※この記事は、ミレニアル世代のビジネスパーソンを主要ターゲットに、政治、経済、金融、テクノロジー、企業戦略、スポーツなど幅広い分野のニュースを日々配信している「Business Insider Japan」からの転載です。
多様化する生活者の視点やニーズを掘り起こし、望ましい未来を描く構想に挑んでいる パナソニック。その挑戦を根底から支えているのが、事業横断で「デザインリサーチ」を行うチーム「リサーチラボ」だ。
デザイン経営に不可欠と言われるデザインリサーチを駆使した横断的リサーチ活動とは、いったいどんな取り組みなのだろうか。
チームの一員として活動するパナソニックデザイン本部のFLUX(フラックス)インサイトリサーチャー・藤川恵美氏と未来創造研究所のコンサルタント・伊東梢氏、そしてチームの活動をサポートしているインフォバーンのデザイン部門IDL[INFOBAHN DESIGN LAB.](以下、IDL)で部門長を務める辻村和正氏に、デザインリサーチの実際と可能性について聞いた。
事業の枠を超えた横断的リサーチチーム
1950年代、当時としては極めて珍しい企業内デザイン部門「宣伝部意匠課」を設立したことで知られるパナソニック。その伝統は受け継がれ、2021年にデザイナー出身の臼井重雄氏が執行役員に就任している。
リサーチラボは2022年、リサーチ活動を強化するためにスタートした。
「正式な組織ではなく、どちらかというとバーチャルチームのような形で立ち上がりました。社内のさまざまな部署に分散しているリサーチャーが連携すれば、相乗効果の創出や効率化が図れるのではないか。新しい手法を習得したり、リサーチ力を全体的に底上げしたりできるのではないか。そうした目的で活動しています」(伊東氏)。
n=1のユニークネスが突破口になる
そもそもデザインリサーチの調査は、いわゆるマーケティングリサーチとは手法も目的も大きく異なる。
マクロトレンドの調査・分析で浮かび上がったトレンドを実践するエクストリームユーザー(徹底した行動パターンを持つ極端なユーザー)と定点的に対話し、その人の価値観やライフスタイルを分析して、インサイト(本音や潜在的なニーズ)を引き出すことが狙いだ。
たとえば 、藤川氏の所属するFLUXが、2021年度に行ったサステナビリティとウェルビーイングに関する調査では、エシカルな生活を実践している国内外の人の声を聞き、その人にとって世界はどう見えるのかを考察した。さらに、10人のリサーチャーが約1カ月間、実際にエシカルな生活を体験。そこで得た気付きやインサイトをまとめた。
インフォバーン執行役員、IDL部門の部門長を務める辻村和正氏。東京外国語大学卒業後に渡米。南カリフォルニア建築大学(SCI_Arc)大学院修了、建築学修士。国内外の建築デザインオフィス、デジタルプロダクションを経て2014年にインフォバーン入社。デザインリサーチを起点としたプロダクト・サービスデザインをリード。東京大学大学院学際情報学府にてHCI(ヒューマンコンピュータインタラクション)、建築、デザインリサーチを横断した学際的研究にも取り組む。
デザインリサーチを研究・実践してきたIDLの辻村氏は、デザインリサーチにおけるプロセスの重要性を指摘する。
「いまや『デザイン』がカバーする領域は広がり、最終的なアウトプットだけでなく、そのプロセスや実践過程も対象としています。デザインリサーチもプロセスが大事。情報を調べるだけでなく、それを実践し、自分で手を動かすというプロセスを通して得られた「デザインの知」をほかのプロセスやプロジェクトに接続させ、新たな知の生態系を生み出すんです。
対象とする被験者のパーソナリティや選定する人工物のユニークネスも重要で、n=1であっても、それがほかの人にも受け入れられるような新しいものを生む突破口になり得ます」(辻村氏)。
望ましい未来に必要なレジリエンスを探る
リサーチラボはIDLとともに、過去の事象をもとに望ましい未来を探る「トランジションデザイン」という手法を用いて、「未来に必要とされるレジリエンス」の考察にも挑戦した。
参加したデザインリサーチャーは12人。ワークショップを3回開催し、「レジリエンス」という抽象的で解を持たないテーマを要素分解し、望ましい未来のレジリエンスの姿をめぐって議論した。
IDLは、史実の調査に基づく資料提供やファシリテーションを通し、参加者が考える「当たり前」に疑問を投げかけていった。そうやって既成概念を超えた思考へと促し、チームによるインサイトストーリーの制作をサポート。その後、リサーチラボはワークショップで得た気付きをもとに提言をまとめ、2022年12月に開催された社内向けのカンファレンスで展示発表した。
トランジションデザインの導入を提案した辻村氏は、その特徴をこう話す。
「未来を描こうとするとき、普通は先を見る『フォーキャスト』の観点で考えると思いますが、トランジションデザインでは過去に戻って考えます。戻る地点は、史実の解釈を行いながら、ある事象における価値観のドラスティックな変化を見極めるのに、十分な情報量が集まったと判断がつくところまで。時には江戸時代まで戻ることもあります。
時間を直線的に捉えるのではなく、未来は過去の中にあるものとして『円環的な時間』として捉えるんです。そのために必要な歴史的な情報を提供しながら、思考を深掘りしてきます」(辻村氏)。
パナソニックデザイン本部FLUXのインサイトリサーチャー、藤川恵美氏。英国Royal College of Art大学院修了、インタラクションデザイン修士。オランダのPHILIPS Designでヘルスケア関連のユーザー調査・インタラクションデザインに従事後、趣味で始めたヨガの知識を深めるために渡印。Arsha Vidya GurukulamでSwami Dayananda Sarasvati jiに師事し、ヴェーダーンタとサンスクリット語を学ぶ。帰国後、慶應義塾大学院メディアデザイン研究科のGlobal Innovation Design特任講師を経て、2017年にパナソニック入社。多様性が尊重され誰も取り残されない望ましい未来を描くため、生活者起点でのインサイトリサーチに取り組む。
そこでIDLが提供した情報とはどんなものだったのか。藤川氏は、「トランジションデザインでは膨大な数の歴史事象を参考にする必要があるが、IDLはただ単にレジリエンスに関する歴史事象を集めるのではなく、何かしらインスピレーションを与えるような興味深い事象を提示してくれた」と語る。
「たとえば 、1854年に起きた安政南海大地震。当時は目上の人を助けなければいけないと命を失った人が多かったそうです。一方、2011年の東日本大震災では『津波てんでんこ』(『津波が起きたら各自ばらばらでもいいから逃げろ』という言い伝え)が浸透し、それぞれが自己判断で逃げて助かったというケースが注目されました」(藤川氏)。
この2つの事象から、生き残るために必要な判断をする際に、思いやる「他者」の存在とその存在感の強さに対する価値観が変化することを考察できたという。
「未来を考えることは難しいけれども、過去の事象と現在との比較や考察を支えとして未来を描いていく点がトランジションデザインの醍醐味です」(藤川氏)。
パナソニックデザイン本部未来創造研究所 ナレッジ&HCD推進課のコンサルタント、伊東梢氏。「顧客起点による商品・サービスの価値創造」の実践を目指し、生活研究の知見を生かし、ビジョンデザイン・ソリューション提案を実施。デスクリサーチや定量・定性調査、有識者インタビューなどを用いて、人・くらしの分析からビジネスインサイト抽出まで、事業活動に寄与するコンサルティングを推進。リサーチャー視点での市場データ提供やトレンド分析など、未来創造研究所が推進するプロジェクトを支援するためのナレッジポータルの開発も行う。
「未来を考えるときに過去に戻るという手法は斬新だった」と語るのは、伊東氏だ。
「リサーチャーは、リサーチする前に質の良い仮説を立てなくてはなりません。そのために過去にさかのぼることは効果的だと思いました。
変わらないこと、変わったことを見つめ直し、伝えるべきことは何か、気付きは何か、一人ひとり『Miro』(オンラインホワイトボード)に書き出していく。それが最終的にはあるべき未来に対する良い仮説になり、未来に必要なレジリエンスの提案に肉づけていくことができました」(伊東氏)。
価値観の変化をリアルに捉え直す
パナソニックには、藤川氏が所属するデザインR&Dチーム「FLUX」と、デザイン・コンサルティング機能を担う伊東氏の所属先「未来創造研究所」、そしてデザインスタジオ「FUTURE LIFE FACTORY」の3部署がある。
辻村氏は、未来を描く組織が3つもあることは「パナソニックの先進性を表す象徴」と感じたという。
「合理的に説明することが難しいトランジションデザインに挑戦する企業はなかなかないと思いますし、これまで色・もの・形を作るといったバリューチェーンの最後の作業を担うことが多かったデザイナーが、ビジョンという『今、ここにないもの』を考える最前線のプロジェクトを、社をあげて推進している。これは、経営層がデザインの可能性を正しく理解しているからこそだと思います」(辻村氏)。
提供:パナソニック
たしかに、「Future Craft」というデザインフィロソフィーを掲げるパナソニックは、「望ましい未来」を生活者視点で丁寧につくりあげようとしている。
2018年に国が「デザイン経営宣言」を打ち出したように、社会にとって「望ましい未来」を構想していくデザイン的アプローチは、もはや企業として避けて通れない課題になった。その実践において、デザインリサーチは企業の未来を考える起点であり、土台とも言える取り組みなのだ。
そして、デザインリサーチャーたちは単なるリサーチではなく、価値観の変化をリアルに捉え直し、未来を紡ぐ思索と試作に挑んでいる。
パナソニックはその先端を走る企業だが、それでも「数の論理でなければ納得感を持ってもらえないという壁に当たることもある」と藤川氏は言う。
「マーケットリサーチをして改善し、より良い商品をお客さまのもとに届けることももちろん大切なことだと思います。でも、今は人々の価値観が変わり、生活の仕方も複雑になってきている。家で仕事もできる時代です。そうしたなかでは、今までの商材の延長線上だけでなく、価値観の変化に伴った生活体験を提供していくことが大事だと思っています」(藤川氏)。
本来の目的は何なのか。本当に解決したい課題は何なのか。未来を描くうえで重要なのはそこだ。
「たとえば キッチン家電の場合、その家電自体を提供するだけでなく、『楽しい食事の時間』や『美味しいという感覚』、『ウェルビーイングにつながる食習慣』を提供したいんです。だから、常に価値ドリブンでビジョンを考え、つくるようにしています」(藤川氏)。
そうしたリサーチラボの挑戦に対して、情報やツールという「道具」を提供し、不確かな対象に輪郭を与えていくサポートをしているのがIDLだ。
「デザイン思考で未来を捉える考え方が広がれば、必然的に事業部の壁はなくなり横断的な活動ができるはず。商品開発だけでなく売り方を含め、お客さまの手に届くまでのプロセス全体に、デザイン思考が浸透していってほしいですね」(藤川氏)。
無意識の「レンズ」を取り払ってくれる存在
そのために、リサーチャーたちは数々の課題に取り組んでいる。
「デザイン思考は人起点。人の心を捉えるときに、これまでリサーチャーは性や年代といった属性で区切ってきましたが、価値観が多様化して、性別や年代が関係ないところの価値観群で人を見ていかなければなりません。そのときにどのように価値観を区切っていくべきか、共感し合う人の群はどうやって作るのか、前例がほとんどないので私たちがつくらなければならない」(伊東氏)。
価値観とひとくくりに言っても、今は人だけでなく、気候変動問題のように人以外の視点も必要になるなど多元化している。
「トランジションデザインの特徴は多元的、長期的、学際的であること。土地や地域固有の土着的な特徴に着目し、今に至るまでの長い期間に生じた変化や変化しないものを、横断的かつ多角的に解釈して、望ましい未来を思索・試作していく作業です。
パナソニックのリサーチラボのように、さまざまな専門性を持つ人たちが社内横断的に協働する体制をしいて取り組むことは、学際性という意味でも大きな意義があると思います」(辻村氏)。
そうやって思索と試作を繰り返したプロセスを見える形で共有し、アーカイブとして蓄積して使えるようにしておくことも、デザイン経営を社内に浸透させていくためには欠かせない。
「そのプロセスに加わっていない人にも、発想の軌跡を理解し、共感してもらうために、リサーチで得られた『デザインの知』を道具として活用してもらうことが重要だからです」(辻村)。
トランジションデザインという新たな手法を用いて、未来のレジリエンスの姿を描くことに挑戦するパナソニックのリサーチラボ。チームにとって、IDLはどんな存在なのだろうか。
「社内にいると、無意識のうちにパナソニックというレンズを通して物事を見てしまっていると思うんです。IDLはそれを取り除き、新しい気付きを与え、視野を広げてくれる。今後もそういう存在であってほしいと思います」(藤川氏)。
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