人間の思考にはさまざまなバイアスが潜んでおり、知らないうちに思考の幅が偏っていることがあります。コロンビア大学の経営大学院であるコロンビア・ビジネス・スクールの博士研究員・Adam Mastroianni氏が、人間が特定の物事を考える方法について実験したところ、人間の思考には「もっと良いもの」を想像しがちなバイアスがあることが明らかとなりました。
Things could be better – by Adam Mastroianni
https://experimentalhistory.substack.com/p/things-could-be-better
ある日、Mastroianni氏は同僚と「なぜ特定の物事(例:スマートフォン)は良く見えて、他のもの(例:議会)は悪いように見えるのか」という問題について議論していました。Mastroianni氏らは、「A」という物事が悪いと感じるということは、現状の「A」よりも良い「A’」を簡単に想像できるからであり、「B」が良いと感じるということは、現状の「B」よりも良い「B’」を想像しにくいからではないかと考えたとのこと。
たとえば、現状の議会よりも好ましい「不当に権力を行使する不誠実な議員の少ない議会」は、比較的簡単に想像することができます。一方、現状のスマートフォンよりも好ましいものを想像しようとしても、せいぜい「バッテリーが長持ちする」といった程度であり、スマートフォンを劇的に変えるものではないため、スマートフォンは良いものだと認識されやすいということです。
この仮説について検証するため、Mastroianni氏は複数の実験を行いました。まずは事前準備として、オンラインで募集した91人の被験者に「定期的に考えていること」「交流している人や物」について挙げてもらい、6人以上が挙げた52項目をリストアップしました。なお、実験においてはすべての被験者が思考できることが好ましかったため、「ガールフレンド」など全員が持っていなかったり、関わりがなかったりするものは除外されたとのこと。最終的に残った項目には、「あなたの電話」「人」「経済」「健康」「銀行」「ベッド」「仕事」といったものが含まれています。
最初の実験では、新たに募集した243人の被験者に対してリストからランダムに6つの項目を提示し、「この物事がどのように変化する可能性があるか」を尋ねました。たとえば、選ばれた項目が「YouTube」であれば「How could YouTube be different?(YouTubeはどのように変わる可能性がありますか?)」と尋ね、「Food(食べ物)」であれば「How could food be different?(食べ物はどのように変わる可能性がありますか?)」と尋ねたとのこと。答えのバリエーションとしては、「YouTubeはもっと読み込みが速くなるかもしれない」「食べ物はもっと高価になるかもしれない」といったものが想定できます。
次に、被験者が回答した変化が起こった場合、「その物事はどれほど良く/悪くなるのか」を「-3(とても悪い)」から「0(良くも悪くもない)」、そして「3(とても良い)」までの7段階で評価してもらいました。Mastroianni氏らが調査したかったのは、人々が「この物事がどのように変化する可能性があるか」を尋ねられた際に想像する変化が、平均して良いものになるのか、それとも悪いものになるのかという点だったとのこと。
実験の結果、人々は圧倒的に「物事が良くなる方向の変化」について回答する傾向がみられました。被験者の回答例は以下の通り。
質問:「あなたの電話はどのように変わる可能性がありますか?」
回答:「防水になるかもしれない」「曲げられるほど柔軟性があるかもしれない」「画面がもっと明るくなる」
質問:「あなたの人生はどのように変わる可能性がありますか?」
回答:「もっと裕福になる」「お金持ちになる」「もっと裕福になるので、財政面での心配をしなくて済む」
質問:「YouTubeはどのように変わる可能性がありますか?」
回答:「動画を見るたびにプレミアム会員を試すように言って私を悩ませてこなくなる」「広告なし」「クリエイターを台無しにしないようアルゴリズムを修正する」
こうした「良い方向の変化」を想像する傾向は、テストしたほとんどの項目でみられました。以下は、今回の実験で用いられた各項目に対しての回答が、平均的にどれほど良い/悪い変化だったのかをグラフにしたもの。赤い破線が「0」であり、それより上が良い変化を、下が悪い変化を表しています。ほとんどの項目で被験者は「良い変化」を回答しており、「悪い変化」の回答が平均的だったのは「bills(請求書)」「coronavirus(コロナウイルス)」「government(政府)」「news(ニュース)」「politics(政治)」など、わずかな項目に限られていました。
さらに研究チームは、被験者に対して回答した変化が起こる可能性を0%~100%で評価してもらいました。すると、最も多かった評価は「0%」であり、次に多かったのは「50%」でした。これは、被験者は必ずしも回答した変化が起きると楽観的になっているのではないことを意味しています。また、被験者のうち51%は少なくとも1つ以上「物事が悪くなる変化」について回答していたため、Mastroianni氏らの質問が暗に「良い方向の変化について回答」を求めるものだと誤解された可能性も低いとのこと。
Mastroianni氏らはその後もさまざまな実験を行い、質問の文言を「How could [ITEM] be better or worse?(その物事はどのように良くなったり悪くなったりしますか?)」「How could [ITEM] be worse or better?(その物事はどのように悪くなったり良くなったりしますか?)」と変えてみたり、アメリカと文化的に大きく違うポーランド人を対象に調査してみたり、英語ではなく中国語で質問してみたりしました。複数の実験を行った結果、いずれのケースでも被験者は一貫して「良い方向の変化」について回答する傾向がみられたと報告されています。驚くべきことに、被験者がうつや不安、神経症的な傾向を持っていた場合でも、物事が良くなる方向の変化を回答しやすいことが確認されました。
ところが、研究チームが被験者を「良い変化を回答するグループ」「悪い変化を回答するグループ」「変化の良い/悪いを問わず回答するグループ」に割り当てた上で、「各項目について考えられる変化をより速く、たくさん回答するとボーナスを与える」という条件で実験したところ、「悪い変化を回答するグループ」の方がたくさん答えられることが判明。これは、「良い変化を考える方が悪い変化を考えるより簡単」というわけではなく、良い変化を考える方がやや難しいにもかかわらず、「あえて良い変化について考えようとするバイアス」の存在を示しています。
Mastroianni氏は人々の良い変化を考えがちなバイアスについて、「空腹で雨に降られた狩猟採集民が、安定した食料や屋根のある環境を想像して、後に農業や建築を発明した」という風に、自然淘汰(とうた)が働いた結果かもしれないと指摘。しかし、結局のところこのバイアスがなぜ存在するのかは謎であり、理解されるまでには長い時間がかかるだろうと述べています。
また、良い変化を考えがちなバイアスの存在が、人々の幸せを妨げている可能性もあるとのこと。たとえば、窮屈なワンルームマンションに住みながらもっと広い部屋に住むことを想像している人が、後に3LDKのマンションに引っ越せたとしても、次は一戸建てや別荘のある生活を想像するかもしれません。また、それらが手に入ったとしても、今度は固定資産税のかからない方法を想像するかもしれず、永久に「もっと良いもの」を想像し続けてしまうかもしれないとのことです。
この記事のタイトルとURLをコピーする