品職業適正証が授与され、エルメスグループの皮革製品拠点の一つに就職できる。
 
「サヴォワールフェール」に触れ、体験し、その精神と背景を知ることは、ラグジュアリーブランドの消費者にとっては、製品を購入する際の納得に繋がるもっとも強いモチベーションになると言えよう。それは、途絶えてしまえば再生させることが困難な唯一無二の価値なのだ。「守り」「育て」「繋げる」そのストラテジーは、さらに強く実行に移され、今後もさまざまな展開を見せることだろう。
 
Written by Mitsuko Watanabe
Images from Dior ©Kristen Pelou


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