長崎にはロシアがある。
と言っても「どうせロシアって名前の店とかご当地グルメでしょ」と言われそうだが、嘘でも冗談でもない。長崎には正真正銘のロシア領がある。
しかも観光地・グラバー園や大浦天主堂のすぐそばである。長崎だけど長崎じゃない、日本だけど日本じゃない、そんな世にも不思議な場所を紹介したい。
・風光明媚な南山手の一角に…
その場所があるのは、かつて外国人居留地があり、今では観光地となっている長崎の南山手地区。
グラバー園から徒歩3分ほど、海や港が見える坂道のすぐそば、風光明媚な場所である。
蔦が生い茂る煉瓦塀のあたりをぐるりと巡ると……
一見、スタジオ・ジブリ作品に出てくる古い家のようにも見えるのだが……
突如としてバラックが出てくる
観光地とは思えぬものものしい雰囲気になり
裏手にまわると、家屋が倒壊した完全なる廃墟が出てくる。
この物々しい一角にはあちこちに看板があって、よく見ると……
ここはロシア領だという説明がなされているのである。
看板に書かれているのは以下の文面。
告示
この土地は、ソ連邦の所有として昭和六二年一○日一九日、日本の法に基づいて登記されてあるところ日本政府は平成三年一二月二七日ロシア連邦をソ連邦と継続性のある同一国家として閣議承認したため、ロシア連邦の所有となったものです。
許可なく使用したり、立ち入ることを禁じます。
平成六年八月二三日駐日ロシア大使アレキサンダー・ニコラヴィッチ・パノーフ
・なんでここにロシアが?
気になるのはこんなところになんでロシア領があるのか? ってことだと思う。
調べたところ、ずいぶんややこしい国際問題をはらんでいるので、西日本新聞の報道をかいつまんで紹介させてもらう。
もともとここは1875年、帝政ロシア領事館の職員官舎が置かれていたのだが、1917年のロシア革命で帝国が消滅。土地は放置され、終戦後に家を失った人たちが小屋を建てて住み始めたらしい。
それから70年近く経った1987年、旧ソ連が所有権を主張して長崎地方法務局に登記手続きをしたのだが、今度は4年後にソ連が解体。2000年にはロシアが「(旧ソ連からの)継続性を有する国家」として住民に土地の明け渡しを求めて長崎地裁に提訴した。
ところがその後、ウクライナとロシアの関係が悪化したため、現在でも土地の名義は「ソ連」のままで、にっちもさっちもいかなくなっているらしい……。
近所の人に話を聞いたところ、このロシア領にある家屋のほとんどが空き家。かなり古い建物なので、地震や台風がくれば倒壊の危険性もあるのでどうにかしてほしいけど、ロシア領なので長崎市としてはどうにもできない……とのこと。
・抗議により取材中断
と、周囲の写真を撮っていたら、急に声がした! どうやら住民に見つかってしまったようだ!
バラックの中から大きな声をあげて近づいてくる住民……。
Мяу!
Мяф!!
Мяу!!!
何を言っているのかわからないが、かなりご立腹の様子だ。
なんとも風格のある姿。もしやこの方が、看板に名前のある駐日ロシア大使アレキサンダー・ニコラヴィッチ・パノーフ氏かもしれない。
パノーフ氏(?)の猛抗議により取材は中断となってしまった……。
・なるべく早く解決してほしい
住人のいる家屋はともかく、バラックとなってしまった廃屋はかなり危険な状態である。というか、すでに半倒壊している家もある。
長崎は台風が直撃するうえに、ロシア領のある場所は急斜面。いつ事故が起こってもおかしくない状態である。日本なのかロシアなのかわからない、この宙ぶらりんな場所でなにか大きな事故が起きれば、責任や補償問題など面倒なことになるのは明らか。なるべく早く解決してほしい。
ロシアによるウクライナ侵攻が起きている今、まさか地元長崎でも領土問題が起きているとは思わなかった。