チェコの著名な宗教社会学者であり神父でもあるトマーシュ・ハリーク氏は昨年、ワルシャワで開催された児童保護会議で講演した。聖職者の未成年者への性的虐待問題が多発する現在の教会にとって、非常に啓蒙的な内容を含んでいたのでその概要を紹介する。同内容はバチカンニュースが昨年9月22日報じている。
ローマ・カトリック教会は今日、聖職者の未成年者への性的虐待問題に直面し、教会内外で信頼性を失い、多くの信者が教会から離れている。ハリーク氏は、「聖職者の性犯罪問題は久しく軽視されてきたが、ここにきて教会は取組み出した。聖職者の未成年者への性的虐待は個人の病気ではなく、教会システムの病気だ。だからより広い枠組みの中で考えなければならない。教会と聖職の神学的、牧会的、そして精神的な理解のレベルで多くの関連する問題を改革する必要がある。懲戒処分だけでは問題は解決しない」という。
ハリーク氏は、「聖職者の性的問題は中世の改革の契機となった免罪符(贖宥符)発行事件と同じ役割を果たしている。聖職者の性的問題は一見、末端の限定された現象のように受け取られるが、実際はそうではない。教会と権力、聖職者と平信徒、その他多くの関係のシステムの病気を明らかにしているのだ。現代のカトリック教会の状況は、改革直前のそれに非常に似ている」と語る。
同氏は、「教会の改革が制度の改革に留まるなら、表面的であり、教会の分裂につながる可能性が出てくる。16世紀の『カトリック改革』は、インスピレーションとしてとらえるべきだ。その本質的な要素は精神性の深化だった」と説明する。
ローマ教皇ヨハネ23世(在位1958年10月~63年6月)は1962年10月11日、教会の近代化と刷新のため「第2バチカン公会議」を開催した。ハリーク氏は、「教会の牧歌的なスタイルと現代の世俗的な世界との関係を改革しようとした試みだ。ただ、教会が近代との文化戦争を行えば、教会は歴史の行き詰まりに陥ってしまうから、『カトリック主義』から『カトリック性への移行』を試みたわけだ。この改革は、特に共産主義の支配下にある国々では、大部分が誤解され、実現されずにきた。聖職者主義のシステムは克服されていない」と説明する。
そして、「現代の世界と合意するための公会議の努力は遅すぎた。モダニズムは1960年代にピークを迎え、その直後すぐに終わった。公会議はポストモダニズム時代での教会のあり方について何も準備していなかった。今日、社会的、文化的文脈全体が変化した。教会は宗教の独占を失った。世俗化は宗教を破壊こそしなかったが、変質させていった。今日の教会の主な競争相手は世俗的ヒューマニズムではなく、教会から解放された新しい形の宗教と精神性だ。教会が根本的に多元的な世界でその位置を見つけることは難しい。特に共産主義の過去によって形作られた教会は、この世界を理解するのに非常に困難を抱えている。ポーランド社会の現在の劇的な世俗化はその好例だ。共産主義時代の“ハードな世俗化”とポスト共産主義時代の“ソフトな世俗化”が起きている。前近代社会を懐かしむ誘惑は大きく、教会の中にはポピュリストやナショナリストの政治の流れと危険な同盟を組もうとする動きが見られる」と語る。
聖職者の性的虐待は一面に過ぎない。1960年代の「性革命」に対する教会の反応は、恐れとパニックだった。教会の教えと司祭を含む多くのカトリック教徒の実践との間に格差が生じた。教会は、世俗的なメディアが聖職者の性スキャンダルを暴露したことを受け、偽善とスキャンダルに対処するために初めて動き出したが、それは余りにも遅すぎだ、というのだ。
ハリーク氏は、「聖職者の性的虐待は、聖職者全体の危機だ。権力と権威を乱用する聖職者主義を克服しなければならない。この危機は、今日の社会における教会の役割を理解することによってのみ克服できる。教会は神の『巡礼者』が集まるところであり、キリスト教の知恵を学ぶ『学校』、『野戦病院』だ。そして『出会い、交流、和解の場』だ」と主張している。
当方がハリーク氏の上記の発言の中で最も共鳴した箇所は、「今日の教会の主な競争相手は世俗的ヒューマニズムではなく、教会から解放された新しい形の宗教と精神性だ」という指摘だ。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2021年1月24日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。