コロナより恐い 人間の恐怖心理 – 自由人

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■「百戦百勝は善の善なるものにあらず」

 現在、自民党の総裁選の話題で持ち切りとなっており、4候補者がそれぞれ4者4様にコロナ対策について述べている。
 一方で、野党は、自民党のコロナ対策が失敗だったと批判しているが、与党・野党ともにコロナと真正面から戦うことを訴えているという意味では何ら違いはなさそうに見える。

 勝算が無いにも拘らず無謀に戦いを挑むその姿は、恰も、空を飛ぶ戦闘機に対して「竹槍で戦いを挑む」と意気込んでいるような姿を彷彿とさせる。

 目に見えないウイルスとの戦いというのは、ある意味、幽霊と戦っているようなものなのかもしれない。目に見える害虫との戦いであれば、如何様にも具体的な戦法が見い出せるだろうけれど、目に見えない敵との戦いにこれと言った戦法など見い出せるわけがない。

 有名な「孫子の兵法」に次のような言葉がある。

 「百戦百勝は善の善なるものにあらず

 その意味するところは、「百回戦って百回勝つのが最善ではなく、戦わずして勝つのが最善である」ということ。「孫子の兵法」において最も重要な「戦わずして勝つ」を示した言葉でもある。

 個人的に、ウイルスとの戦いは、この「孫子の兵法」に則ることこそが必要だと思う。

■「敵を知り己を知れば百戦してあやうからず」

 コロナ禍によって判明したことは、本当に恐いのはコロナではなく、むしろ、人間の恐怖心理であるということ。目に見えないということは、少なくとも人間の目には有るか無いかも分からないということを意味している。

 例えば、霊能者に「あなたには先祖霊が付いているので除霊しなければ不幸になる」と言われれば、その言葉を真に受けて、法外な除霊料金を支払って除霊をしてもらう人がいる。
 先祖霊というものは確かに存在するだろうけれど、その先祖霊が本当に子孫に取り憑いているかどうか、あるいは子孫に悪さをするかどうかは本物の霊能者でしか分からない。

 しかしながら、霊能者を自称する者から「あなたには先祖霊が付いている」と言われても、それが本当かどうかは確認のしようがない。
 そのため、ここでまず必要なことは、その霊能者が本物か偽物かを知ることになるが、それは残念ながら分からない。ゆえに、当人が霊とは何か? 先祖霊とはどういうものなのか?ということを知ることが重要になる。つまり、本物・偽物に関係なく霊能者の言葉を鵜呑みにするのではなく、自分で知見を得て、自分である程度、本物と偽物の区別ができるようになることが望まれる。

 他人の権威や肩書きを信じるのではなく、自分自身で知見を得て判断力を磨くことによって、自分の身は自分で守るというスタンスを持つこと。そういったスタンスを持ち続けていると、霊能力が無くとも、ある程度、本物と偽物の見分けが付くようになってくる。

 ウイルスについてもこれと同じことが言える。他人の権威や肩書きよりも、自分自身の判断力を信じること。これが最も重要なスタンスとなる。そのためには、他人の意見に依存するのではなく、自分自身の判断力を磨いていく努力が必要になってくる。

 このことを「孫子」の言葉で言うと次のようになる。

 「敵を知り己を知れば百戦してあやうからず

■コロナとの戦いは「戦わずして勝つ」

 では、「先祖霊」を「コロナ」に置き換えて考えてみよう。

 ここで重要なことは、先祖霊が見える霊能者は存在し得ても、コロナが見える専門家は1人もいないということ。つまり、頼るべき人は誰もいないということであり、自ずと信用できるのは自分の判断力だけということになる。

 各専門家の語っていることが「真」であるのか「偽」であるのかを自分自身の知見で判断しなければ本当のことは誰にも分からないということである。

 目に見えず得体の知れない幽霊のような敵に対して、百戦を挑んでも勝つ見込みなど立たない。そういう意味では、与党・野党ともに政治家の言っていることは、あまり期待できず、負け戦になる可能性の高い危険な戦法だとも言える。

 コロナとの戦いで最も重要なことは、おそらく「戦わずして勝つ」が正しい。ヘタな戦いを挑まなければ必勝であるにも拘らず、国民のほとんどが「敵は恐い」「敵は強い」という暗示にかかり、一億総玉砕に突き進んでいるのが現状ではないかと思う。

 本当に恐いのはコロナではなく、人間の恐怖心理だと知ること。戦うべきは、コロナではなく、自分自身の恐怖心だということに気付くこと。それが、コロナに勝つ最も有効的な手段であり戦法でもある。

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