ソニーが日本でVAIOブランドのPCを発売したのが1997年の7月。それから25年が経過し、今年はVAIO発売の25周年となる。そんな25周年を迎えたVAIOの昔と今について、長野県安曇野市にあるVAIO本社に赴き、開発者にインタビューしてきたので、その内容をお伝えしていきたい。歴代VAIOの中でも印象的だったPCや担当者個人のベストオブVAIO、当時は明らかにされなかったような開発秘話に関しても話を伺ってきた。
ソニーが作るAVパソコンとして始まったVAIO。PCG-707/705でデビュー
――日本でVAIOが誕生してから25年が経過しました。PC市場の黎明期から現在のようにPCが日常生活へと溶け込むまで、激動の25年間だったと思います。VAIOは社会やユーザーに対し、どのような役割を果たしてきたと考えていますか?
林 VAIOは常に新しいPCの体験を作ることを目指してきました。25年前はソニーというAV(Audio Visual)を売りにしている企業の中で、AVをPCの世界に落とし込んでいくというかたちでスタートしています。
「VAIO」というのも、Video Audio Integrated Operation(その後Visual Audio Intelligent Organizerに変更されている)の頭文字を取った造語で、それまでのPCにはなかった体験をユーザーにお届けしたい、そう考えてスタートして25年間に渡って取り組んできました。
そうした「新しい体験」とは何かということを常に考えてきましたが、まず取り組んだのは小型化という観点です。初期のVAIOで多くのユーザーにご愛顧いただいた「PCG-505」は言ってみればPCをウォークマン®にしたらどうなるか、といった体験を実現したいという動機から始まっています。
また、「PCG-C1」はPCにカメラを載せるいう体験を実現したいと考え、あの回転するWebカメラに至りました。今となっては、WebカメラはほぼすべてのノートPCに搭載されるようになっています。
もう1つ例を挙げるなら「type S(SZ)」という機種でハイブリッドグラフィックスにチャレンジしたことでしょう。これも今となっては当たり前の技術になっていますが、当時は初めてだったので実装も大変でした。
その後、「Zシリーズ(VPCZ2シリーズ)」でGPUの外付けにチャレンジしています。当時はIntelの最新技術だった光ファイバーを使った高速伝送インターフェイスをいち早く採用し、その後それがThunderboltになって今に至っています。
VAIOのやることが、世の中の当たり前になるように目指してやってきました。そういう他社がやっていないチャレンジをすることがVAIOのVAIOたる“存在理由”だし、それがVAIOの25年の歴史だと考えています。
――そもそもVAIOはほかのPCメーカー向けのODMビジネスからスタートしたと聞いています。そのあたりの経緯について教えてください。
林 VAIOのビジネスや設計チームの母体になったのは、当時米国のPCメーカー向けのODMビジネスを行なっていたチームです。そのビジネスの中で自社ブランドの製品をやるべきだという機運が盛り上がったのが始まりです。
まずODMビジネスが立ち上がり、その後ソニーブランドの製品をやろうということで、最初に米国でデスクトップPCをリリースし、そのあと「PCG-707/705」というフルサイズノートPCを1997年に発売しました。
――PCG-707/705はどのような製品だったのでしょうか?
巢山 当時のA4サイズのノートブックPCでは、3スピンドル(回転するモーター=スピンドルが3つあるという意味で、HDD、FDD、光学ドライブを備えている製品)が一般的でした。
しかし、PCG-707/705はマルチパーパスベイと呼んでいたスワッパブルベイが用意されており、光学ドライブ、FDD、サブバッテリのいずれかを交換して内蔵できるようになっていました。光学ドライブがスワッパブルになるのは、後には当たり前になりましたが、当時としては珍しかったです。
また、同時にドッキングステーションが用意されていて、Ethernetなどのポートに接続でき、かつ本体に傾斜をつけてキーボードを打ちやすくすることが可能になっていました。
先ほど林の方から505シリーズではウォークマンのユーザー体験を実現した製品という話がありましたが、実はPCG-707/705のヘッドフォン端子は、ウォークマンのヘッドフォンをそのまま差せるようになっていて、ヘッドフォンに用意されているリモコンで早送りや巻き戻しなどがきるようになっていました。
――確か、その後にもそういった製品がありましたね。とてもソニーらしいなと思った記憶があります。PCG-707/705の開発で大変だったことはありましたか?
巢山 当時私はPCG-707/705のドッキングステーションの開発チームに参加していたのですが、もうすぐ発表というタイミングを迎えつつある段階で、外部のラボに通ってテストしていたEMC(Electromagnetic Compatibility:電磁両立性、電化製品の電磁波特性に関する認証制度)の認証試験が通らず、発売日が近づいているのに、このままでは本体だけ発表することになる、という危機的な状況だったのをよく覚えています。
VAIOというブランドが新たな船出をする中で、ドッキングステーションのチームが足を引っ張るなんてことはあっちゃいけないので、それこそ日夜必死に作業していました。
――その原因は何だったのでしょうか?
巢山 実は高速信号であるPCIバスをドッキングステーション側にまで引き込んでいたことが大きく影響していました。
そこで基板設計、シールド設計も急遽やり直して、内部だけでなく、表面側の塗装も見直しなどもしました。最終的に通ったという連絡をもらった時にはホッとするやら腰が抜けるやら……。
ただ、その後発売日に量販店の店頭でこっそり様子を伺っていたのですが、お客さまが本体とドッキングステーションをセットで買っていただくシーンに何度も遭遇して、それが何よりの喜びでした。
本当に開発には苦労しましたが、購入していただけるというのは、その価値を認めてもらえたということなので、大変だったけど取り組んできてよかったと心底思いましたね。
VAIOのモバイル製品の潮流を作ったのがPCG-505
――その後1997年の11月に「PCG-505」がリリースされて、VAIOのブランドが確立される時期になります。
巢山 PCG-505は自分のチームが担当していたわけではありませんが、個人的に発売されてすぐ買った製品でした。同じ職場にはいたので、どういう製品になるかはある程度聞いていましたが、実際に出てみると社員である自分でさえ衝動的に購入してしまうほどでした(笑)。
――PCG-707/705もそうでしたが、あの紫という色がPCとしてはとても衝撃的な色だったと記憶しています。なぜ紫色がテーマカラーになったのでしょうか?
林 当時のソニーのデザイナーが、VAIOのロゴとこのカラーを決めたと記憶しています。米国で最初に発表したデスクトップPCの段階から、紫をテーマカラーにしており、ノートPCもそれが基調になっていました。それがPCG-505でも採用されたというのが流れだったと記憶しています。
巢山 当時のメンバーに話を聞くと、PCG-505では4面マグネシウム合金を使っていますが、PCの筐体に必要な、高い寸法精度でマグネシウムの薄肉成型を行なうことは例がなく、その寸法コントロールが大変だったそうです。
成型後、寸法確認と合わせて、いくつかの磨き工程を組み込み、なんとか我々が求める品質を確保、量産にこぎ着けた、と聞いています。
当時、サプライヤーの方には我々の要求に対して「厳しすぎる」「そりゃ無理だよ」と言われた、と(笑)。しかし、お互いに知恵を出し合い、協力しあえたからこそ505が生まれることができた、と思います。本当にサプライヤーの方には感謝です。
また、デザイナーの要求としてはVAIOのロゴも天板をへこませて作りたかったそうですが、さすがにそれは天板を製造するサプライヤーさんから無理ですと泣きが入って印刷になったと聞いています(笑)。
PCG-C1、type U、type Pと進化してきた小型VAIOの歴史
――「type P」(第2世代はtypeが取れてPシリーズ)のような製品が誕生した経緯と、逆に後継が1製品しか出なかった理由はどのあたりにあると考えていますか?
林 「type P」のような製品は、ちょうどPCの役割が変わってきた過渡期の製品でした。この頃スマートフォンやタブレットが登場しつつありました。
それに対して持ち運ぶPCってなんだろうということを突き詰めていった結果、PCにとって一番大事なのはキーボードだろうということで、キーボードファーストで作ったのがtype Pです。
フルサイズに近いキーボードを、場所を問わずに持ち歩いて使えるPCを作ってみた、そしてそのコンセプトがとても評価された製品なのだと考えています。
ただ、その時点からだいぶ時間が経って、PCの使われ方も大きく変わりました。そうした領域ではスマートフォンやタブレットとの競争になっています。
もう一度type Pのような製品に本気で取り組むとなると、横長の製品を作るにはカスタムのディスプレイをパネルメーカーに使ってもらって、キーボードもカスタムで起こさないといけない。そこに踏み込むのはなかなか判断が難しいというのが現状です。
――PCG-C1、type U、type Pに代わり、今求められているものはなんでしょうか?
林 ソニーという会社は、何でもかんでも小さくしてやれという文化がある会社で、持ち歩く必要があるもの、それこそノートPCに限りませんが、どんなものでも小さくするという意識がありました。
そうした文化の中で出てきた「type U」のような製品は、新しい体験をどう作り出していくかということを議論した結果でした。
例えばtype Uがあると、一眼レフのバックアップデバイスとして使うことができた。今ならその役目はPCではなくて、スマートフォンだと思います。しかし、当時スマートフォンはなかったので、一眼レフのデータをバックアップするデバイスとして小型PCがあったら……、そういう発想からああいう製品が生まれました。
もちろん、あの製品を作るにあたってカスタムのディスプレイやキーボードなどを作り、非常に大きなコストがかかっていました。とは言え、そういうのもソニー全体でバックアップするというのが、当時のコンセンサスだったと記憶しています。
では、これからのVAIOはどうするかというと、やはりPCはクリエイティブデバイスであるということは外せないですし、ビジネスのやり方は日々変わっている。そうした環境の中での「新しい体験」とは何かということを日々考えないといけないと思ってます。
小坂 特にビジネスPCについては、ユーザーが自分で選ぶものというよりは、与えられるものだと思います。例えばVAIOの社内でも最近入社した若手メンバーと話していると、PCに対する認識が全然違うということを感じます。
若いユーザーにとってのPCはクリエイティブデバイスというのが一般的な見方になっており、そういう認識に対してメーカーとしてどういう答えを持っておくのがいいのだろうか、ということを常に考えています。
――VAIOはいち早くワイヤレスWANを熱心に実装してきたメーカーです。前出のtype Pに関してはワイヤレスWANだけでなく、WiMAXも選択できる仕様になっていました。先進的過ぎたとも言えますが、それにいち早く取り組んだのはなぜですか?
宮入 個人的なお話しをすると、昔から安曇野と東京の間を行ったり来たりしていて、その間の移動時などにP-in Comp@ct(NTTドコモがかつて販売していたCFカード型のPHS通信モジュール)を利用していて、これが内蔵されていたらなぁということを常に思っていました。その当時からPCに内蔵するソリューションに注目してきて、type Pなどでの採用に至りました。
2014年にVAIO株式会社になった後では、VAIO S11というモデルで、現在の製品でもモジュールを採用しているTelitと協業することで、カテゴリ4のLTEをNTTドコモのIoT(Inter-Operability Testing、相互接続性試験)を通過した製品として製品化にこぎ着けました。
製品に導入するにあたっては、ハンドオーバーや帯域幅の変更、サポートする通信キャリアの拡大など、ユーザーが快適に使える機能を完全に実装することに苦労しつつ、製品化にこぎ着けたという経緯があります。
また、VAIOの中にはそうした電波の特性を調べるラボが用意されており、自社内でさまざまな検査ができるようになっています。昨年VAIO Zで5Gをサポートするにあたって、設備のアップグレードはすでに完了しており、万全を期しています。
現行製品ではVAIO SX14・SX12・S13などでWANをサポートしており、VAIO SX12・SX14では今年のモデルから5G対応となっています。
新しい体験をユーザーに届けるために開発を続けてきた25年
――VAIOの開発方針についてこの25年間で大きな変化はありましたか? この25年間で去った方、新しく入った方など開発者の入れ替わりが起きているとは思いますが、VAIOのDNAが現在もどのように受け継がれているか教えてください。
林 「新しい体験をつくる」というのはVAIOの一番骨格になっているので、そこは何も変わっていません。ただ、PC業界も25年前とは大きく変わっています。
VAIOが誕生した当時のPCは、エンターテイメントデバイスでもあり、コンテンツ消費のためのデバイスという側面がありました。しかし、その後スマートフォンやタブレットの普及でそうした役割は変わりました。
歴史を振り返ると、PCは何かを作り出すためのツールに変化を遂げてきたと言えるでしょう。そしてVAIOに関して言えば、時代により内容の変遷はあるものの「新しい体験をつくり出す」という根幹の部分は何も変わっていません。それがVAIOのDNAです。
――例えばどのようなことが該当するのでしょうか?
林 近年で言えばUSB Type-Cの5Vアシスト充電などがそうです。
規格から外れた充電器は受け入れませんよ、というのは簡単ですが、担当者からこれはやるべきだというアイデアが上がってきて、実際にやってみて今はほとんどの製品に展開しています。そうした細かいこだわりみたいなところでも「新しい体験を提供する」という意識を持って取り組んでいます。
新技術の原理試作などVAIO開発者の4フェーズ
――一般人からすると、開発者の方々が普段どういった働き方をしているのか興味深いところです。開発部署ではどのように仕事をしているのでしょうか?
巢山 開発のフェーズというのは大きく分けて4つあります。
1つ目は開発中モデルの開発と量産に向けての準備。2つ目は発売済みモデルのメンテナンス(BIOSやドライバのアップデートや新OSへの対応、発売後に分かった課題の解決などのこと)。3つ目は今後に向けての開発戦略の策定。そして4つ目が将来の技術や製品の原理試作(新しい技術のコンセプトが実現可能であるかを確認すること)です。
例えば、4つ目の原理施策は1.5~2年前から開発を続けるなど、それぞれのフェーズでやっている時期は異なっていますが、基本的にこれらのフェーズで仕事が行なわれています。
小坂 VAIOの開発における強みの1つに、開発チームが工場に隣接していることが挙げられます。仮に工場で組み立て時にトラブルが発生しても、開発陣がすぐに工場に駆けつけて解決できるわけです。
同じことはユーザーサポートにも言えて、サポートチームも開発陣と壁1つ隔てただけのところにいます。そのため、何か問題が発生しているなら、すぐにサポートチームから連絡をもらって、サポートチームと直接話をして解決できます。
それは、VAIO製品をお使いいただいているお客さまの問題を解決する観点でも意味があるし、将来の製品にフィードバックできるという点でも意味があります。
例えば、現行の製品では5Vアシスト充電という機能を搭載していますが、5Vアシストには関係ないだろうと思っていたところが、アップデートしたら動かなくなったなんていう経験もあります。
ファームウェアやドライバアップデートなどで充電に関係しそうなところがあれば、アップデートのたびに検証していますが、そうでないところで問題が起きたときは、カスタマーサポートから連絡が来て、青ざめながら修正したりすることになります。
宮入 自分は法人のお客さまを担当していますが、IT機器という特性上トラブルがゼロというわけにはいかない。そうした時に大事なことは、お客さまと情報をシェアして、できるだけ迅速に解決できる体制を作っていくことです。
巢山 サポートチームは我々の隣のエリアで仕事をしているので、気になるような修理品が入庫したときには、設計担当に見せて「これはこういう不良だね」と即座に調べることができます。それが次の世代のより良い製品作りにつながっています。
VAIOとしては製品開発、技術開発など将来の製品だけでなく、そうしたカスタマーサポートなども一体となって4つのサイクルを同時並行的に回しています。それが強みになっていると言えるでしょう。
――他社製品から刺激を受けるということはありますか? VAIOノートの完成度を高めるために、ライバル機種を研究するといったことも行なわれているのでしょうか?
小坂 正直に言えば研究しています(笑)。PC Watchのレビュー記事などを読んで、どれを手に入れて研究してみるかということを決めたりします。
実際に競合メーカーさんが謳っていることを深掘りして研究してみると、驚かされることもあって、これはいいなと思うこともあります。
ただ、真似したいというよりは何を目指しているのか、どういう方向性で作られているのか、そこを深掘りして研究するというかたちになります。ベンチマークで測れる部分というよりは、そうした細かな感性という部分をチェックするイメージですね。
現行製品のハイエンドはVAIO SX14・SX12、メインストリームはVAIO S13
――現行のVAIOのモバイルノートと言えば、VAIO SX14とSX12、そしてVAIO S13です。それぞれの立ち位置を教えてください。
巢山 VAIO SX14とSX12はハイエンドモデルで、VAIO S13をメインストリームと位置づけています。頂点のフラグシップにはVAIO Zがあります。
小坂 VAIO SX14とSX12はCPUにCore i7-1280Pや5Gを選択できるようにして、ビジネスユーザーが必要とする豊富なインターフェイスをサポートします。
さらにはAIノイズキャンセリングにも対応しており、モバイルPCとしてビジネスPCユーザーの方に満足していただける性能とモビリティを極めたモデルであると考えています。
VAIO S13は競合他社の製品と比べると価格帯は若干上ですが、SXシリーズの特徴を受け継いだ、VAIOらしいメインストリーム機と言えるでしょう。
――VAIOはALL BLACK EDITIONや勝色などの特別モデルを出し続けています。その意図を教えてください。
林 VAIOにはお買い求めいただいたユーザーの皆さまにワクワクしてほしいという基本的な考え方があります。ALL BLACK EDITIONや勝色特別仕様などはその象徴です。ちょっと違うモデルを選んでいただくことで、少しでも仕事が楽しくなったりすることを目指しています。
また、最近では従来のブラックのようなビジネスPCとしては当たり前のカラーだけでなく、アーバンブロンズやファインホワイトといったカラーが法人向けにも売れ始めています。
コロナ禍で、PCはビジネスパーソンにとってエッセンシャル(使うのが当たり前)な製品になっているので、会社から支給されるPCであっても、これまではビジネスPCでは採用されなかったようなカラーバリエーションが選択されるようになっている思われます。PCは毎日使うものですし、企業としても従業員のモチベーションアップにつながるということで、柔軟な対応を見せているのでしょう。
開発者の印象に残るVAIO PCとは?
――VAIOの歴史で一番印象的だった製品、例えば開発が大変だったとか、苦労したとか……そんなことも含めて一番印象的だった製品はありますか?
宮入 「VAIO Z Canvas」ですね。それまでVAIOがターゲットにしていなかったような新しいお客さまとのコミュニケーションもあり、反応も上々でした。また、米国で行なわれたAdobe MAXのイベントでも展示され、大きな反響がありました。
小坂 自分は新人だったころに対応した「type P」が印象に残っています。当時無線、それもBluetoothアンテナの担当で、Wi-Fi、WiMAX、ワイヤレスWANなども入っている中で、Bluetoothのアンテナを置くのがほとんど無理という困難に直面し、自分のキャリアの中でも一番つらかったです。いろいろと試行錯誤した結果、冷却ファンの上に置くという方法が考え出され、製品化にこぎ着けました。
巢山 思い入れがある製品と言えば、2006年の6月に発表した「type A(AR)」です。17型のディスプレイを搭載した、世界初のBlu-rayドライブ搭載モデルで、VAIOノート初のHDMI端子搭載機でもありました。デジタルチューナー内蔵で、HDDは2つ搭載かつRAID構成が可能、当時としては高解像度だった16:10のWUXGA(1,920×1,200ドット)ディスプレイを採用し、加えて外付けGPUまで入っていました。
非常に大変だったのは、その録画データをBlu-rayに書き出す機能を実装したものの、ほかに例がなく、試行錯誤の連続で非常に大変な思いをしました。最終的にはTVとかレコーダよりも先にBlu-rayを実装することができたので、その意味ではがんばった甲斐があった製品になりましたね。
林 私はPCG-505からC1まで、私の中でセットになって記憶されているモバイル製品群が一番印象的です。これらの製品がその後のVAIOのDNAを決めたと言って良い製品であり、象徴だと思うからです。
開発者それぞれが選んだベストオブVAIO
――皆さんそれぞれのベストオブVAIOを教えてください。
宮入 「type T(TX)」です。この製品で安曇野での生産体制が整ってきて、それが今のVAIO株式会社の骨格になっており、苦労して作ることになりましたが、そこに大きな意味がありました。
林 現行の「VAIO Z」です。VAIO ZはVAIOの思想を突き詰めた製品で、自分はメカ設計出身なのですが、筐体に使う素材を全く新しいものに進化させて新しい体験をつくることが、VAIOの歴史になっていると考えています。4面立体成型カーボンを新規開発することで第11世代Core H35の高いパフォーマンスとモビリティを両立した製品、それがVAIO Zなので。
巢山 VAIO株式会社になって初めてフルスクラッチで設計した「VAIO Pro 13 | mk2」を挙げたいです。個人的には試作を終えた段階で、別のプロジェクトに移ったので、最後まで担当はしていませんが、この製品が元になって今のVAIO S13・SX12・SX14につながっています。
それ以前のVAIOの製品はコンシューマ向けが中心で、この製品で初めてビジネス向けに最初からフォーカスしたノートPCになりました。これによりVAIO株式会社としての開発のパッケージングの軸ができたと言えるでしょう。
小坂 現行の「VAIO SX12」が最強のパッケージングだと考えています。12.5型のサイズに14.0型と同じ機能をすべて詰め込んでいます。フルサイズのキーボード、フルファンクションを実現したので、自分はSX12を推します。
30周年に向け、新時代に適合するVAIOならではのものづくりを目指す
――VAIOはブランド力が非常に高く、「VAIOならでは」といった表現が出るように、ユーザーからも独自性を強く評価されているように感じます。なぜ没個性に陥らないのでしょうか?
林 ブランドというのは後から取り繕うものではなくて、自分たちが何を目指したいのか、それがあって徐々ににじみ出てくるものだと考えています。一人一人のエンジニアが「新しい良い体験を実現する」という大目標を目指して実現していく、その結果としてブランドが出来上がっていくものでありたいと思っています。
宮入 どんぐりの背比べをやっていても、ブランドは確立できません。大事なことは、基礎となる軸を大事にしつつ、ユーザーが箱を開けた瞬間にワクワクするような製品を届け、性能を高めるなどして新しい体験も盛り込んでいく、それが大事だと思っています。
――安曇野FINISHのモデルには、ユーザーに対して購入を感謝するカードが入っています。それは製品の善し悪しに影響するものではないですが、そういう人の心遣いのようなものはユーザーの気持ちに響く部分かなと思います。
巢山 まさにそういう思いを伝えたいと思って、我々もあのカードを用意しています。我々が真剣にものづくりに励んでいるということを象徴するのがあのカードです。そういうことをお客さまに喜んでいただけると開発者冥利に尽きますね。
――最後に、次のターゲットになる30周年、そしてその後のVAIOはどうなっていくのか教えてください。
林 私は、この会社にいる人たち自身がVAIOの一番のファンだと思っています。25年前にVAIOを立ち上げたときから変化している部分もあるけど、VAIOを取り巻く人たちがVAIOの一番のファンであることは変わっていないと思います。
このパンデミックの後の時代でPCがどうなっていくのか、そういう時代に向け新しいPCの形を見せていかないといけないのではないか。そうしたことをしっかり考えて、VAIOのラインナップを充実させていく必要があると考えます。
概念的な話になりますが、日本はかつてものづくりが優れていると言われてきましたが、今となってはメーカーがそれに安住することはできません。
ただ、VAIOとしては日本のユーザーだけでなく、世界に向けて日本の製品はすごいんだということを本気でアピールしていきたい。それがどのタイミングになるかは分かりませんが、VAIOの製品を通して日本のものづくりのすごさを伝えられるように取り組んでいきます。
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