アニメ雑誌「ニュータイプ」と「ファイブスター物語」誕生の経緯をKADOKAWA・井上伸一郎氏が語ったマチ★アソビ講演まとめレポート

GIGAZINE
2022年12月13日 08時00分
取材



月刊ニュータイプの創刊や永野護さんによる漫画「ファイブスター物語」の連載に携わったKADOKAWAの井上伸一郎さんによる講演「月刊Newtypeと私のFSS」が、「マチ★アソビ vol.25」のデジタル人材発掘セミナーとして開催されました。この日、井上さんは永野さんから「何を言ってもOK」と承諾を得て来ていたということで、かなり貴重な話がいくつも飛び出したので、その内容を、ほぼ余すところなくまとめました。

マチ★アソビ
https://www.machiasobi.com/

講師を務めた株式会社KADOKAWA上級顧問・エグゼクティブフェローの井上伸一郎さん。


聞き手はNPO法人アニメ特撮アーカイブ機構(ATAC)監事で弁護士の桶田大介さんが務めました。


桶田大介さん(以下、桶田):
本日はたくさんの方にお越しいただきましてありがとうございます。せっかくなので、なるべく多めに質疑応答の時間を取りたいと井上さんがお考えなので、1時間ちょっとぐらいお話をして、少しゆったりと質疑応答の時間が取れればと思っております。質疑応答はこういう場ですので、お答えできることとできないことがあることをご承知いただければと思います。前置きが長くなりました、おそらく皆様であれば自己紹介はほとんど不要だとは思いますけれども、井上さん、自己紹介からよろしいでしょうか。

井上伸一郎さん(以下、井上):
はい、井上と申します。現在はKADOKAWAという会社で、上級顧問と書いてあるように顧問職をしております。割と自由な立場ということでいろいろな仕事をし始めているというところです。元々は経営者ではなく、いち雑誌編集者からキャリアをスタートして、「ニュータイプ」が始まる前の雑誌もやっていましたし、女性雑誌やマンガ雑誌をやったり、小説などの文芸もやったり、幸いなことに編集者として担当できることは大抵やることができました。あとはアニメを作ったり、実写映画を作ったりですね。これも、普通だとアニメをやる人はアニメだけしか担当しないことが多いのですが、幸いにして実写映画とか配信ドラマとか、いろいろな企画をやることができてめまぐるしい人生で……まだ終わっていないんですが(笑)、今日はその中でフォーカスしたいのは、「ニュータイプ」というアニメ雑誌と、そこに連載されている「ファイブスター物語(FSS)」という作品です。「セミナー」と書いてあってちょっとびっくりしましたけれど、普通のトークショーのつもりで気軽に話をしようと思っていて、ためにはならないかもしれませんが、楽しんでいただければと思います。よろしくお願いします。

(会場拍手)

桶田:
ありがとうございます。今ご紹介いただきましたように、今日の主題は「月刊Newtypeと私のFSS」ということです。ufotableの近藤さんにお会いしたときに「桶田さん、司会やってね」と無茶振りがありまして。

井上:
私も今回、マチ★アソビが本当に久しぶりに開催されるということで来ることにしたら、あれよあれよとトークショーがセッティングされてびっくりしました(笑)

桶田:
ニュータイプとFSSは、ここにいらっしゃる方であればこれもそれぞれ紹介不要だと思いますけれど、最初に簡単にどういうものかという説明をお願いしてもいいですか。

井上:
ニュータイプはKADOKAWAで出しているアニメ雑誌です。最初は「アニメ雑誌プラスアルファ」で「Moving Pictures Magazine」と今も書いてあると思うんですが、要するに動く絵、感動する絵をみんなに紹介することが趣旨の雑誌でした。初期のころは普通の映画や特撮作品も結構載っていましたが、今はだいぶアニメにフォーカスされていますね。この「Moving Pictures Magazine」というのは和製英語のつもりで「感動させるマガジンみたいなものをやるよ」ということで作ったんですけれど、「英語のスラングでポルノ映画のことですよ」とあとで言われて。

(会場笑)

井上:
もう出した後だからしょうがないと開き直ってやっています。

桶田:
FSSについては後ほど出てきますので、順番にやっていきましょうか。まずは創刊前後ということで、画像の方を出していきます。


井上:
ニュータイプは1985年に創刊されたんですが、私は1980年から編集者のキャリアをスタートしています。学生アルバイトとして一番最初に作ったのはアニメックの「赤毛のアン特集」というやつですね。

アニメック 昭和55年8月号 1980年 第12号     赤毛のアン/イデオン/ガンダム研究PART2 | ラポート株式会社 |本 | 通販 | Amazon


井上:
なぜアニメックで学生アルバイトの私が富野監督のインタビューができたりしたかというと、アニメックは機動戦士ガンダムの特集が大評判で、編集長だった小牧雅伸さんという方がガンダムを制作していたサンライズのブレーンみたいになって、当時のガンダム記録全集を作ったり、映画宣伝の手伝いをしたりして、編集作業にあまり携わらなくなっていたんです。だから、ずぶの素人がいきなり監督の特集をやるという、本当に同人誌のような世界でした。

生まれて初めて「セル撮」、セルの撮影という体験もしました。今のアニメの撮影は全部デジタルですけれど、当時は背景画とキャラクターを組み合わせて撮影していましたので、カメラマンの方と2人でアニメスタジオに行って、撮影台を使わせてもらったりして。それでできたのがこの雑誌です。

アニメックはわりと好き勝手やっていましたが、もっとも好き勝手やった特集が第17号です。まさに小牧さんがガンダムの映画の宣伝に行ったままだったので何をやってもいいだろうと、「ロリータ特集」をやりました。「“ろ”はロリータの“ろ”」なんてことが書いてありますね。自分の趣味全開でやらせていただきました。私はナボコフの愛読者だったので、「正しいロリコンとはこういうものだ」ということを啓蒙したいという思いが強くて、バカみたいなことをやりましたね。

アニメック 昭和56年4月号 1981年 第17号     機動戦士ガンダム映画化最新情報/”ろ”はロリータの”ろ”/ミラーマン/スターシマック/吾妻ひでお  | 小牧雅伸 |本 | 通販 | Amazon


井上:
そうこうしているうちに1984年になりますと、「重戦機エルガイム」がテレビで始まりました。このころの富野由悠季さんは機動戦士ガンダムの映画があって「戦闘メカ ザブングル」「聖戦士ダンバイン」、そして「重戦機エルガイム」と、毎年のようにオリジナル作品で全部世界観が違い、さらにこの間には小説も書いているという、ものすごい仕事量でした。「エルガイム」でびっくりしたのは、永野護という人をメカデザイナーに選んだことですね。これは、まず前段の話をしなければいけないですね。

私と永野護さんの出会いは、私がアニメックの編集をやっているときで、先ほどから出ている機動戦士ガンダムの映画のときでした。小牧さんが宣伝のブレーンをしていて、宣伝プロデューサーは野辺忠彦さんという天才でした。この野辺さんが「『アニメ新世紀宣言』をやろう」と言って、小牧さんが実行部隊の長としていろいろな学生を集めたりしました。「新世紀宣言」というのがどういうことかというと、当時はアニメファンやSFファンというものは虐げられていて、世間から存在を認められていなかったわけです。「アニメは子どもが見るものだ」という風潮が強くて「大学生にもなってアニメを見ているのか」と言われるような時代でした。でも、野辺さんや小牧さんは「アニメはもう立派な若者の文化なんだ」ということをちゃんと世間に知らしめたいというのがありました。そういう意味で、まずは宣言をしないと世の中は認識しないから、そういう場を作ろうと。これが1981年の2月21日です。新宿アルタ前に集まってオープンな場で「アニメ新世紀宣言」をするイベントをやったんです。

企画時は数千人ぐらいしか集まらないだろうと計算していたんですが、実際には数万人が集まったようで、伊勢丹の方にまで人があふれてステージが見えないぐらいで、警察が動員されて規制が行われるぐらいの騒ぎになりました。その壇上でシャアとララァのコスプレをした人が宣言をしたんです。当時、まだコスプレイヤーは今ほどメジャーではなくて、コスプレをする人は少なかったんです。そこで白羽の矢が立ったのがこのシャアとララァの人で、後の永野護さんと川村万梨阿さんです。

桶田:
黒歴史だったんですか?

井上:
もう還暦も過ぎて、カミングアウトしていいよということになりました。一応、今日は永野さんからは「何をしゃべってもOK」と言われているので、みなさんぜひ質問を考えておいてください。そのイベントの時にアニメックの編集としてあいさつしたのが、永野護さんとの出会いでした。

初対面の永野さんは「ギターをやってるお兄ちゃん」という印象。ロックミュージシャンみたいな格好でした。実際に立川にある米軍基地で弾いていたりして、結構本気で音楽をしているロックミュージシャンでもあったんですけれど。ある日突然、サンライズに入社してメカデザイナーになるということで驚きました。エルガイムより前に、私がサンライズの第3スタジオに行ったとき、「銀河漂流バイファム」のパペット・ファイター(宇宙戦闘機)を目の前で描いていたのを覚えています。あと、「巨神ゴーグ」にも少し関わっていました。ある日、富野由悠季がド新人の永野護を抜擢する、それもメカだけじゃなくて小物まで全部デザインするということで驚いたんですが、その数週間後には「キャラクターもやるの?」みたいな感じになって、とにかくエルガイムという作品の世界観とビジュアル面はほぼほぼ永野護さんが作っていったということなんです。

桶田:
永野さんのサンライズ入社は1983年4月で、エルガイムの放送が翌年2月だったと。その余談というか確認のような話なんですけれど、永野さんは当時「まんが画廊」に出入りしていたという話ですが、井上さんはどうだったのでしょうか?

井上:
1回くらいは行った記憶があるんですけれど、常連ではなかったですね。「まんが画廊」というのは江古田にあって、いわゆるマンガファンとかアニメファンのたまり場みたいになっていた喫茶店です。のちに漫画家になるしげの秀一さんとか、ゆうきまさみさんとか、ライターのとまとあきさんとか、すごい人たちを輩出した場所でした。

桶田:
ありがとうございます。それでエルガイムからアニメックの特集へとつながっていくんですね。

井上:
これは永野さんが初めてアニメックの表紙を描いてくれた号です。皆さん、これを見ればなんとなくわかるんじゃないかと思うんですけれど、すでにエルガイムではなくFSSっぽくなっています(笑)。途中で「ファティマ」という設定が考えられましたが、正式にはエルガイムの中にファティマはいないんです。エルガイムの設定を作っているうちに、永野護さんの中でオリジナルストーリーが芽生えてきて「こっちを描きたい」という風になっていって、ヘビーメタルというロボットの頭の中に女の人の形をした有機体コンピューター・ファティマがいるという設定をこのときすでに考えていたんですが、さすがにエルガイムの中に出すわけにはいかず、それは自分のストーリーでやることにしようとなったのです。が、アニメの最終回でちょっとオージェの頭のあたりでファティマっぽいものが動いて、永野さんは当時怒っていました。

桶田:
怒っていたというのは、それは出るはずがなかったということですか?

井上:
アニメーターの人がちょっと描いちゃったんですね。影だったんですけれど。本当は自分が描くつもりだったのに、イメージが先に出てしまったと。その後、そのアニメーターの方と関係が悪くなったというのはないですよ。

1983年、エルガイムの放送中にムックの1冊目、「ザテレビジョン別冊 重戦機エルガイム」が出ました。エルガイムは「ペンタゴナワールド」という世界で展開されるんですけれど、すでにちょっと逸脱する動きが表紙からも感じ取れますね。ロボット自体はエルガイムです。富野由悠季、永野護、川村万梨阿の3人とKADOKAWAのつながりができたという記念すべきムックです。

重戦機エルガイム(1) ザ・テレビジョン・アニメシリーズ | 角川書店 |本 | 通販 | Amazon


井上:
当時、週刊ザテレビジョンにアニメのページがあって、ダンバインのころからカラーの2ページで富野由悠季監督作品を扱っていたんです。私は編集部の方と知り合いになりまして、そこで何か書いてくれといわれて巻頭特集をお手伝いしたり、アニメの記事を書いたりしていました。そんなこともあって、ムックの1冊目は直接編集はしていないんですが、いろいろと出入りをしていたころです。このころはまだ「ニュータイプ」を作ることも決まっていなかったわけです。

桶田:
「ニュータイプ」の話が出たのが、いろいろなものの本によると1984年の11月ぐらいで、角川春樹さんが言ったと。

井上:
はい。当時、角川春樹さんが角川書店の社長で、株式会社ザテレビジョンはその子会社だったんです。1984年3月に「カムイの剣」というりんたろう監督のアニメ映画が公開されるということで「その宣伝をするためにはアニメ雑誌が必要だ、よし、作れ!」と。「今から?もう11月だぞ」(笑)

(会場笑)

井上:
皆さんご存じかと思うんですけれど、雑誌ってそんなに簡単にはできないんです。すでにある雑誌はどんどん作り続けられるんですけれど、創刊ですからね。雑誌は勝手に作るのではなく、取次会社に「こういうのを作ります」と申請、認められないと勝手に流通はできないんです。そういう作業も5カ月でやらなければいけないと。実際には1月ぐらいに0号ができていないと間に合わないので、準備期間は2カ月もないわけです。それで、そもそも「誌名をどうしよう」という話になるわけですが、ここで「ニュータイプという名前はどうだ」と、今いろいろと問題の……そうだ、おわびを最初にしなければいけないと来るときまでは覚えていたんですけれど。世間をお騒がせしまして大変申し訳ありません。そのお騒がせをして収監中である角川歴彦さんが、この誌名はどうかと。それで、まずは富野由悠季さんに許諾を取らなければいけないだろうということで実際に行ったわけです。

桶田:
歴彦さんが?

井上:
歴彦さんと雑誌営業の浅野さんという方が2人で行っているはずなんです。私はそのときいなかったのでわからないんですが。富野監督に「ニュータイプという雑誌を作りたい」と言ったら、喜ぶかと思いきや激怒されたと。

(会場笑)

井上:
「そんな名前の雑誌を作るなんてとんでもない、売れるわけがない」とめちゃめちゃ怒ったと。富野さんらしいですよね。ところがその直後、エルガイムのスタジオに帰ってきた富野さんについての証言がありまして。永野護さんが富野さんを見ていたんですが、怒っているどころか、もうニコニコ顔で帰ってきたって。

(会場笑)

井上:
そんなわけで、無事に「ニュータイプ」というタイトルが採用されました。ムックが売れたおかげで「ニュータイプ」ができたという説もあります。そのムックの第2弾がまさにエポックで、この中にFSSの原型となるイラストストーリーが永野護によって10枚ぐらい描き下ろされているんです。

重戦機エルガイム(2) (ザ・テレビジョン・アニメシリーズ) | 永野 護, 角川書店 |本 | 通販 | Amazon


ほぼほぼFSSっぽい話ですが、まだペンタゴナ・ワールドの中として描かれているので正式にはFSSではないんです。永野さんの頭の中ではだいぶできてきたというところです。ファティマの設定もここで明かされていますし、エルガイムMk-Ⅱにはブラッドテンプルと書かれていますね。

桶田:
のちのレッドミラージュですね。

井上:
どんどん脳内で暴走している感じがうかがえます(笑)。このアマテラスのA.K.D.のマーク、知ってますよね皆さん。実はこれ、阪神タイガースのマークから発想されたものなんです。Tを縦に伸ばしていって……。このことは初めて世の中に発表することだと思います。永野さんに何を言ってもいいといわれているので、怒られないと思います(笑)。この当時、私は25歳だったか、26歳になりかかっていたぐらいだったと思いますが、まだ若くて、本当にそのイラストストーリーにしびれてしまって。「これはすごいな、この世界を見てみたい」と切に思いました。もう永野さんにマンガを描いてもらうことは決まっていたんです。「永野さんにマンガを描いてもらおう」と言ったのは当時のザテレビジョン編集長の井川さんです。

桶田:
井川浩さん。

井上:
井川さんはどんな方かというと、ザテレビジョンとかニュータイプとかビデオでーたとか、全部の雑誌の編集長でした。実際にはそれぞれの雑誌の副編集長が実質的な編集長をしていたので、総編集長みたいな感じでした。もともとは小学館の学年誌の編集長で、マンガ畑出身の人です。長嶋茂雄などとも親交が深くて、マンガの作り方は井川さんに教えてもらいました。

桶田:
井川さんというと、「ドラえもん」とかも立ち上げられたと。

井上:
作品を立ち上げた話はいろいろと聞きました。井川さんはもともとがマンガの出身なので、なんでもかんでもマンガにしたい人なんです(笑)。もし井川さんがいなかったら、FSSがマンガになっていたかどうかはわかりません。名物編集長で、私が仕事をしていたころには、もう実際の編集の仕事はあまりされていなかったですね。角川春樹さんとのつなぎの役割とかで活躍していた方です。

余談ですが、よく部下を飲みに連れて行く人で、今は上司が飲みに誘ってはいけないとかいいますけれど、当時はそういうのはお構いなしですから、夜6時ぐらいになると編集部の人間はみんなものすごく忙しそうに仕事を始めるという。そうじゃないと、井川さんにお酒に連れて行かれてしまうから(笑)。でも、ときどき相手をさせられて(笑)。お酒の席では面白い話をいろいろ聞くことができました。

それで1985年3月、「ニュータイプ」は創刊となります。表紙の下のほうにも書いていますが「カムイの剣」が別冊付録になっていて、私はカムイの剣とZガンダムとエルガイムを担当していて、仕事していましたねえ。角川春樹さんの思いとしては「カムイの剣を売るぞ」ということで雑誌を創刊したんですが、こうして見ていただくとわかる通り、Zガンダムがちょうど放送開始というドンピシャのタイミングだったので、表紙はカムイの剣ではなくZガンダムになっています。春樹さんは怒らなかったですね。


桶田:
半分、忘れていたんでしょうね。

井上:
そうですね、たぶん言いっぱなしで忘れたんだと思います(笑)。あと、子会社だからわりと好き勝手できたというのがあると思います。この創刊号から永野さんは「FOOL for THE CITY(フール・フォー・ザ・シティ)」という連載をしています。これは最初から1年間、単行本1冊と決めてやったもので、本人もマンガを描くのが初めてだったので、「まずはマンガを描く」という作品でした。FSSのための実験というか。最初は、いわゆるGペンなどの漫画用のペンではなく、ロットリングという製図ペンで描くって言って「描けないだろう?」と思ったけれど、本当に描いていました。製図ペンって線が全部同じ太さで出るんですけれど、注射針みたいに細いんです。折れやすいし、危険な描き方になるなと。「FOOL for THE CITY」、よく読んでいただくと、最初の方の筆致と後半の筆致がまったく違います。後半はGペンもちゃんと使っていて、FSSを描く練習を始めています。

ちなみに、エルガイムのムック2冊目は「ニュータイプ」とほぼ同時期に、同じスタッフが編集しています。

桶田:
そんなに多忙だと、当時の記憶は飛んでいるんじゃないですか?

井上:
だいぶ飛んでいます(笑)。創刊誌は全部が新連載ですから、全部決めなきゃいけないし、雑誌のコンセプトも決めなきゃいけないし。新しい人に原稿を発注する、そのさなかにムックを作っていたって、相当若かったですね。

それから1年経って1986年4月号。「ZZガンダム」が始まりますよというところで、記念すべきFSS第1話が始まります。永野さんも仕事量が大変なときで、ZZのメインメカデザイナーもやるという話だったんですが、諸事情でなくなりました。正直、あれがあったらFSSは描けてただろうか疑問なんですが、本人はやる気満々でした。FSSは第1話から私が原稿を取りに行きましたが、ネームの時点で「これはすごいものができる」という感触がありました。


桶田:
著書「マモルマニア」に印象的な一節で書いてらっしゃいましたね。

マモルマニア | 井上伸一郎 |本 | 通販 | Amazon


井上:
「マモルマニア」には、レッドキングとチャンドラーの構図のことは書きましたっけ?

桶田:
それはなくて、電話の話がありました。

井上:
すみません、だいぶ前のことなので自分でも何を書いたか覚えていなくて。これは永野護さん本人から聞いたんですが、最初の見開きでレッドミラージュがこっちにいて奥にブラックナイトがいるという構図は、「ウルトラマン」のレッドキングとチャンドラーの構図なんだと。

桶田:
オマージュだったんですね。

井上:
だから、レッドミラージュが勝つに決まっているんだ、と(笑)

桶田:
そういうことなんですね。余談的なところなんですが、ちょうどこの時期の前後、アニメージュで宮崎駿さんの「風の谷のナウシカ」連載があり、河森正治さんらの「超時空要塞マクロス」がありと、作品とコアクリエイターの名前が結びつく動きがあったと思うんですけれど、そのことは同時、意識されていましたか?

井上:
アニメージュで「風の谷のナウシカ」が始まったときのことは今でも良く覚えています。アニメ映画になったのが1983年でしたか。アニメ雑誌にマンガが連載されて、それがオリジナルコンテンツになるということは意識はしていました。

アニメ雑誌をやっていて非常に厳しいこととして、「人気アニメ」があるときはいいけれど、ない時は結構大変なんです。今は違うんですけれど、当時のアニメ雑誌が売れる「人気アニメ」の要件は「オリジナルであること」なんです。漫画原作のアニメでも、確かに「うる星やつら」とか人気がありましたけれど、アニメ雑誌が売れる要件ではないというか。アニメ雑誌が売れるにあたって「オリジナルアニメで、人気があること」というのがそろうと大きくて。もちろんガンダムもそうですね。アニメックが一番売れたのは「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」の時でしたから。

ただ、マクロスを取り仕切っていたビッグウエストさんは非常に厳しい会社で、アニメックはちょっとにらまれていて(笑)、アニメックでは表紙にマクロスを使うことができませんでした。なので、美樹本晴彦さんに「ミンメイに似た女の子を描いてください」って。

(会場笑)

桶田:
そういうことをするからにらまれるんですよ(笑)

井上:
表紙は「ミンメイに似た女の子」、でも特集は「マクロス」だよ、と(笑)。そんな裏技を使ったりしました。

でも、そういう作品がずっとあるわけではなくて浮き沈みがあるものなので、なるべく浮き沈みをなくしたかったんです。そのためにはオリジナルコンテンツが重要で永野護さんの「FSS」だったんです。非常に強いコンテンツでした。富野さんも当時小説を書いていましたし、レギュラーを充実させることで浮き沈みをなるべくなくしたいなと思っていました。それは、アニメージュにおける「風の谷のナウシカ」とはまったく発想が違うんじゃないかとは思いますけれど。

桶田:
話題がアニメの方に来ているところで「FSS」のお話もうかがいたいと思います。ただ、「FSS」は長いですから、ある程度フォーカスしないといけないということで、だいぶ飛ぶんですけれども、アニメ映画として公開された「ゴティックメード 花の詩女」の実現のところをうかがえればと思います。

井上:
「ゴティックメード」は当初、永野さんが1人で作るといって始めたプロジェクトです。今年で公開から10年なんですが、スタートはどこから発想したものだと思いますか?分かる人はいますか?

(会場反応小さめ)

井上:
新海誠監督の「ほしのこえ」なんです。


桶田:
ああー、彼がやれるんだからと。

井上:
そうなんです。「ほしのこえ」を見て、新海さんが1人で作ったということで「1人でできるんだ。じゃあ、俺もやるぞ!」と。

(会場笑)

井上:
技術が発達して「1人でできる時代になったんだ」ということでスタートしたんです。当初は本当に1人でやっていて、しかも1年で作るといっていましたので「1年だったら休載もやむなしか」と思っていました。1年でアニメを作れたらそれはいいなと、私もバカなことを考えていて……。

(会場笑)

井上:
みなさんご存じの通り……結局、9年、10年くらいかかっちゃったのかな。その間、連載が止まるというまさかの事態になって、いろんな思いがありますけれど、永野さん自身は1人で喜々として、時には怒ったりもしつつ作っていました。ニュータイプ編集部のすぐそばに永野さん専用の部屋を作って、毎日そこに来てもらってアニメを作ってもらうという、大変ぜいたくな制作現場でした。

当初は1人でしたが、少しずつスタッフを入れていって最後には200人ぐらいになっていて。マチ★アソビにも来ているボンズの南さんのところに助っ人を頼みに行ったりして。この作品がすごく難しいのは……みなさんご覧になっているから作品のネタバレは大丈夫ですよね?「ゴティックメード」という新しいオリジナル作品だと思ってみていたら、「これはFSSだったのか」と最後にわかるという。これも、普通の宣伝だったら「これはFSSの映画です」と言いたいんだけれど、それを全然言わないようにして。あの人は、人を驚かすのが趣味みたいなところがあるんです。普通の会社だったら、絶対にそれは許諾されないと思います。

桶田:
当初の制作予定の1年から9年、10年に伸びることに危機感はなかったですか?

井上:
危機感だらけでしたよ(笑)。最後は「ここで公開しましょう、そうしないと上がりません」と。公開寸前まで大変でしたが、それでもなんとかできたのは、永野護という人が中心にいたおかげです。あのクオリティなので物量戦でしたけれど、肝心なところは永野さん1人で作り上げたんですよ。

桶田:
制作の間に井上さんは立場が変わっていますけれど、ずっと関わっていたんですか?

井上:
制作開始時はアニメ・コミック事業部長で、公開時は角川書店社長だったかな。忘れちゃいましたね。

桶田:
旧角川書店の代表取締役となっていますね。作品に評価を下す立場になられたのかなと思いますが。

井上:
「ゴティックメード」に関しては、制作サイドとして評価を下すのがなかなか難しくて……。普通のアニメ映画ではなくて、いまだに記録媒体が出ていないんです。「え?出ないの?」と驚きなんですけれど、公開した後に出ないことがわかって「いかにワシはマヌケかのう」と(笑)。出す気がないんだと。これは当時、4K対応で作っていて、永野さんの中では劇場でしか見られないアニメだとということなんです。最初の上映の終了後、何度も企画で再上映はされていますが、劇場でしか見られないというのは貫いていて、「『ゴティックメード』を見たければ劇場に来い」と。

「カルト映画」という言葉がありますけれど、年に1回ファンが必ず集まって上映会を開くのが「カルト映画」なんです。そういう意味で、「ゴティックメード」は本物の「カルト映画」なんです。

桶田:
また話がマンガのほうに飛びますけれど、最近は連載が非常に順調ですね。

井上:
休載なさらないですから。昔は単行本を出すときには休載していたんですが、最近は単行本を出しながら連載も続けているという、これはすごいなと。圧倒的な仕事量です。

桶田:
なにか理由というか、変化があったのでしょうか?

井上:
やはり「ゴティックメード」を経たことじゃないかと思います。何年も休載してしまったから、それを取り戻すという。

桶田:
その意識が。

井上:
あるんじゃないかと思います。あと、今はノリノリで描いていますね。ここ2カ月、私は泣きながら読んでいます。

桶田:
制作体制の点だと、基本永野さんが中心だとは思うのですが、今でも紙での制作なのでしょうか?

井上:
着色は全部デジタルで、大日本印刷のすばらしい再現力により、永野さんのイメージに極力近いものが印刷されて出ていますが、マンガ原稿や表紙イラストなどは手描きです。キャラクター表は主線だけ描いてあとはコンピュータで色を乗せています。ちょうど2カ月ぐらい前に永野さんのところへ原画整理に行ってきたのですが、永野さんはとても几帳面な人だから整理ができていてやることがなくて、どういった作品があるか、どういうサイズのものがあるかというリスト化作業をしました。

桶田:
ほぼほぼニュータイプの連載分だと思いますが、物量は相当なのでは?

井上:
そうですね。それに加えて「ブレンパワード」もあったし、ゲームも作られていたし、それこそFSS以前のサンライズ時代の仕事だとか、没になったデザインとかもありますからね。

桶田:
質疑応答に時間をかけたいということで、ちょっと畳みかけになります。ニュータイプとFSSの将来みたいなところで、当然公式にお話になれることはないかと思いますが、私がちょっと調べましたら面白いことが見つかりまして。永野さんは2019年にフォーブスのインタビューに答えていて、その内容として「もう1本映画を作りたい、それはFSSになるだろう」というようなお話をされていました。これに関して触れられることなどあれば……。

井上:
これについて触れられることはないんですけれど、私と永野護さんはちょうど1歳違いで、お互い還暦も過ぎました。彼は当然ながら几帳面な人だから、「あと何年」ということを逆算していると思うんです。そうなると、今のうちに1本ぐらい作っておきたいってなるだろうなと思います。

桶田:
井上さん自身もご覧になりたい?

井上:
もちろん。アニメでやるなら「大侵攻」とか「カラミティ崩壊」とか、あのあたり見たいですよね。見たいものばかりですけどね。「ベルベット・ワイズメルも見たいな、ヨーンの話も見たいな」とか、いろいろ考えちゃいます。そもそも決着のついていないお話が山のようにあるから、どこを切り取っても映画になるという。どこを取っても見たいシーンばかりですね。

桶田:
そのインタビューで「ゴティックメード」はあくまで「ゴティックメード」表記、「FSS」は「FSS」表記だったので、「そうか、FSSなのか」と思ったのですが、このあたり、今現在においてFSSとゴティックメードの関係というのはどういったところなのでしょうか。

井上:
基本的には全部「FSS」です(笑)。すべてが「FSS」に収斂します。みなさん、ロボットのデザインが全部ゴティックメードになった時に驚かれたんじゃないかと思いますが、編集側がびっくりしたのは、あっという間に読者の方がついてきたことです。最初は驚いたけれど、意外と皆さん、すぐに順応なさったので、こちらが驚きました。

桶田:
それはもう、神がそうおっしゃるなら、と(笑)

井上:
「ゴティックメード」ももう10周年なのかと思うと、自分に残された時間は短いなと感じますね。

桶田:
アニメ1本作るのにどれだけ時間がかかるのかと。

井上:
そうですよね。また10年かかるわけですよね(笑)。さすがに、もう「1人で作る」とは言わないと思いますけど(笑)。

桶田:
最後、質問に行く前に、ということで……。

井上:
はい、最後にちょっと自分がらみの宣伝が入るのですが、2021年6月に代表取締役を降りまして顧問という立場になり、体が自由になって「KADOKAWA以外の仕事もしていいよ」ということになっています。会社にも報告をしています。それで、実は小説を書き始めております。これは雑誌でなくムックという立ち位置の「みたいな!」という、年に何回か角川アーキテクチャから出ているもので、ここに「コンタクティー・ケース・セブン」という小説を書いています。興味のある方はぜひ読んでいただきたいと思います。運が良ければ単行本になるかもしれないので、応援していただければと。

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桶田:
ちなみにこれはなぜ書かれるに至ったんですか?

井上:
これを書くきっかけは田中謙介さんという、「艦隊これくしょん -艦これ-」を作っている人がいるんですけれど、2021年夏ぐらいに「代表取締役を降りたら少し自由になる」という話をしたら、「今度こういう本を作るから井上さん、書いてくれ」と言われたんです。当然、田中さんとのつながりだから、艦これのノベライズを書くんだなと勝手に思って「いいよ」と言ったんですが、その後、一緒に飲んだときに「エロティックなSFを書いてくれ」と。お題が出たのでしょうがないなと、その場で「月面基地でエッチする話はどうか」と言ったら「それはもうあるんじゃないか?」ということだったので、「じゃあ、ISSでエッチする話ならどうか」と。「それは確かに誰も書いていないだろう」ということで、それにしようと。話をそこから考えたという(笑)

桶田:
身もふたもないですね(笑)

井上:
そういうものですよね、創作って。なにか見たいものがあって、そこからストーリーを考えるという。あとで、ムーンベースみたいなところでって何があるかなと考えたんですけれど「さよならジュピター」があるじゃないかと。木星の衛星ですけど。本当にすっかり忘れていたんです。小説はすぐに読み返せなかったので映画を見返したのですが「なるほどね」と、やっぱり心に小松左京が相当刷り込まれているなと思いました。自分で発想したのか、小松左京の影響でどこかに残っていたのかわからないぐらい。どこか心に残っているものですね。

桶田:
ありがとうございます。これでだいたい1時間というところで、皆様の反応を見ていると質問をいただけないということはないだろうと思いますので、質疑応答に移っていきたいと思います。

井上:
今日は本当に観客のみなさんにいっぱい来ていただいてありがたいです。始まる前、桶田さんと「5人くらいだったらどうしよう」って言っていたんです。

桶田:
質問はお答えできるもの、できないものがあると思いますので、その振り分けは私の方でさせていただこうと思います。

Q1:
本日はありがとうございました。面白い話をお聞きしました。タイトルが「ニュータイプ」ということでずっと気になっていたんですけれど、僕らアラフォー世代で角川書店の雑誌というと「ニュータイプ」や「ドラゴンマガジン」「コンプティーク」があるのですが、ドラゴンマガジンとコンプティークはだんだんコミックが増えて、小説が増えて分厚くなっていきましたが、ニュータイプは変わらず同じぐらいの姿を貫いています。永野さんが10年近くいなかったときも、普通なら連載終了となっていてもおかしくない中、連載が再開して今も続いています。すごく異質だと思うのですが、なにかそういうコンセプトがあるのか、あるいは意地とかがあるのでしょうか。

井上:
ニュータイプの編集長も何代も替わっていますし、雑誌自体も多少は変わっているんですけれど、根本的に変わっていないのは「ニュータイプは永野護の雑誌」であるということです。1985年から37年経ちましたけど、変わっていないところはそこですよね。さきほど言いましたが、富野由悠季、永野護、川村万梨阿ではじめたエルガイムがあり、そのムックのポリシーが受け継がれているので、ニュータイプは永野護が一番の芯にあるわけです。たとえ休載していても、どこかに芯が残っていて、芯を維持した雑誌であることは変わらないと思います。

創刊号に名前が出ているのが富野由悠季、永野護、原田知世、飯島真里、野村宏伸と。極端に言えば、このころからFSSのマンガをやることは決まっていましたから、「FSSをやる雑誌だ」ということは変わっていないわけです。だから、基本コンセプトは変わっていないと。編集長が替わる中でアップデートされた部分もあるんですけれど、後ろにコラムがあって、ニュースのページがあって、アニメランドがあってという基本構造は同じです。

他の雑誌が分厚くなっていくのは……これは悪口ではなく、やっぱり雑誌だけで存続するのは難しいから、単行本を出したいんです。そのためにはコンテンツを詰め込むことになるので、分厚くなるんです。でも、ニュータイプの場合はそこまで単行本化する企画が多くないので、そういう構造になっているという風にご理解いただければと思います。

Q1:
普通の会社だったら経営者が変わったり編集長が替わると変化の圧力があったりすることもあると思いますが、ニュータイプは角川春樹さんから歴彦さんになったときに変化はありませんでしたか?

井上:
なかったです。

Q1:
そこはすごいなと思いました。ありがとうございました。

Q2:
先ほども話に出ていた「マモルマニア」が出てたぶん26年ぐらい経ったと思います。ちょうどエヴァの真っ最中で、前書きにそのことが書かれていたので。それで、ぜひ続編を読みたいのですが、構想というか予定というか、あるのでしょうか。

井上:
今のところはないですね。あれはトイズプレスという、当時永野さんや佐藤良悦さんがやっていた会社で連載していたものをまとめたものなので、そういう媒体がないとなかなか難しいですね。でも、読んでいただいてありがとうございます。

桶田:
この感じだと、挙手している方全員当てられると思いますので、慌てずご安心ください。

Q3:
FSSを休載してゴティックメードが公開されたときにまったく違うデザインになりました。何年か前からニュータイプではカイゼリンのデザインとかは公開されていましたけれど、FSS本編でごっそりとデザインが変わってしまうことは結構前から決まっていた話なのでしょうか。商品化だったり雑誌記事だったり、いろいろ出ていましたけれど、そこで匂わせるようなものがまったくなくて、ゴティックメードを映画館に見に行ったら「これはFSSの過去の話だ」となって、過去改変もあるのかなと思いました。その後のFSSの商品化についても、たとえばゴティックメードの立体化だとか、カイゼリン以外については時間がかかっていたので、関係会社にもまったく知られていなかったのかなと。

井上:
フィギュアメーカーなどに事前に話はあったのかということですよね? これはたぶん知られていなかったと思います。まったく極秘でやっていたので。ただ、永野さんの中でいつから考えていたかということは明確にはわかりませんが、名前もデザインも総取っ替えにするということはゴティックメードをやるときには考えていたことで、ずっとひた隠しにしていたのだと思います。ゴティックメードのポスターを見ていただくと本当、「これはFSSとは別物かな」と思いますよね。でもエンディングを見ると「ああ、FSSだったんだな」ということがはっきりわかる。ただ、あのエンディングをつけると決まったのも結構ギリギリで、最後の最後に決めたことでした。だから、総取っ替えすると決めたのは、公開直前とはいわないけれど、公開に近い時期のことだったんじゃないかなと想像します。

桶田:
その流れで、総取っ替えするということに対して編集部としてというか、初代担当編集の井上さんとして異論は唱えられたのでしょうか、それとももう「そうですか」という感じでしょうか。

井上:
「そうですか」(笑) 申し訳ないけれど、永野護は、言ったことは変えないですから。彼が自分で決めたことは、何か言っても絶対に変えないので。

桶田:
なるほど、わかりました。

井上:
実際のところ「永野護らしいな」と思いました。単行本1巻の最後、ナイト・オブ・ゴールドが初めて出てくるシーンがあって、顔を下にして、うつむいた状態でせり上がってくる絵なんです。でも、ネームでは全然違う出方だったんですよ。描き上がったものをみたら「違うじゃん!」って。そうしたら「井上くんを驚かせたかったんだ」と。

(会場笑)

井上:
要するに、そういう人なんです。人を驚かせるのが好きなんです(笑)

Q4:
もしかしたら他の媒体などですでに言われていることかもしれないんですけれど、映画を1人で作ることについて新海誠さんの影響があったというお話でしたが、その設定の大改変にあたって、なにか影響があったとかそういうのはあるのでしょうか。

井上:
そういうのは聞いたことはないですね。多分ですけれど……飽きたんじゃないでしょうか。あと、新しいデザインというかコンセプトを思いついちゃったんじゃないかな。そうなると「こっちがいい、こっちしかない」という感じの方なので。あと、よく言うのは、日本のアニメのロボットは、基本的にガンダムであり、FSSが出てきてからもあまり変わらないじゃないですか。だから、変えるとしたら自分で変えたかったんだろうなということですね。

Q5:
先ほどお話に出た「ザテレビジョン別冊 重戦機エルガイム2」、私はこのムックのことは「FSSも関連するような設定が掲載されている」というぐらいしか知らなかったのですが、私が高校生ぐらいのとき「第4次スーパーロボット大戦」の中で、エルガイムに関連するストーリーとして、オリジナルオージェを倒すとブラッドテンプルという名前のレッドミラージュそっくりのロボットが出てきて驚いた覚えがあります。その10年後ぐらいにムックについての情報を耳にして「ああ、なるほど」と思ったのですが、ゲームにブラッドテンプルが出てくるということについても永野さんはご存じだったのでしょうか。

井上:
ああー、それはちょっと確かめていないですね。ただ、ムックについては「©創通・サンライズ」とあるように、あくまでエルガイムの本で、ペンタゴナワールドの話だということなんです。後に、そのイメージを膨らませていったけれど、あくまでこのムックの中身はエルガイムの世界観の中だということです。

Q6:
社名が現在は「KADOKAWA」になっていますけれど、昔は「角川書店」でした。FSSの単行本は「ニュータイプ100%コミックス」で出ていて、単行本の背表紙には今も「角川書店」となっているのですが、そこはローマ字のKADOKAWAではなく角川書店にこだわっておられるのでしょうか。


井上:
なるほど……ひょっとしたら永野さんにはあるかもしれないですね。組織としての「角川書店」はないんですけれど、ブランド名としては使ってOKというレギュレーションでやっているので、ときどき使われていたりします。永野さんには「角川書店」の名前へのこだわりが、きっとあるんじゃないかな。

Q7:
私がFSSに出会ったのは映画1作目のころで、キャラクターデザインの結城信輝さんの非常にしっかりした絵に魅了されて、マンガ版とは全然違うんですけれど、素晴らしい映画だったと思います。永野さんご自身の絵とは全然違う感じのキャラクターデザインだったと思うんですけれど、そのあたりのよもやま話はなにかありますか?


井上:
映画自体には永野さんは基本的に関わっていなくて、許諾を出しただけに近い感じです。ただ、実はこっそりと制作の現場をのぞきに行っていたみたいです。結城さんとも仲がいいはずなので、作品として認められていたと思います。

Q8:
最近の永野さんのインタビューで、シナリオを先に書かれるという話があったと思いますが、制作フローはどんな感じなのでしょうか。初期と現在で変わったことがあれば教えていただけますか。

井上:
最近は現場に立ち会っていないですけれど、昔はノートにいっぱいストーリーを書いていたので、きっとそのことを言っているのだと思います。シナリオ的に、文章でがーっと書かれたものがあって、そこからチョイスしてネームに起こしていく形だったんじゃないかな。とにかくアイデアを一杯書いていく人で、これも言って大丈夫だと思うんですけれど、ずっと前から年表は作っていますが、それ以外にもストーリーが、まだ描かれていないエピソードなども含めてずいぶん先のことまで書いてあるんです。「ずいぶん先のことまで書いてあるんだね」って永野さんに言ったら「黒澤明でも全盛期はすごくいい映画を作っていたけれど、60を過ぎると話がつまらなくなったから、今のうちに話を書いておくんだ」と言っていました。すごく几帳面な人だなと。でも、今もストーリーも作っているんじゃないかと思いますけどね。

Q8:
そのノートは編集の方が見ることもあるんですか?

井上:
私は見ていました。今はもう何十倍にも増えているんでしょうね……。担当は今は角編集長で、毎回、編集長が担当するという伝統がありますね(笑)

桶田:
派生のような質問になりますが、先ほど原画整理をしたという話がありましたが、そのノート類も整理されているんでしょうか。

井上:
あー、ノートは見なかったですね。聞いてみないといけないけれど、たぶん整理していると思いますよ。

桶田:
最初は大学ノートみたいなものに書いていたという話でしたが。

井上:
今でもたぶん書いているんじゃないかな。ワープロで書いているとは思えないです。彼は全部手書きですから。永野護がワープロで書いているところは思いつかないので。

Q9:
アニメックは大ヒットしたガンダム特集のときから買っています。アニメ雑誌を見ていると、アニメージュは網羅性が高くて、放映リスト・スタッフリストとか作品数がすごく多くて、アニメックは趣味性が高く、一点突破でこだわりの作品を掘り下げるように思います。ニュータイプも作品を網羅するのではなく、推しの作品があって誌面が生まれていると思うんですが、「今はこれを推すんだ」とか「力を入れたい」とか、そういった作品の選択というのは編集の方から上がってくるのでしょうか。それとも、編集長から「これでいきましょう」なのでしょうか。

井上:
アニメックのころは、小牧さんがやりたい企画と私がやりたい企画、ほぼどちらかで決まっていました。ニュータイプに関しては、最初のころは佐藤良悦さんに私が「これをやりたいんだ」と言って決まっていました。副編集長になってからは自分で決めていました。あと、編集部員から、たとえば「天空戦記シュラトを推したい!」とか「マシンロボ クロノスの大逆襲」をやりたいとか、そういうのがあれば「いいじゃない、やりましょう」ってなっていました。意外な企画が上がってくると面白かったです。

Q9:
作品の売り込みみたいなものもあるんですか?

井上:
売り込みはやっぱりありますし、今の方が多いんじゃないでしょうか。当時はアニメ会社の広報の仕方は全然違って、そもそも広報室があるアニメ会社なんて東映アニメーションぐらいしかなかったですから。サンライズも広報はなくて「資料室」というのがあって、そこの資料室で話を聞いていました。

Q10:
エルガイムのムック2冊目に掲載されていた年表がFSSにそっくりだったと思います。このムックに掲載されているものはサンライズに権利があるということなのですが、FSSがマンガとして掲載されるにあたって、権利関係などはスムーズに移行したのでしょうか。

井上:
これに関しては、あくまでFSSは永野護さんのオリジナルで、「重戦機エルガイム」にインスパイアされているものの、まったく別の作品という扱いです。当時、サンライズには「こんな感じになります」と説明した記憶があり、「やめてくれ」とはならなかったですね。やっぱり、富野監督がOKしていますから。

桶田:
富野さんが「この世界はお前にやる」と言ったと、ご自身の対談などでも出てきますね。

井上:
私もそのインタビューを読んだ覚えがあります。このことに関しては、仁義でやっていると思います。

Q11:
FSSで井上さんの一番好きなエピソードがあれば教えてください。また以前、休載から連載再開まで期間が空くことがありましたが、そのときに早く再開して欲しいのに永野さんがわがままだったというようなエピソードがあれば教えてください。

井上:
(笑) 連載については「早く戻ってきてよ」とは思っていましたけれど、そこはもう、調整というか話し合いしかないですからね。彼は好きで休載しているわけではなくて、基本は描きたくてたまらない人ですから、特に問題はなかったと思います。一番好きなエピソードは……これは、ありすぎて大変だ。「一番好き」か……どうしようかな。「私のこと忘れないで」ですかね。これで分かる人は、なかなかですね。

桶田:
熱心な質問をいただきまして、いい感じになったと思います。最後に講師の井上さんに盛大な拍手をお送りください。

井上:
ありがとうございました。

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