企業の成長を加速させる技術として注目度が高まるAI(人工知能)は、メディアエージェンシー各社でも採用が進んでいる。
なかでも先駆者的な存在がハバス・メディアグループ(Havas Media Group、以下HMG)で、すでに同グループ傘下の企業の90%以上にAIとその派生技術が導入されている。
「業務の迅速化」と「時間短縮」というメリット
一例をあげると、広告キャンペーン予算支出管理における異常検知に機械学習ツールが使われている。たとえば、ソーシャルメディアキャンペーンが1カ月延長され、延長分の追加予算がシステム上で誤って今月末の2日間に割り当てられたとする。機械学習ツールはこのエラーについて、再承認を得る必要ありとしてフラグを立て、1カ月分の予算が2日間で消化されてしまう事態を未然に防ぐ。
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「自動入札のチェック機能のようなものだ」と、HMGの最高データ責任者であるマイク・ブレグマン氏は言う。「我々はつねに何十億ドルという予算を預かって広告を運用する立場にある。適切な予算管理や会計処理をおこなうため、日々の業務支援にAIを活用している」。
またHMGでは、週間/月間予算、季節性要因、特定ブランドの過去の広告支出パターンに基づいて、1日に投入すべき推奨予算額を機械学習ツールに算出させるといった使い方もしている。人間では数時間かかる作業を数秒から数分単位で完了できるAIの機能を活かし、「業務の迅速化」と「時間短縮」というAI最大のメリットを同グループは享受している。
前述の予算支出管理における異常検知の事例では、グループ全体で年間100万ドル(約1兆3000億円)以上の経費節減に加え、大幅な時間短縮により、経営幹部がクライアントや同僚とのミーティングにかける時間を増やせるという効果もあったという。
ブレグマン氏はこう主張する。「従来型のエージェンシーモデルを将来にも通用するよう進化させなくてはならない。そのためには組織体制、業務プロセス、テクノロジーをめぐる抜本的な改革が必要だ。AIは、それらすべての可能性を解き放つきっかけを与えてくれる」。
クリエイティブの最適化
HMG傘下の各社でAIを利用しているもうひとつの業務が、「クリエイティブの最適化」だ。最近ではエージェンシーがパーチェスファネルにおいて、最適化されたクリエイティブを軸にしたキャンペーンを実施する場合、かならずといっていいほどバックグラウンドのプロセスにAIが関わっている。
「AIプラットフォームは、広告メッセージのさまざまな組み合わせをわずか数秒で生成して提案できる。同じ作業を人間のコピーライターに依頼すれば、完了までに数日はかかるだろう」と、ブレグマン氏は語る。
とはいえ、コピーライターは安堵できるだろう。HMGとしては、コピーライターの業務をAIに置き換える計画はなく、AIの利用は特定の作業に限られるという方針だからだ。
同氏はこうも述べている。「クリエイティブ改善に向けた反復プロセスの成果物チェックはまだ、人間にまかせるのが賢明だ。反復の過程で生成されたコンテンツのなかには、バカげているものや非常識なものが含まれている場合があるからだ」。
AIの取り組みはまだ、緒についたばかりといっていい。
ファネル下部向け施策のパフォーマンス最適化は進む
HMGは今後2、3年のあいだに、本格的に業務のなかに組み込んだ形でのAI活用をさらに進める意向を明らかにしている。具体的には、AIの適用範囲をメディアバイイングの最適化だけでなく、プログラマティック入札システム用カスタムアルゴリズムの開発などに広げる。また、メディアプランナーに適したトレーニングモジュールの選定や、手作業だったタイムシート記入の自動化にもAIを導入するという。
AI関連プロジェクトの一部、たとえばファネル下部向け施策のパフォーマンス最適化はすでにかなり進んでいる。HMGは、AIにより機能を強化したDSP用カスタムアルゴリズム(プログラマティック広告入札支援テクノロジー)の効果として、同社が買いつけた広告がコンバージョンにつながった場合クライアントに請求するCPA(顧客獲得単価)の25%以上の改善を狙う。
アテンション測定分野でも、広告と消費者間のインタラクションのモデル化にAIが使われている。アテンション指標に基づいたメディアプランニングへの移行が業界各社で進むなか、AIの果たす役割は大きい。
広告枠の買いつけとキャンペーンのプランニングという限られた分野の可能性だけを考えても、AIの利用が短中期的にどう進展していくかは容易に想像できる。必要なツールはすでにそろっており、導入はAI技術を信頼して投資する意欲がマーケターにあるか否かにかかっている。
広告主の態度はいずれ変わる
一方、クライアントが広告費の投資効率を求めるキャンペーン最適化分野でのAI採用には、まだ課題がありそうだ。
この点についてブレグマン氏は次のように述べている。「AIによるキャンペーン最適化は成果が一定しないため、安心して仕事をまかせられないと、多くの広告主が感じているのだろう」。
しかし長期的には、マーケターが好む好まざるとにかかわらず、広告主の態度も変わっていくだろう。GoogleのPerformance Max、FacebookのAdvantage+といったAIソリューションの台頭をみればそれは明らかだ。
アドテク企業が提案するのは、簡単にいえばこんなソリューションだ。広告主は、自社の保有データをアドテク企業に提供し、クリエイティブアセットのデータをアップロードし、各種パラメータ(1日予算の上限、コンバージョン単価など)を設定。その後は、ゆったり構えてAIによる集計結果を待つ――。
そういったAIソリューション全般に対し、マーケターたちが「信頼せよ、されど検証せよ」的なアプローチで望むのは理にかなっている。
これについてブレグマン氏は、「広告主の観点からすれば、我々は国連のような存在に見えるかもしれない。さまざまなソリューションの選択肢を検討し、遂行すべき業務の目的を定義したユースケースをテストし、技術を最大限に活かす方法を導き出して提案するからだ」と語る。
大規模な投資を要する一大プロジェクトは始まっている
業界内でそんな役割を果たすには、並々ならぬ力量が求められる。HMGは、自社事業におけるAIの活用法を見出すばかりでなく、企業マーケターたちの取り組みの支援もしなければならない。その一方で、AIが人類存亡の脅威とみなされる事態を回避する努力も必要になる。
HMGがこの件に関する専門知識をできるかぎり収集しようとしているのも道理で、同社は自前のデータサイエンティスト体制を整備するだけでなく、学界、スタートアップ企業、プラットフォーム運営事業者とも協働している。大規模な投資を要する一大プロジェクトだ。
「我々はまだ、AI技術のROI(投資収益率)算出にあたり、公式の分子と分母にそれぞれ何をもってくるべきか決めかねている段階だ」とブレグマン氏は言う。「そもそも、AIの技術資源でコストが安いものはない。たとえばデータサイエンティストにも多額の人件費がかかるが、当社所属のデータサイエンティストたちは最近、手一杯だ」。
組織のあり方が根本的に変わる
AIをめぐる活動は、いろいろな意味で軍拡競争に似ている。
HMGも、ほかのエージェンシーも、AIを基盤とした事業の再構築をめざしているが、その計画をどの程度のスピードで推進すべきかの判断は難しい。HMGのような大手エージェンシーの場合、AIによる改革を急激に進めようとすると、組織体制と事業運営への影響が大きく、混乱を招くおそれがある。しかし行動を起こすのが遅すぎると、AI導入により業務効率と適応力の向上に成功した他社に先を越されるだろう。
「自社全体で総力をあげてこの改革に取り組み、短期間で達成する方法を考えたい。皆とともに歩む旅路の始まりだ」とブレグマン氏は語る。「グループ傘下のエージェンシーはそれぞれ毛色の違うチームを抱えているから、会社間の連携いかんで成果を上げられる。データを中核に据えたAI構想により、組織のあり方が根本的に変わるだろう」。
経営者の頭を悩ませるに値する、大きな構想になりそうだが、データサイエンスの専門家集団がグループ全従業員の4分の1にすぎないHMGのような組織であればなおさらだ。HMGは、専門家が有するデータ関連の知見を早期に業務プロセス全体に展開するか、あるいは専門家チームを拡大するか、いずれかの策を講じる必要があるだろう。
どちらにせよ巨額のコストがかかるが、それは事業開拓の必要経費だといえる。なんといっても、AIは大量のデータをむさぼるツールであり、膨大な量のデータを取り込んでこそ効果を発揮するからだ。
AIを利用すべきか否か迷っている段階ではない
「現時点では、AIを原動力とするエージェンシーは存在しない」とブレグマン氏は言う。「我々はそんな組織をめざし、まだ道半ばではあるが業界の将来を担うエージェンシーになれるよう努力するつもりだ」。
HMGがAIで飛躍するための時間の猶予はまだある。いまは経験豊富なマーケターでさえ、AIがエージェンシーの存続に及ぼす影響について、自分の知識不足を自覚するレベルにも達していない。商談中のプレゼンでAIが取り上げられることもないが、将来的には売り込みのチャンスが訪れるだろう。そのときに対応できるよう備えておきたいと、同氏は考えている。
「AIは、広告クリエイティブのメッセージ作成に活用できるパートナーとみなされるべきだ」と、検索エンジン関連サービス専門エージェンシーであるザ ホス(The HOTH)のマーク・ハードグローブCEOは主張する。「ただし、自社のチームにとって最適なAIソリューションを見極めるには、多少の実践経験が必要だ。いまはもう、AIを利用すべきか否か迷っている段階ではない。AIは、バズワードとして注目される以前から技術革新を続けており、業界では皆、何年も前からAIツールを利用している」。
[原文:AI makes its mark at Havas Media Group]
Seb Joseph(翻訳:SI Japan、編集:島田涼平)