ポスト田原総一朗?ABEMAの名司会 – 宇佐美典也

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元経産省官僚の宇佐美典也さんに「私が○○を××な理由」を、参考になる書籍を紹介しながら綴ってもらう連載。第20回のテーマは、宇佐美さんも出演するインターネット報道番組「ABEMA Prime」のキャスターを務める平石直之アナについて。平石アナなら長らく誰も崩せなかった田原総一朗氏の牙城も崩せる、と指摘します。

私が「平石直之アナなら“ポスト田原総一朗”の討論番組を作れる」と思う理由

私はインターネット上の報道番組「ABEMA Prime」(以下、アベプラ)にコメンテーターとして出演させていただいている。早いもので初出演から4年にもなり、その間に進行役のキャスターは小松靖アナ、小川彩佳アナと来て、現在は3代目になる平石直之アナが務めている。

アベプラはキャスターの個性が番組に色濃く反映されるが、今私が感じているのは平石アナが「化けた」ということだ。

その平石アナが最近「超ファシリテーション力」(アスコム)という著作を出版されたので読んでみた。

ロボットのようだった平石アナの進行

テレビ朝日公式サイト

やや粗くなるが一出演者としてのキャスターごとの印象を語らせてもらうと、小松アナの頃は話題となる時事に対して切り込んである程度「番組としてのスタンス」を明らかにする傾向があったし、小川アナの頃は多様な主体の社会参画というものを意識して番組が取り上げる議題の幅が広がる一方でバラエティ的な要素が増していたような気がする。

そして平石アナの時代になってからというと、討論番組としての色が増したように思える。番組の知名度が増してゲストが徐々に豪華になったという側面もあるのだろうが、その原動力となったのが本書のテーマになった平石アナの「超ファシリテーション力」ということなのだろう。

当初の平石アナの印象は「この人はアナウンサーという名のロボットなのかな」といったところで、何事もそつなくこなすものの人としての顔が見えない、というものだった。それが今や番組の中心で、自民党総裁選候補者、各政党幹部、連合会長、尾身茂コロナ対策分科会会長…といったさまざまな豪華なゲストが来ても臆さずに議論を辣腕でぶん回している。

番組には時間の限りがあるものでしばしば強引な仕切りをせざるを得ないことはあるわけだが、それでも地上波に比べれば未だ視聴者が一桁少ないインターネット番組に豪華なゲストが来続けてくれるのは、平石アナのバランスの取れたファシリテーション力とそれを活かすスタッフの番組作りがあってのことなのだろう。

出演者をリピーターにするファシリテーション力

具体的に本書に記載された平石アナの議論のファシリテーションの肝は以下のようなものである。

・キャスターという立場であっても議論を効率化させるために、予めアジェンダに対する仮説を自分なりに持っておく。ただし、それはあくまで議事の整理のためで、議論が始まったら仮説自体には拘らない。
・参加者全員に打席が回ることを意識し、「話したい人」を見逃さないよう参加者全体の表情や姿勢に常に目を配らせておく。
・初登場のゲストに対して「私はあなたの味方ですよ」と暗黙の意思表示をしサポートする。
・議論を活性化させるよう「反復」「要約」「同調」を繰り返し、ファシリテーターとして拡声器、翻訳機の役割を果たす。

これらのノウハウは誰もが仕事に活かせるようなことも多そうで、詳しくは是非本書を参照されたい。私個人としては、出演者としても種明かしをされるようで読んでいて他にも得心することがたくさんあったのだが、どれもこれも番組として「後味の悪い会議になることを避け」て、出演者をリピーターにするということにつながっている。

タブーに切り込み政治を動かした田原総一朗氏

BLOGOS編集部

こうした平石アナのファシリテーション術との対比で頭に浮かんだのは、昭和―平成を代表するキャスターで「朝まで生テレビ!」「サンデープロジェクト」を生み出した田原総一朗氏のファシリテーション術である。

田原氏のファシリテーション術の肝は「タブーに切り込む」というものだったように思う。天皇制や同和問題といった、かつて社会として取り上げづらかった領域をテーマとし、議論の過程でゲストに対峙して矛盾点に切り込み各論客の資質を問うていくというものだ。田原氏は後日「朝生」について対談で、「(議論を通して)問題解決をする気はない」「他のテレビ局がやらないことをやるだけ」ということを明言しており、エンタメ最優先の考え方をしていたことを明かしている。

視聴者はこの「タブーに切り込む田原VS返答に困り言い淀む論客」という敵味方の構図にエンタメとして熱狂したわけだが、それが何かを生み出したかというと追及型の政治文化であったように思う。

実際サンプロでの発言をきっかけに宮沢喜一氏、橋本龍太郎氏という二人の首相が退陣にまで追い込まれたし、1990年代から2000年代の政界では長妻昭氏、蓮舫氏、辻元清美氏といった追及型の国会質問スタイルを採る政治家が権力の欺瞞を暴き人気を博した。それは評価すべきであるように思うし、こうした議員の活躍が国民の支持を受け2009年の民主党政権交代につながったことは間違いないだろう。

しかしながらいざ誕生した民主党政権は「追及する相手」がいなくなるとまとまりを欠き、マニフェストや普天間基地沖縄県外移設といった穴だらけの政策を今度は野党となった自民党から追及されるとその批判に耐えられず、あえなく瓦解することになった。当たり前だが権力の追及に特化したスタイルには、自らが権力となったその後のビジョンがないのである。

平石アナなら朝生を打破する討論番組を作れる

それを国民は身をもって体験したわけで、先の選挙で立憲民主党と共産党を中心とする野党共闘が必ずしも国民から支持を獲ることができず、追及型の政治スタイルを採っていた複数の国会議員が落選したのは国民のこうした意識の変化を反映してのことだろう。

私はこうした文脈を考えると、議論に答えを求めずに「追及」というエンタメの構図を演出することを目指す田原総一朗氏のスタイルはもはや時代の要請に応えられない「オワコン」になったと思っている。

これからの時代にはどこかの政党の標語ではないが「対決より解決」を志向した議論が求められるし、そのためには特定の相手を追及するような議論のスタイルではなく、参加者の良い提案が評価されていくようなファシリテーションがメディアにも求められるようになっていくのだろう。

そういう意味では、私は平石アナなら長らく崩せなかった朝生のあの不毛な議論スタイルを打破して、建設的な討論番組を作れると思っている。一出演者としてアベプラがその土台となってくれれば幸いである。

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