世界一コスパ良く寿命伸びた日本 – みんなの介護

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米国イェール大学助教授の成田悠輔氏は、その鋭い分析力で現代日本社会の問題を鋭く看破する賢人だ。そんな成田氏に、人手不足など介護をとりまく諸問題への見解をいただいた。またデータを専門とする氏に、暗いニュースばかり流れる日本で何か明るいデータはないかと聞いてみた。

取材・文/みんなの介護

人材不足は介護業界の問題だけではない

みんなの介護 中編では、日本の介護にまつわる諸問題についてお聞きできればと思います。介護業界は賃金の低さや、キツいというイメージから長年人手不足という問題を抱えています。どんな解決の道があるとお考えでしょうか。

成田 私は専門家ではないとお断りした上で…方向性として2つしかないでしょう。1つは賃上げ。もう1つは機械化・自動化による生産性の向上です。

みんなの介護 賃上げに関しては岸田政権になって、「月額9000円」という具体的な数字も出てきました。

成田 はい。ただちょっとやそっと賃上げしたぐらいで問題が解決するレベルなのか?という疑問が残ります。

また介護業界に人が集まっても、教育・医療・福祉といったセクターに人が集まらなくなって経済全体で見れば損失になるという可能性がある。

福祉でも、児童虐待や子どもの貧困問題はどんどん大きくなる一方、まったく金にならない仕事なのでそれをケアする人手が不足しています。

みんなの介護 とすると、もう1つの「機械化・自動化による生産性の向上」の道でしょうか。「介護を生産性で語るな」という声も根強くありますが。

成田 介護だけじゃなくて、教育、医療などでも見られますよね。“生産性”より“人間同士のつながり”が大事だという意見は…。

両者は対立する概念だと思い込んでいる人が多いですが、私は逆の考えです。生産性というものは、本来人の良い部分や人と人とのつながりを強めるために必要だと思います。

いまだに学校では教師が延々とプリントを印刷する、土日返上でともかく部活に付き合うなんてことをしていて。機械化を怠ったため、本来人が担う必要がなかった役割を人が背負わされているケースが多くあります。その結果、教師が人間らしく生徒に向き合う余裕が奪われてしまっている。

生産性を上げることは、人と人とが笑顔で生き生きと繋がりをもって活躍できるためにこそ必要なのです。個々人の根性や頑張りに依存しなくても、サービスや組織、制度を持続可能なものにできる。

「生産性」を何か他の言葉で言い換えるべきでしょうね。障がいがある人や身体を壊してしまった人を「生産性が低い」と排除してしまうような連想をさせてしまいますから。

人間関係で責任を背負い過ぎると一緒に沈没する

みんなの介護 日本では家族の介護を真面目に背負いこんで介護者が苦しむ、共倒れのような状況がよく見られます。「老々介護」や「ヤングケアラー」なども社会問題化しています。これについてはどうお考えでしょうか。

成田 やさしい人であればあるほど「見殺しにするぐらいなら共倒れした方がまだマシ」と感じてしまいます。私もそういう心情を持ってしまうタイプの人間なので理解できます。

しかし、その感情からどう自分を救うか。どうしたらそれ以外の見方や生き方をしても良いんだという心情になれるかが鍵だと思います。

そもそも私たちは家族関係や人間関係に深い意味を見出し過ぎるきらいがあります。そして、責任を感じることがもたらすストレスや社会問題がとても大きくなってしまっている。

責任を感じることは、人口が増えて成長していく社会で家族や企業を組織していく局面では良い方向に働きます。しかし今の日本は、だんだん人口や経済的な成長が飽和してきて、横ばいから徐々に衰退していくステージです。

そんな社会で、老いて亡くなっていく家族や企業に責任を感じすぎると、国や社会全体みんなで共倒れするところに行きついてしまう可能性があります。沈没しかけている船でそれをやると、ボートに乗ったまま全員が死んでしまうように。

社会のフェーズが変わったことに伴って、私たちが人間関係にどれぐらい責任を負ったり、意義を見出すべきかも変わってきたと感じます。

ヤングケアラー問題について言えば、物心ついたときには気づけばそうした環境に置かれているケースが多いと思います。違うチャンネルがあるよと見せて伝えることが社会の義務になってくるのではないでしょうか。

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