皇族離脱の自由は認めるべきか – 猪野 亨

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 いよいよ皇族であった眞子さんが結婚し、皇室を離脱しました。皇族である以上、公人です。その観点からさまざまな人権の制約を受けます。

 さて、結婚の自由もその1つ。憲法24条で人権の1つとして保障されていますが、皇族の場合、制約が伴います。

 それが仕方ないのか、不当なのか。
皇族の「婚姻の自由」弁護士の意見も割れた「制限は不合理」「税金で生活しているのだから」」(弁護士ドットコム)

 私は、公人であり、象徴制がとられている日本国憲法の元で国民主権の原理から一定の制約を受けるのは当然だと考えています。

 皇族が政治活動をして自民党の応援団になるなんてとんでもないし、逆に皇族が共産党員になるというのも皇室の政治利用にはなりますから、やはり問題です。
憲法の政教分離は天皇制の神格化の歯止めのためのもの 大嘗祭に公費は違憲 でも皇族の「お言葉」に期待したらダメですよ


2021年11月3日撮影

 しかし、皇族であるが故に思想信条の自由が保障されないのは、どうなのか(内心に止まる限りは絶対の自由です)。ましてや結婚の自由が保障されないのは人道的にも問題があります。

 この問題は、すべて皇族に皇室の離脱の自由が保障されていないことに原因があります。

 生まれによって同じ日本国民なのに差別的取扱を受けることの合理性です。

 今や皇室は特権階級ではありません。ストレスが溜まるだけの辛い立場です。

 明治や昭和などの時代とは全く違うのです。あのような特殊な環境に置かれてしまうことがいかにグロテスクなものなのかに思い至ることが大事なことです。

 皇族の犠牲において天皇制を存続させたいというのは、右翼層のエゴです。

 天皇制を存続させたいのは右翼層だけではない?

 ならば、皇族の中から、私は皇族を離脱したい、という表明があったら、あなたはそれを尊重して認めますか。そうした法改正に賛成しますか。

 そのことがあなたにも問われています。

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