日々のカフェインのとりすぎが気になっている。
カフェインを飲むと頭が冴えるがそのぶん胃や頭に反動がある。頭がいい感じになりつつ反動がないものを代わりに摂りたいな。
たとえばきれいな花を(視界に)注入して紛らわすのはどうだろうか。
カフェインのとりすぎだ
僕の生活は、夜にお酒を飲んでリラックスして、昼にコーヒーを飲んでシャキッとして、コーヒーで胃の調子が悪くなったら胃薬を飲むという三拍子が繰り返す。それはまるで終わらない円舞曲(ワルツ)のように……。
という生活を長らくしていたのだが、あまり体に良くないと思い始めた。実際、上記の円舞曲(ワルツ)の中に胃薬が入っているのはあまりいいとは言えないだろう。
お酒はほどほどにしてでもやめたくないが、コーヒーはやめられるならやめたいという思いがある。
水とダイヤモンドのパラドクス
ところで経済学の話で、水とダイヤモンドのパラドクスというものがある。
水は有用だが安価であるのに対して、ダイヤモンドは有用なことがほとんどないのに非常に高価である。
使用して価値が有るものが高価なのが道理であろうに逆なのはなぜだろう……というようなパラドクスである。
花がダイヤモンドなんだ
有用なものと言えばコーヒー、ほとんど有用ではないものといえば……ぼくにとっては花である。見て楽しむということで言えば、ダイヤモンドと似ている。
そこで今日はコーヒーのかわりに花を摂取することでカフェインへの依存がすこしでも収まらないかと思う。味覚と視覚を交換するのだ。
さて、どうしようか。
まずコーヒーが入ってそう(だけど入っていない)イマジナリーマグカップを用意する。
このデスクの上のマグカップに無意識に手を伸ばしたときに、花を机の上に足していく。
まずはまとめて花を買っておく
マグカップに手を出すたびに花を買いに行っては大変だ。一度出かけるたびに20分はかかる。まとめて買っておこう。花屋へGOだ。
ぼくの花に関する知識は、デンドロビウムの花言葉が「わがままな美女」であることを知ってるのみだが、花屋に行くと今が旬の花が大きく取り上げられているのでありがたい。
今の旬はシャクヤクだそうだ。
買ったシャクヤクが1本450円。なるほどコーヒー代と思えばちょうどいい気がする。だがぼくはコーヒーを多飲するのでこの値段だとちょっと高すぎる。
そういえばと思い、花がざざっと売られているスーパーへ向かった。
花屋と比べると売り場の雰囲気が野暮ったい感じもあるが、花を普段買わないのであまり気にしないことにした。花ファンの方はこれをどう感じるだろうか。
コーヒーサーバーならぬ花サーバーができた
いくつか花を買ってたものを、束にして一箇所にまとめる。コーヒーサーバーならぬ花サーバーができた。
これが花にとって良くないことだったらどうしようという不安もある。窮屈そうだからだ。でもすぐ救い出すので我慢してほしい。
さっきのイマジナリーマグカップに手を伸ばしたタイミングで、この花サーバーから花を取ってくることにする。
ではCMのあと、花のあるぼくの休日をどうぞ。
コーヒーが花になった1日を
椅子に座っては、即座にマグカップに手を伸ばし……。
花は机を小突いたりして揺らすと、同じように揺れるので「生きてる」感を見て取って感じられる。
この距離だと植物らしい香りもするので、視覚だけでなく嗅覚も楽しませてくれる。
コーヒーを取って……いや花をとる。
今回わかったこと
・コーヒーを花にしてもストレスはない
・花を愛でることで別のスイッチが入った感じ
・カフェインはもとより、何かを我慢するにはなにか全然違うものを消費するといい
花中毒になりそう
写真では伝わらないかもしれないのだが、だいぶ花に囲まれた感じがして、じゃっかん天国感を覚えた。瑞々しい植物の香りがするのもその理由だ。
このままカフェイン中毒から花中毒になったらいつか花屋のような室内になってしまうかもしれない。それかセレモニーふじわら。