■急激な「グローバル化」が「中間層」を没落させた
衆議院選挙報道で各政党の街頭演説が行われていたので、少しだけ横目でテレビを観ていると、自民党の岸田首相が以下のようなことを述べられていた。
「経済成長と分配の両方が大事だと言っているのは自民党だけです」
左翼政党が「分配」ばかりに目を向けているというのは、その通りだと思う。しかし、「経済成長」というお題目を唱えているだけでは、あまり大差が無いような気もする。
岸田首相がよく言われている日本の「中間層」が没落した原因にまで言及しない限り、「中間層」の復活(=経済成長)は有り得ないのではないかと思う。
では、日本の「中間層」が没落した原因とは何だろうか?
それは、もちろん、急激な「グローバル化」である。
急激なグローバル化がなぜ悪なのか?というと、物価(人件費)の安い国に仕事が流れ、一部の産業が空洞化することにある。一国の中で様々な産業が根付かない社会、それがグローバル社会の特徴でもある。グローバル化の悪弊には以下のようなものがある。
●国際分業化を進めると物価の高い国の国民はまともに働いても報われなくなる
●物価の高い国の国民は才能が有っても価格競争の前にひれ伏してしまう
●製造業が成り立たなくなり、金融業に流れていかざるを得なくなる
日本の「中間層」が没落した原因は、あまりにも急激なグローバル化の進展のため、国内における多くの製造業が成り立たなくなったことにある。1円でも安価な労働力を求めて、本来、才能も素質も有る日本の労働者が1円の差で仕事を失ってしまうという汲々たる現実を味わい、やる気を削いでしまったことにある。
しかし多くの人々は、経済に疎いため、そういった悲劇の原因がグローバル化にあることに気付かず、それが世界の流れなのだから仕方が無いと諦観した。労働に携わっている当の本人達に原因が解らなければ、そこから抜け出すことはできないし、政治家に対しても何を期待していいのかすら解らない。
■日本の「中間層」が没落したメカニズム
「近代経済学の創始者」と言われるデヴィッド・リカードが説いたとされる「比較優位説」は、一見すると合理的な理論に映るが、実体はグローバリストに都合の良いお金儲け理論であり、万人に幸福を齎すような理論とは言えない。
イギリスを例に出すまでもなく、製造業を失った国々は、実体労働を伴わない金融業にシフトしていかざるを得なくなる。その結果、労働よりも金儲けが優先されるようになっていく。
「働くことは良いことだ」と言っても、肝心の精を出すべき仕事がなければ、身体ではなく、お金を動かすことで生計を立てることが最も合理的だという判断に行き着いてしまう。
実体経済とマネー経済では、お金儲けの基準が大きく変化する。物を製造・販売して得られる利益などはたかがしれているが、金融商品を売買して得られる利益は、物を売買して得られる利益とは比べ物にならない場合がある。
例えば、メルカリで物を売って得られる利益と、メルカリ株を売買して得られる利益を比較した場合、その顕著さは明らかだ。
株は売買して必ず利益が得られるものではないにしても、上手く売買すれば、労せずして1日(1時間)で、何万円もの利益が出せる。しかし、メルカリで1日中、商品を出品して売れたとしても、手元に残る利益はたかが知れている。販売する商品の元値にもよるとはいえ、労働して得られる利益と、お金を動かして得られる利益は、明らかにケタが違ってくる。
グローバル化によって製造業が衰退してしまった国の国民の一部は、金融の方に流れることになり、金融で成り上がった者と、製造業から抜け出せない者の差が大きくなる。それが、日本の格差拡大のメカニズムでもあり、中間層が没落した大きな原因でもある。