田原氏「記者は逮捕に懲りるな」 – 田原総一朗

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共同通信社

大学の不祥事をめぐる取材をしていた新聞記者が構内で現行犯逮捕されるという事件が6月下旬、北海道旭川市で発生した。現場は学長をめぐるスキャンダルで揺れる旭川医科大学。建造物侵入の疑いで逮捕されたのは、北海道新聞の入社3カ月の新人記者だった。

北海道新聞が公表した調査報告によると、新人記者は先輩記者らとともに大学構内にいた。先輩記者の指示で、大学が立ち入りを禁止していた建物に入る。そして、重要な会議が行われている部屋の前で無断録音していたが、大学職員に見つかって取り押さえられ、警察に引き渡された。

この記者逮捕事件をめぐっては、「大学が記者を逮捕したのは不当だ」という抗議や「新人記者に無謀な取材を指示した北海道新聞の姿勢に問題がある」という指摘など、さまざまな意見がある。はたして、この問題をどう考えるべきだろうか。

過去のインタビューで「取材時に2回逮捕されたことがある」と告白しているジャーナリストの田原総一朗さんに「取材のリスク」について聞いた。【田野幸伸 亀松太郎】

テレビディレクター時代に2回「警察に捕まった」

今回の事件についてあまり詳しくはないが、大学が「入構禁止」としていたことについて、逮捕された記者は知らなかったようだ。つまり、逮捕を覚悟してあえて建物に入ったのではなく、リスクを知らずに入ったのだろう。

問題は、北海道新聞の上司が新人記者に対して、そのようなリスクについてきちんと説明していたのかどうか。おそらく、十分に説明していなかったのではないか。

もしそうだとすれば、今回の逮捕は、記者の責任というよりも、北海道新聞の責任といえるだろう。

僕は東京12チャンネル(現・テレビ東京)でディレクターをしていたとき、2回ほど警察に捕まったことがある。だが、僕の場合は自分でリスクに突っ込んでいった。いまから思えば、逮捕されて当然だったと思う。

1回目は1960年代後半の出来事。当時の売れっ子司会者だった木島則夫さんに絡んだ話だ。「木島則夫モーニングショー」で人気を博した木島さんは、日本テレビで新たに「ハプニングショー」という番組を始めることになった。

新宿のコマ劇場前の広場に大きな舞台を作って、そこで番組を制作しようとしたのだが、近くでたむろしていたフーテン(ヒッピー)たちは不満に思っていた。

僕はフーテンたちに取材して仲良くなっていたので、「木島則夫のショーに参加してみたらどうだ」と話したら、フーテンたちが舞台にあがって大暴れした。結局、木島さんは逃げて喫茶店の中で番組をやるはめになったのだが、僕たちはその一部始終をカメラで撮影していた。

すると、淀橋警察署(現・新宿警察署)の警察官がやってきて「番組を妨害したのは誰か」と問い質した。フーテンたちは逃げてしまっていたので、仕方なく僕が名乗り出ると、パトカーで連行されて、取り調べを受けることになってしまった。

ただ、番組のプロデューサーが警察署に駆けつけて、平身低頭に謝ってくれたので、しばらくして釈放された。

ジャーナリストは「体を張る仕事」だからこそ面白い

2回目は、1970年代半ばの話。1971年に起きた警視総監公舎爆破未遂事件で容疑者として逮捕され、裁判中だったグループのメンバーを取材したことがある。

そのとき、千代田区麹町の警視総監公舎の前庭で行われた「現場検証」を再現しようと、許可を得ないまま前庭に入って撮影をしていた。すると、麹町警察署の警察官がやってきて「誰が責任者だ」と聞いてきた。

僕が名乗り出ると、警察署に連れていかれ、事情聴取を受けることになった。このときも、番組のプロデューサーが警察署に来てくれて、運よく釈放された。

こうして2回も警察に捕まったわけだが、東京12チャンネルは僕をクビにしなかった。プロデューサーも「二度とやるな」とは言わなかった。それどころか、このとき撮影していた番組を2本ともオンエアしてくれた。

僕は、取材とはそういうものだと思う。自分が取材したいと思うことを追求
していくと、逮捕されるリスクもあるということだ。

だから今回の事件についても、北海道新聞は、記者が逮捕されてもめげずに取材を続けてほしい。

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はっきり言って、逮捕なんてたいした問題ではない。2度や3度、逮捕されたとしても、臆することなくどんどん取材しよう。北海道新聞はそう言うべきだ。

危ない取材をしていると、自分がいつか逮捕されるかもしれないという身の危険を感じることがある。でも、それが面白いから、ジャーナリストという仕事をやっている。体を張る仕事だからこそ、面白い。

1回の逮捕で懲りずに、2回、3回と逮捕されても、取材をがんばり続ける。

北海道新聞にはそういう強い姿勢を持ってほしい。

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