『安倍狙撃事件の犯人は「反アベ無罪」を煽った空気だ』という記事を事件の二時間後の生死も分からない段階でアゴラに投稿したのだが、これがけっこう話題になっている。
先週発売の『週刊文春』では能町みね子とかいうひとが、私のアゴラの記事を「言葉尻とらえ隊」とかいう連載で大々的に取り上げている。
この女性は、「私以外はみな不潔」など著書があるらしい。「アベガー」に相応しい自意識の方だ。
このことについては、また、別に取り上げるとして、今回は、安倍さんがプーチンに瞞されたとかいう人が多いので、それはないということを説明しておきたいと思う。
実は、明日26日火曜日14時30分から文京区シビックセンター(地下鉄後楽園か春日)のスカイホールで「ウクライナ常識10の嘘」というテーマで講演会を開き、ウクライナ問題と安倍暗殺事件について話すことになっているので、そのなかでこの問題もロリ上げるので準備がてら書きたいと思ったからだ。(会費は2000円、学生無料。予約は要りません)。
プーチンと27回会談した安倍元首相
ロシアのプーチン首相と安倍さんは、27回も会談した。しかし、経済協力はある程度は進んだが、北方領土は返らず、プーチンはクリミアやウクライナに侵攻した。このために、安倍さんはプーチンに瞞されたという非難をする人が、野党系だけでなく保守系にも多い。
だが、それは、北方領土問題にばかり目が向きすぎる日本人の対露観から来る誤りだと思う。日本とロシアは領土を接するから、領土問題はつねに存在する。
そもそも、日本人は樺太からカムチャッカまで自国の領土だと思っていたが、江戸幕府の鎖国政策のために、列強が世界の分割を進めていた時代までに、開発をしていなかった。松平定信など、開発するとかえってロシアに狙われて危険だとかうそぶいた。
そこで、18世紀後半にロシアに進出され、不利なかたちで国境が決まり、日露戦争で挽回したが、ロシアはそれを恨んだ。
ただ、日露両国にとって、友好は互いにとって大きな利益をもたらすという認識はあり、伊藤博文ら親露派の尽力で、日露戦争とロシア革命のあいだは、日露友好の黄金期だった。
第二次世界大戦末期に、ソ連は日ソ中立条約を破って参戦したが、これはアメリカの強い希望によるもので、広い意味での北方領土への進駐もシベリア抑留(ウクライナにも抑留されていたが)もアメリカの同意の下に行われたし、サンフランシスコ条約には中国代表権をめぐる争いから、ソ連は参加しなかった。
日本は裏切りが許せなかったし、四島については、アメリカも返還要求を支持したので、シベリア抑留終了後は、この返還が、ソ連に対する強い要求となった。
しかし実際、四島の経済価値など微々たるものだ。北方領土で価値があるのは、樺太(サハリン)で、他はたいしことない。だから、私は北方領土など決着を付けないままにして、何世紀かかっても樺太を取り戻すことを虎視眈々と狙った方が良いとも思う。
ただ、もし、なんらかの形で双方の面子がたつ妥協点があれば、思いきって歴史的和解を実現し、係争のたねをなくしてしまえば、日本の安全保障環境は格段によくなるともいえる。
安倍晋太郎が1991年に亡くなる前の年に、訪ソを計画したり、死の直前にゴルバチョフ歓迎晩餐会に最後の政治活動として出席したのも、ペレストロイカが北方領土奪還のチャンスだと思っただけでなく、長州出身の政治家が脈々として考えてきた、対露関係の改善が日本の自立のために不可欠だという意識があったように理解している。
安倍晋三の時代になると、中国が最大の脅威になり、南西方面の防衛に軸足を置くためにも、ロシアとの和解の価値は増大したし、プーチンも「引き分け」を口にするようになった。
領土問題をプーチンは『引き分け』でいくつも解決してきた
プーチンは国境画定をいくつも手掛けており、頑なだったとは限らない。2004年10月半ば、北京を訪れたプーチン大統領は胡錦濤主席と会談し、ロシアと中国がその国境問題を最終的完全に解決したことを宣言した。
1991年の東部国境協定締結により(履行は1997年11月)、国境問題はほぼ解決されていたが、ハバロフスクに近いアムール河とウスリー河の合流点のヘイシャーズ島(ロシア側はボリショイ・ウスリースキー島とタラバーロフ島の2島ととら捕らえている)とアルグン河の上流に近いアバガイト島(ロシア名はボリショイ島)の問題が残っていた。
これをまさに面積でほぼ半分ずつにして『引き分け』で最終解決したのだ。ただし、マスコミであまり宣伝しないようにしたのは、どちらの国にも譲歩したと怒る人がいるからだ。
また2018年には、 カスピ海に面するロシアとイラン、アゼルバイジャン、カザフスタン、トルクメニスタンの5カ国は、カスピ海の領有権などについて合意し「カスピ海の法的地位に関する協定」に署名した。
イラン・カスピ海を「海」として扱った場合には、国際海事法「海洋法に関する国際連合条約」が適用される。この条約下では海は沿岸国だけのものではなく、他国もその資源にアクセスすることが可能となっている。
もし、カスピ海を「湖」と定義した場合、沿岸5カ国で均等に分割される必要がある。
結局、この哲学論争に結論を出さずに現実的な解決が図られた。
これを見ても分かる通り、プーチンが譲歩などするはずないというのは、まったく間違いなのだ。
日本側からすれば二島だけでは引き分けにならないから、三島とか二島+αがありえない話でもなかった。
ただ、2014年のクリミア侵攻に対して日本が制裁に加わったことは、プーチンにとっては遺憾だったろうから、ここで一つの挫折があった。さらに、2018年のシンガポール会談でかなりプーチンが柔軟にみえたのに、その後、挫折したのは、国内的にまとめきれなかったのかもしれないし、日本側でも消極論があった。
経済協力は、島民のかなりが返還後も残留するであろうことを考えれば、彼らの抵抗感を減らすことは返還にとって不可欠だ(余談だが島民の四割はウクライナ人で最大勢力だ。別に強制移住させられたのでなく、いずれもウクライナ人だったフルシチョフやブレジネフの時代に高い給与などに惹かれてきた人たちだ)
しかし、いずれにせよ、「二島どころか石ころすら」というのは、ナンセンスです。外交交渉など押したり引いたりしながらチャンスをねらうもので、結果を性急に求めて良いことなどない。
山口の地酒『東方美人』を珍しく口にしたプーチン
また、安倍首相のプーチンとの関係は、対中国のためにロシアとの協力を模索するトランプ大統領の了解を得たものであって、抜け駆けではなかった(それは、イランとの良好な関係でもそうだ)。
安倍氏がプーチンの人柄を甘く見ていたということもありえない。キャメロン首相からプーチンのスパイ出身ならではの習性を聞いて、観察していたら、たとえば、酒は飲んだふりをすおるが絶対に呑まないといった様子を安倍さんから聞いたことがある。
ただし、山口県長門市の大谷山荘での会談でだけ、「東方美人」という地酒を気に入っておおいに呑んだということだった。もしかすると、名前がタタール系の新体操選手カバエバを愛人にしているというプーチンのお気にめしたのかもしれない。
安倍さんとプーチンはテータテート(二人だけの会談)で長時間、会談し、プーチンは歴史や哲学などを延々と語り、安倍さんにとっても心に響くものがあったようだ。
ウクライナ紛争のときは、世界から安倍氏が仲介に乗り出せる一人だという期待が集まった。私はすぐにではなくとも、政府が専属のスタッフを揃えて、そういうチャンスに備えておくべきだと論じた。いろいろ問題はあるが、そのくらい火の粉を浴びてこそ日本の国際的地位は上がるのだと思う。
安倍氏はNATOの拡大でアメリカに「だまされたと感じている」とプーチンの立場に理解を示しつつも、「だからといって、あんなことをやっていいわけではない」とバランスをとったが、日本政府に配慮しつつ、将来の出番の可能性を残すなら賢明なものいいだったと思う。
日本はアジアで日本の意見を尊重してもらうためにも、ヨーロッパの問題で彼らと歩調をそろえたほうがいい。ただし、ロシアと国境を接していること、ウクライナが北朝鮮のミサイル開発に協力したり、中国に空母を売却したことなどを考えれば、独自の立場で和平に貢献する余地は封じるべきでないと思う。
いずれにせよ、トランプにも功罪あるが、ウクライナについては、彼が再選され、安倍さんが引き続き政権にあれば、誰にとっても馬鹿げた戦争は起きなかったように思う。