AT&Tのアドテク事業部門、ザンダー(Xandr、旧アップネクサス[AppNexus])がマイクロソフト(Microsoft)に売却されることが正式に決まった。10億ドル(約1250億円)と報じられた買収は6月5日に完了し、マイクロソフトはデジタル広告市場における売り手と買い手の両方に向けた各種ツールを手に入れることになる。
だが、アップネクサスには違う運命をたどる可能性もあったかもしれないと思う。「こうなったかもしれない」ことは数多い。どのシナリオにもかなりの臆測がまじるが、アップネクサスの歴史は「こうなったかもしれない」ことが果てしなく列挙できるほど、ニアミスや紙一重だらけなのだ。
まずはアップネクサスにとって最も大きな節目から見ていこう。AT&Tだ。
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問題だったのは「タイミング」
AT&Tのアップネクサス買収は、タイム・ワーナー(Time Warner)買収という、タイミングが悪い上に高くついてしまった買い物に端を発する。多額の負債を抱える高配当の通信会社が、成長の遅い、ひとつのことしかできない前時代の遺物だとは見られたくないとばかりにアイデンティティクライシスを迎え、次のGoogleになろうと考えたという話だ。明らかに、そのもくろみは外れてしまった。
ストリーミングへの進出によってHBOの収益は消え去り、ターナー(Turner)は分散し多難な道を歩むことになえい、ワーナー傘下の映画・テレビ制作各社はストリーミング事業にコンテンツを供給する自社専用制作部門となった。アドレサブル広告のザンダーも、結局はそれほど特別なものとはならなかった。当然、AT&Tは撤退を決める。ただの通信会社に戻るのは魅力的ではないが、少なくとも機能はするというわけだ。
だが、もしAT&Tの上層部が広告に関して過剰な自信を持っていなかったとしたらどうだろう。
この問いに簡単な答えはない。AT&Tはデータを効果的に活用できるように、縦割りの部門を横断したデータ運用に向けてもっと努力したかもしれない。この取り組みが、AT&Tの顧客から広告主に至るすべてのステークホルダーの専門知識、参加、データを活用する、より広範な戦略の一部となったかもしれない。究極的には、こうしたネットワーク効果を生み出すには時間がかかるということを、AT&Tの上層部はいまひとつ理解できなかった。
公正を期するためにいうと、一部のメディア幹部はアップネクサスをきちんと理解していた。アップネクサスは当時のどのアドテクベンダーとも違っていた。メディアバイヤー向けのカスタマイズ可能なソリューションを開発し(デジタル広告ターゲティングとプログラマティック入札のためのカスタムアルゴリズムに対応した、最初のアドテクベンダーだった)、直接統合でパブリッシャー側に埋め込んだ。アップネクサスは単なるプログラマティックマーケットプレイスではなく、プラットフォームだったのだ。
AT&Tはどうすべきだったのか
もしAT&T幹部がアップネクサスの潜在的な可能性に対してもっと慎重なアプローチを取っていたならば、このアドテクベンダーは2018年9月にはザンダーになり、同時にワーナーメディア(WarnerMedia)に合併されたはずだ。
幹部たちは、ザンダーのデータを使用したターゲティングと効果測定が、ワーナーメディアのコンテンツで表示される広告のパフォーマンスを向上させると考えただろう。また、広告のターゲットを絞れば絞るほど人気子供番組の「ペッパビッグ(」Peppa Pig)」に広告が差し込まれるのではないか、と懸念する広告主を安心させるだけのコンテンツの品質と量があると確信していた。
2019年のアップフロントシーズンでは、ワーナーメディアとザンダーはプレゼンテーションでもディスカッションでも交渉でも、一体として動く。このシナリオでは、両者がイベントで別々に売り込みを行うことはそもそも考えられない。その結果、バイヤー側はAT&Tのビジョンをかなり明確に理解することができただろう。
ガートナー(Gartner)のリサーチ担当バイスプレジデント、アンドリュー・フランク氏は「AT&Tはこのアイデアに対する内部からの抵抗と、データ利用が受けることになる外部からの圧力の両方を過小評価していた」と話す。「それらの問題をもっと深刻にとらえていれば、オプトインの許可を確保してアドレサブルな部分を大規模展開すると同時に、規制当局と一般の人々に受け入れてもらえるように図ることもできただろう」。
このシナリオのとおりにいったのであれば、アップネクサスはワーナーメディアにとって決して多くないにしても、多少の戦略的価値はあっただろう。実際、AT&Tはアドレサブル広告でワーナーメディアの商業モデルが大きく躍進できるとは思っていない。そこで得た資金が今後の拡大に役立つと期待しているだけだ。
「アップネクサスが最初の高収益部門となって、あとにそれを支える脇役が続くはずだった。だが、彼らはあまりにも金をかけすぎ、市場での勢いを失い、内部の支持を取り付けることができなかった。そこからはずっと下り坂の一途だ」とフリーホイール(FreeWheel)の共同創業者で元CEOであり、マディソンアレイ(Madison Alley)の顧問を務めるダグ・ノッパー氏は語る。
公正を期するために添えると、AT&Tの意思決定者たちもこうした問題があったことを後に認めている。残念ながら、それは遅すぎた。AT&Tがアップネクサスで何がしたいのか、バイヤー側が知ることは最後までなかった。
上場の検討と延期
アップネクサスはもう少しで上場するところだった。最初に上場計画が検討されたのは2016年の春だった。だが、アップネクサスの幹部のあいだでは、このアイデアはどうもしっくりこないものだった。そこで計画は同年後半に延期となり、その後人知れず2018年に先延ばしとなった。アップネクサスのトップたちが先延ばしを妥当と判断したのは、当時投資家たちがアドテクにそれほど夢中になっていなかったことも主な一因だ。
レモネード・プロジェクト(Lemonade Projects)のプログラマティックエコノミスト、トム・トリスカリ氏は、当時のアップネクサスが、流れ込んでくる広告予算(売上高など)23億ドル(約2900億円)に対して約2倍の評価だっただろうと話す。
仮に、上場を遅らせることによってアップネクサスの評価が上がったとしよう。これは、アドテクベンダーのザ・トレードデスク(The Trade Desk、以下TTD)の株価収益率からも裏付けることができる。同社は2021年から売上高を公表しなくなったが、2020年の通年の売上高を見ると42億ドル(約5300億円)で、評価額は380億ドル(約4兆7500億円)と、売上高の9倍に上っている。この計算でいけば、アップネクサスの評価額は80億ドル(約1兆円)から200億ドル(約2兆5000億円)以上のどこであってもおかしくない。マイクロソフトが現在のアップネクサスを買収したときよりかなり多い額だ。
アップネクサスが上場を果たしていたならば、独自の存在感を放っていただろう。もちろん、その収益のほとんどはほかのSSP(サプライサイドプラットフォーム)と同様にパブリッシャーに代わってオークションを管理することで得ただろうが、それだけにはとどまらない。アップネクサスは、パブリッシャーと広告主が同様に自社の技術の上に事業を構築していけるようなプラットフォームを持つことを目指していた。
たとえばアップネクサスの初期のCTVへの進出を見てみよう。アップネクサスは単純にテレビ広告の収益を追求することはせず、パブリッシャーのディスプレイ広告からオンライン動画広告への転換を狙い、進歩的な企業に対しては、動画、ネイティブ、モバイル形式での収益化向上を支援した。
アップネクサスが上場企業ならではの機会を活用し、プラットフォーム事業としての存在感を増すための取り組みを加速しただろうことは想像に難くない。考えてもみよう。CTVは、ほかのすべてのものと同じようにやがて統合の波に襲われるだろう。アップネクサスの経営陣は、統合の波が高まるに伴ってじきにコモディティ化されるアドテクのアウトソース先になろうと先手を打つことを決める。つまり、CTVに対応できる規模のコモディティビジネスとなるのだ。
AT&T以外による買収
アップネクサス幹部は、別の企業がもっと早く買収を申し出ることを当てにすることもできただろう。根拠は十分にある。アップネクサスがさまざまな問題を抱えていたにしても(いくつか例を挙げるだけでも、詐欺や、限られた中立性などがある)、同社はテクノロジーを売る企業であった。同業他社のほとんどがニッチなサービスを売っているような状況のなかで、エンタープライズレベルのサービスを売れる企業ではない。
どの企業がAT&Tのあとにアップネクサス買収に名乗りを上げたかを推測するのはほぼ不可能だ。過去2年間でわかったことがあるとすれば、アドテクを買収する企業の数が多いのと同時に多種多様であるということだ。といいながら、マイクロソフト以外の企業を想像するのは難しい。当時、マイクロソフト以上にアップネクサスを理解していた企業は少ない。マイクロソフトはプログラマティック広告販売を、アップネクサスに実質的にアウトソースしていた。
MSN、Bing(ビング)、Hotmail(ホットメール)、LinkedIn(リンクトイン)などにわたる広告ビジネスでアップネクサスがすでに重要な位置を占めるなか、マイクロソフトが買収でその関係を恒久化したとしよう。こうして、AT&Tがアップネクサスを買収したタイミングでマイクロソフトが買収できなかったことから逃した大量の儲けを取り戻す態勢を得る。このシナリオでは、収益が出るタイミングがもっと早くなるのだ。
仮定の話に意味がないわけではない
上場しようが他社に買収されようが、革新的でありつつときには課題を抱えていたアドテク企業、アップネクサスにとって、どちらもよい筋書きで好ましい結果となった可能性は果てしなく大きい。たとえば、詐欺問題に関しては資料も多く、バイヤーとしてはもっと早く腐敗を一掃できなかったのかを考えてしまうところだ。良くも悪くも、いったんある筋書きが定着すると、マーケットはそれに基づいて動く。
明確かつ簡潔な筋書きがあれば、投資家や広告会社の幹部たちはもっと簡単に、−−それこそTTDのように−−アップネクサスに資金を向けることができただろう。
TTDはかつても今も、マーケターがメディアオーナーから効率的にインプレッションを買うためのプラットフォームとなっている。理解しやすい明快なコンセプトを持っているからだ。一方のアップネクサスは、パブリッシャーと広告主が同様にその技術の上に事業を構築していけるようなプラットフォーム事業を目指していた。革新的でもあるが、複雑でもあるのだ。そのニュアンスをうまくモノにできていれば、アップネクサスは長期的な利益のために目の前にある(またはあると思われる)欠点を見逃してくれるように、投資家、マーケター、テレビ局を説得できていたかもしれない。
[原文:What if… things turned out differently for AppNexus]
Seb Joseph(翻訳:SI Japan、編集:分島翔平)