見た目はコーヒーっぽいんだけどなあ。
コーヒーが高級品だった頃は、身近にあるいろいろなものをコーヒーみたいにして飲んでいたらしい。
その中の一つ、ヒマワリの種を使ったコーヒーを再現してみた。
結論から言うと、苦労した割に出来たのはほぼ麦茶でした。
※2010年10月に掲載された記事の写真画像を大きくして再掲載しました。
ヒマワリからコーヒーを作る
コーヒーが高級品だった頃、いろいろな豆やら種でコーヒーみたいなものを作って飲んでいたらしい。
今で言うところの「マツタケ風味」みたいなものだろうか、「キュウリにはちみつかけるとメロン」みたいなものだろうか。
そういうがまんの末の発明みたいなものになんだか共感するのは、高級品という響きから縁遠いからだろう。たぶんこのまま一生遠くで生きていく気がしている。
今回は先人たちのコーヒーへの執念をリスペクトして、道端に生えてたヒマワリから種を採ってコーヒーを作ることにする。
夏の間はビンビンに輝きを放ちまくっていたヒマワリだが、秋も深まるこの時期になると、盛者必衰っぽく頭を垂れてて哀愁漂う。
そんな彼らから容赦なく種をいただく。
道端のヒマワリなのでと、遠慮して花一つの半分くらいの種をもらうにとどめた。でも周りにぽろぽろとたくさん種が落ちていたので遠慮することもなかったのかもしれない。
下準備がわからない
さてこの種をどうやって処理するべきなのか。インターネットでいろいろ調べてみたのだが、それらしきレシピが見つからなかった。
というわけで他の種や豆を使ったコーヒーの作り方に準ずることにする。
と思って新聞の上にひろげた種から少し目を離した隙に
うちの猫には本能的に人の邪魔をするプログラムが組まれているようで、新聞を読んでいると必ず紙面に乗ってくる。今回も思いっきりこれからコーヒーにして飲もうっていう種の真上に座っていた。直尻で。
猫をどかして作業を続ける。
ヒマワリの種でコーヒーを作る場合、種の皮は剥くものなのか、そのまま煎るものなのか。
わからなかったのでとりあえず一つ剥いてみた。
種の皮を剥いてみると、中身はへにょへにょしていた。しかも一つ剥くのに3分くらいかかる。
これは皮ごと軽く煎って、それから剥いた方が効率がいいだろうと判断。
ヒマワリの種を乾煎りすると、ときどきパチン!と大きく爆ぜた。そのたびに猫が驚いて部屋をぐるぐると走り回る。
パチン!ぐるぐるぐる、パチン!ぐるぐるぐる
この革命の後みたいな派手な光景を誰かに見せたかったのだが、あいにく部屋には僕と猫しかいなかった。
煎った種の皮はやはり剥くことにする。
今度はへにょへにょじゃなくからっとしているので、指でつぶすようにして割るだけで中の種を取り出すことが出来る。
種を指でつぶして中身と殻とをより分ける。
下に敷いた新聞を読むともなく読みながら作業した。
新聞には炭鉱に閉じ込められた作業員たちが助け出されたという感動的な記事が載っていた。本当によかったと思う。地球の裏側ではこのニュースの上でヒマワリの種を剥いている大人がいる。人生いろいろだ。
種を剥くのに1時間弱かかった。いつになく地味な作業だ。
焙煎する
剥き終えた種の中身をいよいよ焙煎していく。
焙煎といってもつまりはフライパンでの乾煎りだ。いい色になるまで弱火で根気よく、フライパンの上を転がしながら煎っていく。
種の中身には薄皮がついているのだが、これは焙煎していく段階でこげてなくなってしまうので気にしなくていいです。
こういう小さなノウハウは真似してやってみようという人にはとても有効だと思っていつも意識して書くようにしているんだけど、今回に限ってはなんだか誰も後ろについてきていないような気がするんだ。
誰もいないといえば一度マラソン大会で、途中でお腹がいたくなってトイレに寄ったことがある。
すっきりしてまた走り出したのだが、どうも様子がおかしい。なんだか人がいないのだ。トイレから出るときにまったく違う方向に走り出ていたことに気づいたのは、信号で止まったときだった(マラソン大会に信号があるのか?って思い気づいた)。あれ以来僕は自分の方向音痴を認めた。
地味な作業っていろいろ過去の話が書けていいですね。フライパンの種は油がにじんで、少ししっとりしてきた。
香ばしい香りが部屋の中を満たしはじめる頃、いよいよ代替コーヒー豆が完成した。
ヒマワリがコーヒーに化けた瞬間である。
どうだろう、見た目はかなりコーヒーではないか。深煎りの、油でてかてかした新鮮なコーヒー豆。ちょっと形がタイ米っぽいけど。
しかしどうも麦茶っぽい
途中で何度か中を割ったりして様子を見ながら1時間ほど焙煎した。われながらいい色に仕上がったと思う。香りも香ばしい麦茶の香りがする。
え?麦茶?
煎り終わった豆、じゃなくて種をグラインダーで挽いていく。コーヒー豆よりも手にかかる力がだんぜん弱いく、すべるように挽けた。
コーヒーだったら挽き終えた瞬間の香りが一番いいのだけれど、ヒマワリコーヒーはここまできてもやはり麦茶の香りだった。
ドリップはコーヒーと同じ要領で行った。細かめに挽いたのだけれど、お湯を注ぐとすとんと落ちていった(コーヒーならばかなりゆっくりと落ちていくところだ)。
抽出中の香りは麦茶にすこしえぐみというか油くささが混じったような具合だった。
これが見た目も香りも、麦茶なのだ。
コーヒーというか、麦茶だ。まず見た目もそうだが、香りがもろに麦茶なのだ。色が茶色で匂いが麦茶、そんなのもうどう考えたって麦茶だろう。
飲んでみよう。
やっぱり麦茶だ
飲んでみても思いっきり麦茶だった。試しに妻にも飲んでもらったのだが、麦茶ね、って一言で済まされた。だろう、麦茶だろう。
思うのだが、コーヒーが飲めなかった当時、代替コーヒーを作っていた人たちは、本当のコーヒーを飲んだことがなかったんじゃないだろうか。
トリュフを食べたことがない僕がどんぐりかなんかをこねくりまわしてそれらしきものを作って「これでがまん!」って言ってるのと同じなのだ。元がどうとか関係ない。だって知らないんだから。食べられるものが出来たらラッキーくらいの勢いだったに違いない。
ヒマワリコーヒーは麦茶だ
2時間くらいかけて作ったヒマワリコーヒーはほとんど麦茶だった。ならば普通に麦茶を買ってきたらよかったような気がしている。コーヒーが飲みたければコーヒーを買ってくるまでだ。半日費やして別のものができるなんてファンタジックに非生産的ではないか。
でもおかげでいい時代に生まれたことに感謝した一日でした。