モウ・サイード氏は何年ものあいだ、ひたすらに「フリ」をしてきた。パキスタンで生まれ育ったサイード氏は、広告業界でのキャリアの大半を、アクセントから名前、果ては趣味までも、偽りで固めた人生を送ってきた。それもこれも広告業界という白人優位の社会にうまく溶け込むためだった。
「人格が崩壊してうつ病になるまで、必死にフリを続けた」とサイード氏は話す。「長いあいだ、別人を演じていると、やがては心が壊れてしまう」。
起業のきっかけは「燃え尽き」
当時、サイード氏は28歳で、世界的にも評価の高いDroga5(ドローガファイヴ)というエージェンシーでコピーライターとして働いていた。しかし、大手エージェンシーの企業文化に疲れ果て、どれも横並びで単調な広告に失望して、燃え尽きた。「すべて偽りだ。この業界で働くために、こうあるべきというイメージにふさわしくない友人はすべて切り捨てた」とサイード氏は語る。「アイデンティティもアクセントも失った。この仕事のために別人になることさえしたのに、この仕事は最低だ」。
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事業経営の経験も資金的な後ろ盾もなかったが、サイード氏はイチかバチか思い切って脱サラし、起業することにした。自分と同じように燃え尽きで揺らぐ、「メインストリームから外れた人々」のために居場所を作ろうと決意したからだ。2018年、サイード氏はニューヨークで自身のエージェンシー、モジョスーパーマーケット(Mojo Supermarket)を立ち上げた。
起業は成功した。サイード氏のエージェンシーと60人のスタッフは、この4年間に、カンヌライオンズ、ワンショー、アメリカ広告賞など、名だたるクリエイティブ賞を総なめにしつつ、老舗のエージェンシーと互角に張り合うまでに成長した。顧客名簿にはすでに、Match.com、アディダス(Adidas)、ガールズフーコード(Girls Who Code)ら、ビッグネームが名を連ねる。サイード氏によると、これはまだ序の口で、プロダクト、戦略、コンテンツなど、あらゆる側面で、モジョスーパーマーケットの能力をさらに強化する計画という。
「広告の仕事を見て、どんなものかと想像し、よしやってみようと思った」と同氏は話す。「うまくいかなければ、パキスタンに帰って銀行に就職しよう、と」。
「オフボタンのないクリエイター」
この姿勢はサイード氏の仕事へのこだわりを物語っている。友人たちは同氏のことを「オフボタンのないクリエイター」と表現する。「仕事以外の時間は、楽曲を書いたりギターを弾いたりしている。彼は止まることを知らない」と、モジョスーパーマーケットの創業メンバーでアートディレクターのカミロ・デ・ガロフレ氏は話す。「彼の頭脳は動きっぱなしだ。彼のそういうところを尊敬している」。
サイード氏とデ・ガロフレ氏は広告業界に入ったばかりの頃に出会い、Droga5でともに過ごした思い出も共有している。
デ・ガロフレ氏はこんな話を思い出す。ある結婚式でサイード氏はアディダスのマーケティング部門の人物に出会った。この人物はクリエイティブエージェンシーを探していた。当時、サイード氏はまだDroga5で働いていたのだが、Droga5の名前を出す代わりに、ほんの思いつきで、モジョスーパーマーケットを提案した。だがこの提案には、ひとつ問題があった。まだエージェンシーとして創業する前だったのだ。「思い切った行動ではあったが、結果的には奏功した」と、デ・ガロフレ氏は振り返る。「我々はありもしないエージェンシーをでっちあげた。でもそれを実現して、賞まで取った」。賞というのはアディダスの「ARドロップス」キャンペーンを指している。
モジョスーパーマーケットに来るなら、伝統的な広告のルールを破る覚悟で来たほうがよいとサイード氏は話す。サイード氏は自分が入れ込む創作活動のためなら週末に働くこともいとわない。あるときは、旅行者がおこなう検索の結果ページで、ユナイテッド航空のフライト情報を非表示にするGoogleブラウザの拡張機能を開発した。ユナイテッドが乗客を飛行機から引きずり下ろすという大失態を演じた直後のことだった。
デ・ガロフレ氏はこう語る。「彼はフラストレーションを感じていた。しかしそのフラストレーションが彼の創作意欲をだめにすることはなかった。彼は自分の身のうちある創作意欲を、本業とは別の場で満たしていた」。
意義深いガールズフーコードとの提携
モジョスーパーマーケットがエージェンシーとして支援したキャンペーンには、(アカデミー賞でなかなか評価されない女性監督たちにエールをおくる)「Give Her A Break(彼女にチャンスを)」、(テック業界におけるジェンダーギャップの是正に努める)ガールズフーコードがイマーシブなプログラミング体験を提供した「Dojacode」などがある。
ガールズフーコードでマーケティングとコミュニケーションの責任者を務めるアシュリー・グランビー氏はこう語る。「作品を自動で作ることを検討している場合、そのことを第一に考えてくれるパートナーと組む必要がある。モウ(サイード氏)とモジョ(スーパーマーケット)は、当初から本能的にそれを理解していた」。
ガールズフーコードがサイード氏とモジョスーパーマーケットを最初に知ったのは2020年9月のことだった。両者は、CSEdWeek(コンピュータサイエンス教育週間)でガールズフーコードが展開した「ミッシングコード(Missing Code)」キャンペーンで連携した。実は、サイード氏とグランビー氏はまだ直接会ったことがない。この2年間は主にZoomによる電話会議で制作作業を進めてきた。
しかし、サイード氏はかねてから評判の高い人物だ。「まじめで、頭が良く、寛容な人として知られている」とグランビー氏。そんな評価に惹かれて、モジョスーパーマーケットとの連携と決めたという。サイード氏が男性であることを考えると、若い女性を支援する非営利団体のための仕事について理解してくれるか不安もあったという。しかし、グランビー氏いわく、「彼はほとんど瞬時に理解した」。
「多様性にかけてはまさに第一人者といえる人物だ。言行一致の人でもある。スタッフもチームも、彼が連れてくる人々は皆、彼の価値観を行動で示してくれる」とグランビー氏は話す。ついでながら、両者は年内に対面で会う予定という。
グランビー氏によると、ガールズフーコードという非営利団体にとって、2年以上もずっとひとつのエージェンシーと手を組むのは初めてのことで、その点でも両者の連携は意義深いという。そして当面、モジョスーパーマーケットとの提携を終了するつもりはまったくないようだ。「我々のパートナーシップから、もっと多くの革新的で創造的な作品が生まれることを期待している」と同氏は言い添えた。
おもしろくなければ生き残れない
サイード氏に広告の現状を問えば、ごくありきたりな答えが返される。いわく、モジョスーパーマーケットが実現している真正性を、多くのエージェンシーが模倣しようとするのだから、広告人としてはおもしろい時代だろう、と。
「広告はどんどんおもしろくなる。昔ほどの関心も予算もないかもしれないが、代わり映えのしない単調な広告は姿を消しつつある。おもしろくなければ生き残れない時代だ」。
Kimeko McCoy(翻訳:英じゅんこ、編集:黒田千聖)