まず驚いたのがこのフランスに関するこの記事。
「学校でのいじめ厳罰化へ 自殺なら禁錮10年―仏」(時事通信2021年12月29日)
学校のでいじめ問題ですから、加害生徒は当然のことながら未成年ということが前提ですが、その未成年の加害児童に禁固10年ですか。驚きです。
フランスの場合、刑罰の最低年齢をどこに置いているのかはわかりませんが、これでは教育の放棄と同じです。
いじめ問題がフランスでも大きな社会問題になっているのだとは思いますが、これでは何故、いじめが起きているのかという思考が全く止まってしまっています。
犯罪被害者の声というものが日本でも大きくクローズアップされてきました。
しかし、問題なのは犯罪の発生をどのように抑止するかであって刑罰を重罰化すればいいという単純な話ではありません。
学校でのいじめ問題は家庭問題だけでもなく、社会の複合的な問題が要因となって起きるものです。経済格差、教育格差の問題、家庭の貧困なども要因の1つです。
もちろん、貧困かどうかでいじめがあってよいということではありません。
心の貧困にもつながっていくような個人主義(利己主義に近い)や他者への配慮ができない社会構造が問題なのです。
新自由主義によって他者への配慮や優しさ、こうした人間社会にとって大事なものが置き去りにされています。
今の日本社会はいじめの発見も遅く、いじめを訴える声を門前払いにするなど、どうみても優しさがありません。
そして、いじめにより何らかの結果が発生したら厳罰??
発想が逆です。いじめが発生しない学校、早期発見と早期解決のためにはどうしたらよいのかという発想に行かないのが今の日本社会です。
だからいじめの生徒を出席停止にすればいい、という問題ではありません。
「いじめ加害者は出席停止にすべき? 改めて考えたい「最も大切な目的」とは」(弁護士ドットコム)
これではいじめの側の生徒が切り捨てられるだけの結果になりかねません。この弁護士ドットコムの弁護士の回答が物足りないのはそのためです。
求められているのはやはり早期発見だし、何よりもいじめる側への教育です。出席停止はその教育の放棄です。その子の教育を受ける権利を奪うことにもなります。
根本的にはいじめが発生しない社会を作り上げていくことです。
なおフランスの厳罰化ですが、いじめで自殺した場合の禁固10年とすることには非常に問題があります。一見すると重大な結果に対する厳罰で胸がスカッとするのかもしれませんが、そう単純ではありません。刑罰である以上、因果関係の問題もありますし、何よりもいじめられた側がいじめた側の重罰化のために自殺という行為を選択しかねません。その意味では自殺を誘発しかねない怖さを内包しています。
今のような格差社会を是認するような自民党政権の下では、いじめが克服されることはありません。
日本社会が格差の中でのいじめ社会と同じ構造を持っているし、いい大人が弱い者いじめをやっている歪んだ社会の中で、「いじめはダメだ」という掛け声に子どもたちが共感するでしょうか。
学校教育の中で、「世の中不合理なことばかりだけど負けてはいけないよ。それでも優しさを持とうね」なんていう教育を考えようものなら、たちどころに反体制的だ、日教組的だとバッシングを浴びることでしょう。そういう屈折した社会が今の日本です。
2022年1月1日撮影
このように新自由主義社会を是とする政治体制の下では、社会の矛盾を克服しようという気は全くありません。支配の構造が崩れてしまうからです。
米国社会に貧困と差別が蔓延しているのもそうしたことで支配層が米国社会を支配しているからです。富む者がより富める社会構造は、こうした差別社会とは切っても切り離すことができません。安価な労働力を供給する源泉だからです。
日本社会も同様で、高度経済成長記では農村を潰し、そしてその農村の人たちが格安の労働力として使われました。
農村が疲弊し、人材の供給源ではなくなると今度は都市部の人たちを格差社会の中で貧困に陥れ、安価な労働力として再構成していきます。
経済格差は、子どもたちの教育格差に直結します。自民党政権は教育の無償化にすら後ろ向き。少人数教育も拒否。学校現場にすべてしわ寄せが行っています。大企業本位の経済政策が、教育の貧困を招いているわけです。
「「9-3÷1/3+1」の正答率が低いことの意味 全児童に基礎学力を身につけさせてあげたい」
「自民党の「こども庁」から「こども家庭庁」の欺瞞 家父長制復活を企む右翼勢力」
富める家庭だから心も裕福というものではないことは言うまでもありません。そこに優しさが欠如していることが問題なのです。「自分は貧困層ではない、良かった、お仕舞い!」というのが今の日本社会です。生活保護世帯へのバッシングは人として最低の発想です。そんな家庭で育った子に優しさが育つと思いますか。自己責任の発想しかなければ優しさなど持ち合わせようはずがありません。
いじめに対する厳罰化、それは少年法の厳罰化もそうですが、構造的に生じるいじめ問題を解決するにあたって、決して社会の構造を改革すること、つまり新自由主義との決別を絶対にしないために結局、次々に発生するいじめを厳罰で対処しようとするもので本末転倒の歪んだ姿なのです。
フランスのマクロン氏が新自由主義者であるということもお忘れなく。