フロリダのウォルトディズニーワールドに行ってきた。
おなじみの東京ディズニーリゾートは、東京ディズニーランドと東京ディズニーシーの2つのテーマパークからなる。
対するウォルトディズニーワールドはテーマパーク4つで構成されている。東京ディズニーランドのモデルとなったマジック・キングダム、未来生活と世界旅行をテーマとしたエプコット、映画がテーマのディズニー・ハリウッド・キングダム、環境保護がテーマのディズニー・アニマル・キングダムである。
敷地面積は東京ディズニーリゾートの50倍で山手線の内側が2つ入る大きさだ。アトラクション数は150個以上、年間来場者数は6,000万人を誇る。
無理のない行程を組むため、原則としてテーマパーク1つにつき1日、予備日を1とって、5泊6日で訪れることにしていた。
↑明らかに浮かれている著者
ウォルトディズニーワールドに行くにあたって、実は少しおびえていた。
少し古い話をする。小中学生のころ、シャーロックホームズにはハマり、英国ロンドンへの憧れを募らせていた。そんな私の楽しみは、地元で唯一アフタヌーンティーを味わえる「倫敦」という喫茶店に通うことだ。当時の生活圏で憧れの街ロンドンを感じられる唯一のスポットだったのだ。
大学卒業後、念願かなって英国に3週間くらい滞在することができた。シャーロックホームズ博物館にも行ったし、ロンドンで本場のアフタヌーンティーを味わった。しばらくして地元に帰ったのだが、不思議と喫茶店「倫敦」に足が向かない。本物のロンドンを見てくると、地元の「倫敦」はいかにも借り物っぽく思えてしまうのだ。
大好きだった場所が色あせるのはなんだか切ない。久しぶりに帰省すると親の背中が思ったより小さく感じるときの切なさと似ている。
同じように、本場アメリカのウォルトディズニーワールドを体験すると、小さい頃から好きだった東京ディズニーリゾートがしょぼく感じてしまうのではないか。本場のウォルトディズニーワールドに行く機会はそうそうない。今後の人生で行くとしたら、東京ディズニーリゾートばかりだろう。東京ディズニーリゾートに行くたびに「本場のほうがすごかったな」と感じるのはつらい。東京ディズニーリゾートを永遠に楽しめない身体になってしまったらどうしよう、とおびえていた。
結論から言うと、大丈夫だった。比べられないほど別物だったからだ。
エプコット、ディズニー・ハリウッド・キングダム、ディズニー・アニマル・キングダムの3つに関しては、日本にないから比べようがない。
東京ディズニーランドのモデルとなったマジック・キングダムの場合、街の作りやアトラクションは確かに似ている。だが世界観というか、雰囲気が全然違う。
分かりやすいところで言うと、アトラクション内から外の工事現場が丸見えだったり、キャストの制服の着方がまちまちで着崩している人もいたり、ゴミは結構落ちているし、パーク内にもスタバがあったり、日常の延長という印象だった。
↑ディズニー仕様のスターバックスコーヒー
東京ディズニーリゾートは、日常から隔離された全くの異世界で、キャストは異世界の住人になりきっている。体験型の劇場にいるようだ。世界観が徹底されている。
他方で、フロリダのウォルトディズニーワールドは基本的に待ち時間が少ない。ライトニングレーン(日本でいうファストパス)を上手く使えば、人気アトラクションでも30分以上待つことはほとんどない。
世界観をじっくり味わいたい人は東京ディズニーリゾート、アトラクションにガンガン乗って楽しみたいという人はウォルトディズニーワールド、という感じだ。
↑どういうわけか、パレードの列に一般人が混じって歩くことが可能だった
違いは他にもある。
東京ディズニーリゾートだとカップル、友人同士、家族での来園がだいたい同じくらいの割合を占めていると思う。他方、ウォルトディズニーワールドの場合、圧倒的に家族での来場が多かった。家族4~5人の場合もあるし、10人ほどの親族一同、おじいさんから曾孫までの四世代で訪れているのも珍しくない。
園内で販売されているTシャツにも“Mom”、”Dad”といった家族内の位置づけが記載されたもの、”2021 Family Tour”と記され家族旅行の思い出になるようなものが多く扱われていた。10人ほどの家族連れのために背番号が1から10ほどまで描かれたTシャツも売っている。家族連れのかなりの割合の人たちがそれらのTシャツを着ていたのが印象的だった。日本よりも「家族仲良く」という規範が強く、家族が仲良しであることをアピールすることに照れがない。
家族連れのなかにお年寄りが多いのにも驚いた。特に電動車いすを使用している人がかなり多い。
街中でも日本と比べると電動車いすに乗っている人が多いので、電動車いすの普及率が高いだけかもしれない。だが、電動車いすを使用しているお年寄りをディズニーリゾートに連れてくるという発想自体が、日本だとあまりないように思う。
各アトラクションに車いす利用者用の入り口と動線がある。車いす利用者は専用の待ち列に並び、めいめい入場していく。車いす利用者だけで行列ができているなんて、日本では考えられない光景だった。
もちろん東京ディズニーリゾートも車いす利用者に優しくできている。だが車いす利用者が少ないこともあって、それはどこか「特別扱い」のようなもので、殊更に優しく、丁寧に接しているようにも見える。利用者としてはそういう扱いに引け目を感じて、足が遠のくのかもしれない。
小説家の目線でみると、フロリダはエンタメ小説、東京は純文学のようだなと思ったりもした。
フロリダのウォルトディズニーワールドは年齢を問わず、家族で気楽に訪れることができる空間だった。待ち時間のストレスも少ない。
平易な言葉でストレスなく読め、誰でも楽しめる万人に向けて書かれたエンタメ小説のようだ。平易な言葉づかいやストレスのなさを優先して作られているので、緻密な描写や濃厚な読み味をじっくり味わいたい人には不向きである。
対する東京ディズニーリゾートは、細部に至るまで世界観が徹底されている。ごみ一つない。その世界観を味わうには、長い待ち時間を覚悟して入場しなければならない。
一文字一句こだわりぬいて丁寧に書かれた純文学小説のようだ。内容を味わうには一定の知的体力が要求されるのが難点だ。
こうして、「東京ディズニーリゾートは純文学」という一見すると妙な結論に至ったのだった。
米国から持ち込まれたエンタメスピリッツをものすごい精度で練り上げて、純文学的に昇華しているのはいかにも日本的である。
本国と比べてしょぼいとか、物足りないと感じることはない。東京ディズニーリゾートを永遠に楽しめない身体にはならずにすんでよかった。
ところで私はエンタメ小説を書く作家である。
ウォルトディズニーワールドのエンタメスピリッツから学ぶところはなかったのか? もちろん、ある。次回、エンタメ作家として胸にささった体験を紹介して、フロリダでのバケーション話を締めくくりたいと思う。