五輪の失敗「復興」大義が迷走か – 片岡 英彦

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今となっては話題にすることさえ憚られるようになってしまった東京五輪が開幕します。組織上の問題、運営上の問題、コロナ禍での判断や対応の誤り、問題は多々あったと思います。ここでは、国民との「コミュニケーションの失敗」に絞って考えます。「失敗から何を学ぶか」という視点で、「ではどうすれば良かったのか」と広報という視点からあえて考えたいと思います。

私は東京五輪のコミュニケーシ上の失敗の本質は、誘致の際に「復興五輪」という言葉を、あまり深い考えもなく使ったことにあると考えています。

「復興五輪」という言葉は、東京五輪の「大義」として誘致決定の当初から非常に重要な“パワーワード”でした。震災直後のタイミングで商業五輪を誘致することには当時から賛否ありました。しかし「復興五輪」という言葉の「響き」に反対意見もやがて収束した感があります。

この時点では「復興五輪」は唯一最大の五輪開催の「大義名分」だったのです。

仮に事後的であったとしても、すぐに「復興五輪」をコミュニケーション活動の「軸」に据えるべきでした。しかし、いつの間にか東京五輪の本質は変わっていきます。どのように変わったかというと、バブル時代を彷彿させる何千億といった規模の「ハコモノ」の建造がネガティブな話題となり始めました。

無駄遣い、利益誘導、そして、盗作問題、女性蔑視、障碍者虐待、、、「復興五輪」というキーワードとは相いれない「らしからぬ」ものへと変容していきます。次第に多くの人たちからの「共感」を失い、心が離れて全てが「逆風」へと変わっていきます。

ではどうすれば良かったか?

そもそも「世界に向けて復興をPRしたい」という思いを被災地は持っていたのでしょうか。そうした思いがなかったとは言いませんが、私はそんなに強いものとは感じませんでした。

コミュニケーションは相互理解を目的とする行為です。相互理解は共感関係を醸成していく活動です。東京五輪が「復興五輪」という大義で貫かれていたならば、まず成すべきコミュニケーシは海外向け情報発信ではありません。派手なキャンペーンでもありません。

むしろ、、、行うべきだったのは 「復興が進む被災地との良好な関係の構築」でした。

この辺りのコミュニケーション戦略に当初から大きな掛け違いがあったのではないでしょうか。

運営側には「世界に向けて震災からの復興をアピールできたら」くらいの漠然とした被災地への思いはあったかもしれません。ただ、具体的にどういう形のコミュニケーションが「復興五輪」にふさわしいのかのイメージは共有されず、逆に被災地の「思い」は、招致決定後も置き去りだった印象があります。

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あの日から10年の間、東北(被災地)の人たちは頑張って生きてきた。この事実をまずは日本国内で共有する。言葉や映像でどんなに上手く世界に向けて発信してもそれだけでは伝わらないかもしれない。ただ、仮に世界中には伝わらなくても、日本国内で少しでも分かってもらう。

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こうした「思い」を被災地とまず最初に共有されるべきだった。

ところが、旧来型の業界団体(生産者)目線でのコミュニケーションですと

「復興を世界にアピール」→「風評被害を減らす」→「地元特産品や観光ビジネスの訴求」→「地域経済の活性化」

どうしてもこのような切り口で展開されてしまいます。こうしたコミュニケーションに「生活者」の視点は存在していません。

高度成長期やバブル期の頃とは違って、東日本大地震やコロナ禍を通じて、今日では東北に限らず「生産者=生活者」です。むしろ「生活者」としての視点が日々強くなってきています。この時計の針は逆回転することはありません。

幅広い人たちから(社会全体)から「共感」を得ることは、旧来型の業界団体(生産者)の視点からではもう成り立たないのです。

本来あるべき復興五輪の価値観を、東北の人々と日本人全体が共有できるようにそうした「思い」を醸成していく。そして、その「思い」を世界に向けても広げていく。地に足のついたコミュニケーション活動が、東京五輪の成功の上では欠かせなかったのです。

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10年前に日本にはああいう辛い出来事があった。不幸にも多くの人の命を失った。図らずも世界中に不安を与えてしまった。

しかし、多くの支援を世界中から頂いた。まだ成し遂げられないことも多い。これからの課題も大きい。だが、我々の復興はここまで進んだ。

今の東北を多くの人に見て頂きたい。

そのために東京ができること、日本ができること、世界ができることは何か?

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このような多くの人が共感できる「大きな物語」を提案し、東京五輪のコミュニケーション活動を通して展開できなかった。

そして・・・

バブル時代を彷彿させる「ハコモノ」の建造、利益誘導、さらに、盗作、女性蔑視、いじめ(暴力)・・・伝わるメッセージの多くが、「復興五輪」という言葉とは相容れないものでした。そこにコロナ禍が追い討ちをかけます。一度アゲインストな空気が出来上がりますと、ネット社会ではこの空気はもう逆戻りは難しい。そして、国民が話題にさえしにくい「腫れ物」のような空気が出来上がってしまう。

私は東京五輪のコミュニケーション上の失敗は、「復興五輪」という大義が誘致決定の直後から見失われたことにあると考えます。この唯一の大義名分が失われたことで、その後のコロナ禍での開催に批判的な意見が出始めた時に、「そもそもどうして五輪を東京で行う必要があるのか?」に明確な「解」を持ち得なかった、そんな風に思っています。

五輪失敗から我々が学ぶべきことは、これからの時代のコミュニケーションは、我々が「何を発信するか」という「手法論」ではなく、「我々は何者であるべきか(どうあるべきか)」という「在り方(存在)そのもの」に広報活動の本質があるのだと思います。

私は広報関連の専門家ですので、あえて「方法論」として「失敗から学ぶこと」をまとめました。

乱文、悪文にて失礼。

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