年収900万円は富裕層?育児の現実 – 石川奈津美

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茨城県に住む専業主婦の丸井りえ子さん(仮名・35歳)は、小学校1年、幼稚園年中、2歳の3人の子どもを育てている。

会社員の夫の年収は約900万円。

2018年の児童のいる世帯の平均所得745.9万円(2019年国民生活基礎調査、厚労省)と比べても収入は多いが、丸井さんは「お金のことを考えると家族旅行にも行けない」とため息をつく。

悩みの種は”子どもの教育にかけるお金”だ。

1年間にかかる子どもの学習費総額(2018年度文部科学省「子供の学習費調査」
公立幼稚園 22万3,647円
私立幼稚園 52万7,916円
公立小学校 32万1,281円
私立小学校 159万8,691円
公立中学校 48万8,397円
私立中学校 140万6,433円
公立高等学校(全日制) 45万7,380円
私立高等学校(全日制) 96万9,911円

丸井さんは「子どもたちに国際的な環境を提供したい」と上の子ども2人を都内のインターナショナルスクールに通学させている。水泳などの習い事も加えると、年間の教育費は200万円以上にのぼる。

今後、子どもが成長するにつれ、必要な学費はさらに増える。丸井さん夫婦はいま、将来子どもたちが全員私立の大学に進学することも考え、外食を控えるなど教育以外にかける出費を節約しているが、家族5人分の生活費もありほとんど貯蓄に回せていない。

「子どもたちに色んな経験をさせてあげたいという思いもあり『旅行を我慢することや過度な節約は正しいのか』とジレンマを感じることもあります」

子どもたちの教育費のために、2歳の息子がもう少し大きくなったら「自分も働こうと思っている」と丸井さんは話す。

年収960万円は富裕層なのか?

「年収960万円」。

コロナ対策の18歳以下への10万円給付や児童手当などで、”高所得者”として支給の制限対象とされる線引きの額だ。

先述の丸井さん家族もおおむね高所得者世帯に該当するだろう。では、”高所得者”の丸井さんが子どもの教育費用で頭を抱えるのは「贅沢な悩み」なのだろうか?

子育てを取り巻く社会課題の解決に取り組む認定NPO法人フローレンスの前田晃平さんは「そもそも、年収960万円の家庭が富裕層かどうかが問題の本質ではない」と視点を提起する。

前田さんは文部科学省が発表している文部科学白書(2019年)のデータの存在をあげる。「高等教育」における試算では、子ども2人を下宿で私立の大学に通わせた場合、生活費も含めると年間約500万円かかるのだ。

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「年収960万円の世帯の場合、税金を引くと手取りは700万円ほど。そのうち約8割が教育費となると、両親は残りの200万円の中で生活するという試算になります。この数字を民間ではなく国が出しているということが驚きです。家計の半分以上をごっそりと教育費にあてる必要のある家庭は果たして『高所得者』といえるのでしょうか」(前田さん)。

国の教育政策に現れる「本音」

「日本の政府は教育にお金を出さない」。諸外国と比べて低い公的支出はこれまでも問題として指摘されてきた。

国内総生産(GDP)に占める教育に関する公財政支出(2017年)は、初等教育から高等教育までで日本は4.0%。OECD平均の4.9%を下回る。

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さらに近年、公的援助は増えるどころか、削減される傾向が強まっている。

今年10月から一部見直される児童手当の「特例給付」もそのひとつだ。児童手当はこれまで子どもひとりあたり月額5000~1万5000円が全世帯に支給されていたが、両親のいずれかが年収1200万円以上の場合には支給がなくなる。

各政党に教育に関するアンケート取材を行ったところ、自民党は「現時点では見直しを考えていない」と回答。所得制限で得られた財源は保育園などの整備費用にあてられる予定だというが、野党からは「将来を担う子どもに関わるものについて所得制限を設けるべきではない」と批判する声があがっている。

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これに対し前田さんは「国の『本音』は予算などの財政政策や立法にとてもわかりやすく現れます。現状を見ると、国は『子どもの教育は各家庭の自己責任』と考えているように見えます」と指摘する。

子育て世帯のリアルが理解できない政治家たち

日本で国による教育への援助が主体的に行われない背景のひとつとして、「子育て世帯のギリギリな状態が政治家には理解できていない」ことを前田さんはあげる。

「政治家の皆さんは、極めて高い志でこの国を良くしようと尽力していらっしゃると思います。ただ、社会的な地位があり経済的にも裕福な家庭環境で育った『本当の富裕層』が多いのも事実です。

さらに、政治家の圧倒的多数を50代以上の中高年男性が占めています。彼らは配偶者に子育てをすべて任せてきた人も多い。そのため、『家庭のことは妻に任せればいいじゃん』と、当時と現在では環境が大きく変化していることを認識できていません」。

現代では女性が結婚、出産後も働くのが当たり前になった一方、地域での助け合いという「子育ての最高のセーフティーネット」が機能していないところも多い。

前田さんは「一般の人たちがいかにギリギリの状態で子育てをしているのかという実態、そして教育にお金をかける余裕がない家庭がどんなに多いのかという現実を、もっと政治家の方には知ってほしい」と訴える。

「親ガチャ」を少しでもなくすためにできること

国から教育への公的支援が減ると、各家庭の経済力(経済資本)や人脈(社会資本)によって、「子どもが受ける教育の質」が左右されてしまう。

こうした状況への不満は高まりつつある。2021年、生まれた環境によって自分の人生が決まってしまうことを嘆く「親ガチャ」というネットスラングが生まれた。

では、社会の格差拡大や分断を防ぐために、政府が行うべき教育施策とは何だろうか。

前田さんが重要視するのは「小学校入学前の子どもたちへの質の高い教育・保育」だ。

教育経済学では、幼児期〜大学に至るまでの中でも未就学児への良質な教育を提供することが”投資収益率”が高いという研究結果が数多く発表されているという。

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「小学校に入る前の子どもに良質な教育や保育を提供する方が、それ以降よりも学歴・所得・雇用などにおいて大きな効果を得られます。つまりは『コスパ』がいい。所得の向上や学校を中退する可能性の低下につながるという研究結果もあります」

そのために、前田さんは日本の未就学児の教育・保育現場における「質の向上」、つまり「保育園や幼稚園のスタッフが子どもとていねいに向き合えるような体制づくり」が大切だと指摘する。

「保育士や幼稚園教諭を拡充するなどして、ひとりひとりの子どもに接することができる環境を整えることが質の高い教育や保育提供の一歩になるでしょう」。

また、前田さんは「『誰でも』保育を受けられる環境」を作ることも重要だと指摘する。現在、3歳以上で保育園・幼稚園のどちらにも預けられないまま育つ「無園児」は国内で5万人以上いるとされる。

「誰もが保育園や幼稚園に通えるようになることは親子の孤立化を防ぎ、虐待リスク軽減につながる。社会課題の改善のためにも、質の高い教育・保育提供に日本政府がもっと財政支出を行うことは理にかなっていると思うんです」。

こども家庭庁創設で何が変わる?

子どもたちや、その親たちが生きやすい日本社会を作ることは、国の最重要課題でもある少子高齢化や人口減少への解決にもダイレクトにつながっていく。

一方で、2020年度の虐待件数や不登校件数は過去最多となり、彼らを取り巻く状況は深刻化。負の影響はコロナ禍で拍車がかかっている。

政府はこうした状況を食い止め、「子どもファースト」な社会を推進していくために、子ども政策の司令塔となる新組織「こども家庭庁」を2023年度内に創設する予定だ。

有識者会議に参加した前田さんによると、ビッグデータなどを活用した科学的根拠に基づく政策(EBPM)で子どもたちをサポートすることなどが考えられているという。

また、子育て中の当事者も「子どもファースト」な社会が実現できるよう、政治に「声を届ける」努力が求められているという。65歳以上の高齢者が有権者の半数を占めようとする中で、「子育て世帯はいまやマイノリティ」(前田さん)だからだ。

「『私たちは子育てのここで困っている』という声が政治の場に届かない社会構造になっています。まずはそのことを自覚してアクションを取っていくことが大切です。

子育て世代がマイノリティになる一方で、いまはPoliPoliissuesなど、政治家と私たちをつないでくれるプラットフォームがネット上に誕生し、以前よりも有権者が政治家に声を届けるチャンスは増えています。

「ワンオペきつい」「子育てがつらい」と普段投稿しているTwitterやInstagramから、これらのプラットフォームに発信の場を変えるだけで、政治家に自分たちの声が直接届けられる。テクノロジーの発展とともに今、大きなチャンスがきていると感じています。私も子育て中の父親ですが、ぜひ一緒に声を届けていきたいと思っています」

(文・石川奈津美)

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