2011年3月11日の東日本大震災によって、原発周辺が長らく立ち入りのできない場所となってしまったのは、皆さんもご存じの通り。
とはいえ、復興は着々と進んでいる。先に福島県双葉町を2年ぶりに訪れた時の様子をお伝えした。あちらは企業を誘致し、将来的な土地の利用プランを固めるなど、先の見通しが比較的明るいように思えた。
では、双葉町と同様に放射性物質による被害を受けた夜ノ森駅の東口側は、今どうなっているのだろう? 双葉駅を発った私は、その足で夜ノ森駅も見に行くことに。
・ある種の活気があった
夜ノ森は双葉と違い、長らく封鎖が続いていたのは東口側のみ。2年前の常磐線全線開通時に訪れた際にも、西口側はとっくに平常を取り戻していた。
東口側は県道165号線と国道6号のみ除染が完了している状態。両サイドのあらゆる脇道は完全に封鎖されていた。
封鎖の向こう側に入るには許可が必要で、一時帰宅者は貸し出された線量計を首に下げ、靴にカバーをつけるなどしていた。
つまり主要な道路と駅舎しか立ち入ることができなかった。とはいえ絶望感はそうでもなかった。建物は言うほど崩壊しておらず、多くの交差点には警備員が立っており、復興関係車両や作業員などをよく見かけるなど、悲惨度がマイルドな感じ。
ヤバさよりも、“復興を試みつつあるんだな”という活気が勝っていたのを覚えている。ぶっちゃけ双葉町は無理でも夜ノ森はどうにかなるんじゃねぇかなみたいなことを思っていた。
そして2年を経て、いい意味で予想を裏切り圧倒的に復興しつつあった双葉町。被災した土地に積極的に企業を呼び込むのは実にクレバーだ。企業が入れば土地の活用と人口増加が両方すすむものな。
あのダメそうだった双葉がイケたんだし、夜ノ森なんかはもう完全復活じゃねぇのかな? ワンチャン私の住む、パチンコ老人と昼間から公園で煙草と酒をキメる不良高校生しかいない埼玉のクソ場末よりマシかもしれねぇぞ? そんなことを思いつつ再訪。
・除染完了か?
おっ、両サイドの封鎖が完全に撤去されてんじゃん! 駅舎から出て真っ先に思ったのはそれだ。これは良い兆候。建物の除染は終わっているのだろう。
このまま県道を真っすぐ進んでいこう。たしか国道6号との交差点にあったヤマザキショップがあったはず。2年前はフェンスで覆われていた。
はいこっちもフェンスは撤去!
このまま6号を南下していくと、確か水色のアパートだかがあって、それも当時撮っている。どうなったか見に行こう。
こちらも路地の奥まで入れるようになってるぞ!
・広大な廃墟タウン
という感じで、どうやら除染はほとんど終わっている感。2年前には完全封鎖で、入り込む隙など微塵も無かったメインストリートの両サイドは、今や通行フリーな状態に!
……
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と、除染が終わってそうな感じ自体はいい事なのだが、喜ばしいことばかりではない。ここまで見てきたものも含め、この辺一帯の恐らく除染が終わっていると思しき建物は、悲しいかな全て無人。
2年前は立ち入ることの許されなかった路地の奥に進むと、ぱっと見は綺麗なままのアパートやマンションなどが複数ある。窓際にぬいぐるみが見えて、住んでる感じかな? と思い近づいてみるも、人の生活の気配は無い。
というか、ここまで人間を1人も見ていない。見たのはよく肥えたオスのキジと、命の危険を感じさせるサイズのイノシシだけだ。サイレントヒルだってもっと人口密度があるぞ……!!
さらに住宅地だった場所を徘徊すると、まだガラスに養生がなされていて、めちゃくちゃ新築っぽいアパートも。もしやこれから入居者募集か? と建物の名前を不動産屋でチェックしてみたが、出てきたのは2011年の入居者募集のページ。
おそらく震災直前に完成したが、そこで被災。以後はずっと放置されているのだろう。そういった比較的新しく、また大きなサイズの賃貸住宅群はわりと残っているのに対し、一軒家が建っていたと思しき場所の多くは空き地になっていた。
ただし、1件だけ例外を見つけたことも記しておこう。見た目が綺麗な建物を1件ずつ調べて回っていた際に、入居者を募集している震災後に完成したアパートがあったのだ。ベランダに綺麗な洗濯ものが出ていたので、住民もいるようだった。
建設会社のプレハブ事務所を見かけたが、もしかしたら解体等の復興関連工事に携わっている企業の人が、単身赴任的に住んでいるのかもしれない。
・封鎖された公園
このように一部例外はあれど、なんだかんだでかなり広い範囲で完全に廃墟の街が広がっていると考えて良いのではなかろうか?
思っていたのと違うなぁと思いつつ探索をすすめると、広く封鎖された場所に出くわした。
「夜ノ森つつみ公園」という場所らしい。フェンスの向こうには線量計が。数値は0.413μSv/h。ちなみに環境省が示す”汚染状況重点調査地域の指定や、除染実施計画を策定する地域の要件“は0.23μSv/h。
要はそれ以上だと1年間通して生活するのはリスクがあるぞという数値。もしかしたらこの公園はまだ除染されていないのかもしれない。
ちなみにこの公園はかなりデカい。
一望できる高台を見つけたので昇ってみたが、恐らくかつては人口の池を有する公園だったのでは? 建築物がそれっぽい構造をしている。
“除染だけ済ませて放置されている”という印象が固まりつつあった夜ノ森だが、まだ住宅街だったエリアの中にも除染が終わっていない場所がある可能性。この公園だけだと良いのだが。
・現場に勢いが無い
実は今回の訪問時に、密かに期待していたことがある。それは記事の上の方に写真が掲載されている、2年前に取材させて頂いた一時帰宅中だった方との再会だ。
美容院の店主さんで、確か震災後は郡山で暮らしていると言っていた。2年前に来た時には “近々避難指示が解除されるかもしれない” という前向きな噂が流れており、この方もそれを楽しみにしていると語っていた。
もし夜ノ森が復活していて、またお店を始めていたら”2年ぶりに来ました”などと言いつつ、前髪でも切ってもらおうかなどと思っていたのだ。
しかし町は予想に反してこの通り。お店があった場所は、他の多くの一軒家があった場所同様に空き地になっていた。まあ、こんなゴーストタウンじゃ、美容院なんて無理だよな。
西口側はともかく、東口側に住もうとは思わんし。過疎具合そのものは双葉町と大差ないと思う。しかし双葉町は明確に今後発展する予定が行政によって立てられていた。そしてそれをアピールしまくっていた。
それに対し夜ノ森駅の東口側は現場にそういう兆しを感じない。もしかしたら何かプランがあるのかもしれないが、あるならあるでわかりやすく表に示した方がいい。
例えば双葉町は駅の「休憩スペース」で復興計画に関する膨大な量の資料を展示してアピールしまくっている。ここに来ると、町に対し将来性を感じるのだ。
夜ノ森も駅に立派な待合所ができていたが、私が行った時は便所と椅子しかなかった。現場に来て、太ったキジとイノシシ、大量の廃墟、そして空間線量高めな封鎖された公園しか見られないんじゃ、ちょっと引っ越し先としての魅力は低い。
これじゃあ、たとえ元住民に “住むことはできますよ” と言ったとしても、イマイチ将来の展望を見出せなくて躊躇すると思う。こういうのはイメージも大事だからな。
何にせよ、もっと行政が盛り上げていかないと、ずっと廃墟になる詰みパターンな気がする。2年前は双葉町より余裕そうだったのに、少なくとも私の目には、この2年で追い越されたように見えた。