エジプトもカイロから東部の砂漠に首都移転

アゴラ 言論プラットフォーム

世界史が面白くなる首都誕生の謎 』(知恵の森文庫) が15日発売だが、もしかすると一部の本屋さんでは今日から発売を始めるかもしれない。

この記事では、この本の内容を使いながら、エジプトの新首都のことを紹介したいと思う。最近、世界中で、首都移転が盛んだ。インドネシアもカリマンタンに新首都を建設することを決めたし、韓国も中途半端になった世宗特別市への移転を再活性化させるつもりらしい。

そんななかで、エジプトでは、新首都の建設が進んでおり、昨年の秋には、その名称を一般公募で決めるという発表があったばかりだ。

そこで、この記事では、本書のエジプトの項目を掲載することにする。

また、カットでは、巻末に入っている世界200国の首都についての一覧表の一部を掲げておく。

なお、本書では各項目の最後にその国、とくに、首都のグルメ情報が書いてあるのも特徴だ。それだけ取り出したら、世界各国の郷土料理がだいたい俯瞰できる。

カイロ(エジプト・アラブ共和国)

現地での呼称:アルカーヒラ。人口929万人。

エジプト新首都

エジプト文明は、メソポタミア文明より少し遅れて誕生したが、統一国家の誕生はむしろ早かった。メソポタミアでは都市国家が離合集散を繰り返し、異民族の侵入も多かったが、エジプトは、紀元前3100年ごろから統一国家が成立した。

ナイル川の細長い渓谷に人が住み、東西は砂漠、南は急流の難所が続き、北は地中海。北東もスエズ地峡の狭い範囲だけ守ればいい。ナイル川の治水については、上下流での協力が不可欠で、争っているどころではなかったのである。

エジプトは、ギリシア人がアイギュプトスと呼んだのが起源。ピラミッド建設のころ(紀元前2500年)都だったメンフィスの別名フウト・カ・プタハに由来する。古代エジプトでは、赤い砂漠に対する黒い土の国ということでケメトとか、 上下エジプトという二つの国からなっているというので、タ・ウイと呼んだりしていた。現代のアラビア語ではミスルと呼び、「軍営都市」という意味である。

ツタンカーメン王(紀元前一四世紀)の新王国時代になると、上流のテーベが都となった。その周辺にあるのが、宗教都市ルクソールやツタンカーメン王の墓などがある「王家の谷」である。さらに上流にいくとアムシンベルの神殿もある。

古代エジプトは、紀元前四世紀にアケメネス朝ペルシャ帝国に滅ぼされたが、やがて、アレクサンドロス大王の侵攻を受け、その死後は、その部下の将軍プトレマイオスの子孫が支配し、最後の女王がクレオパトラである。

当時の首都アレキサンドリアは、アラブ語では訛って、アル・イスカンダリーヤ(文語)とかエスケンデレイヤ(口語)。アレキサンドリアはローマ時代にも引き続きエジプトの中心だったが、イスラムによる征服後は、スエズ地峡より東への交通が便利で、要害の地でもあるというので、かつてのメンフィスの近郊に位置するカイロが中心都市となった。アラビア語では「勝利者」を意味するカーヒラである。

イスラム帝国がエジプトに侵入したときにまず統治の中心にしたのは、カイロ南郊のフスタート地区でアムル・イブン・アル=アース・モスクはアフリカで最古のモスクである。9世紀後半に成立したトゥルーン朝は、少し北にイブン・トゥールーン・モスクを建設した。

チュニジアに興ったシーア派(イスマーイール派)のファーティマ朝は、969年にエジプトを征服しフスタートの3キロ北に、カイロを建設し都とした。12世紀から始まった十字軍の侵攻に対してアファティーマ朝は軟弱だったので、1169年にはサラディンがアイユーブ朝を樹立して支配下に置いた。

カイロはそれに続くマルムーク朝のもとでさらに繁栄し、1258年にはモンゴルにバグダードを追われたアッバース朝のカリフもカイロにやってきたので、カイロはイスラム教の中心都市としての地位を確立し学術活動が盛んに行われた。

しかし、1516年にはオスマン帝国に征服され、カイロは地方中心都市に過ぎなくなったが、ナポレオンの遠征後にはアルバニア人の傭兵隊長だったムハンマド・アリーが事実上の独立を手に入れた。

フランスのスエズ運河建設への参加、ナイル川に近い地域での新市街地の造成、シタデルからアブディーン宮殿への王宮の移転、アレキサンドリアとの鉄道建設などを行ったが財政難のためにイギリスの保護化に置かれることになった。

上記のモスクなどのほか、アル・アズハル・モスクと大学はイスラム教学の最高峰。タハリール広場はアラブの春で民衆のデモで知られた。旧市街は世界遺産。

さらに、東部郊外の砂漠にニュータウンとしてヘリオポリスが建設され、ゲジーラ島が高級住宅街化した。現在のシーシー政権は2015年、都心の東にあるカイロ国際空港のさらに反対側に新首都の建設を開始し、大統領府や官庁を移転する計画である。首都の移転先はカイロの東、45キロメートルほどの砂漠の真ん中で、700万㎢と東京都23区以上の広さに、800万人ほどの人口を有する大都市が誕生する。

【グルメ】
ターメイヤは、ソラ豆やヒヨコ豆を潰して作ったコロッケで、ハマーム・マハシーは鳩のお腹の中に、米やフェリークと呼ばれる緑小麦を入れて焼いた料理。

huseyintuncer/iStock

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