マイケル・コステロ氏は、2010年の『プロジェクト・ランウェイ(Project Runway)』出身のファッションデザイナーだ。自身の名前を冠したブランドはグラマラスでセクシーなドレスとインクルーシブなサイズ展開で知られ、現在はサックス・フィフス・アベニュー(Saks Fifth Avenue)に出店。さらに同氏は、リボルブ(Revolve)のナンバーワン・ブランドのデザイナーとしても活躍している。
自身のブランドとリボルブの両方でデザインを手掛けている現状について、コステロ氏は「両者の長所をうまく生かせていると思う」と分析。「自分のブランドでは、個性的でグラマラスなハイエンド・ファッションを、頭に浮かんだイメージ通りに、ゴージャスできらびやかなクチュールドレスとしてデザインしている。反対にリボルブでは、誰もが着られるアパレルを提供している」と説明した。
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コステロ氏がリボルブのデザイナーになったのは6年前。現在では毎月120~180種類の商品をリボルブのためにデザインしているという。
そして2022年、「マイケル・コステロ」ブランドはサックスへの出店を果たした。コステロ氏いわく、「ついにやった!」瞬間だ。
9月には3シーズンぶりにニューヨーク・ファッションウィーク(NYFW)にも参加予定で、ショーへの参加は2022年9月のリボルブ・ギャラリー(Revolve Gallery)以来となる。今回は従来よりもくつろいだ雰囲気のショーになるため、長年のファンやバイヤーにアピールするつもりだという。「以前は楽しむことが目的だったが、9月のショーではインパクトを重視したい」と同氏は抱負を述べた。
以下では、ポッドキャストで語られた内容のハイライトを、読みやすさのために若干編集して紹介する。
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飛躍のきっかけは『プロジェクト・ランウェイ』
「『プロジェクト・ランウェイ』に出る前、インスタグラムで人気が出る前から、パリス・ヒルトンやミーシャ・バートン、サルマ・ハエック、マライア・キャリーがマイケル・コステロを着てくれてはいた。しかし当時はキャリアの壁にぶち当たっていた。だから、『プロジェクト・ランウェイ』のために詳細なポートフォリオを作り、よし、やるぞ! と自分を励まし、ウォルマートで1メートル1ドル(約139円)の生地を買ってきて、オーディションまでの3日間でいくつかのサンプルを作った。オーディション用のテープ作りには友人が手を貸してくれた。制作陣が送ったサンプルやテープに感動してくれて、さっそくライブキャストとして呼ばれた。
局に向かい、祈り、へとへとになった。親友を同行して、モデルになってもらった。現場ではティム・ガンに、『マイケル、君のドレスはすでに数人の有名人が着ているよね。そんな君が、なぜこの番組に? 』と訊かれた。そこでこう答えた。『出ない手はない。木曜日の午後8時に誰もが見る番組に出て、私の才能を知ってほしいから。番組がきっかけとなって、新たな扉が開かれると思うから。有名人に無料でドレスを提供しても、生計は成り立たないし、良い選択肢とは言えない。何か別のアプローチが必要だと思う』。実際、番組はいくつもの扉を開いてくれた。出演して本当に良かったと思う。確かに、優勝はできなかった。でも、シリーズ全体を通じて、クリスチャン・シリアノに次ぐ大ブレークを果たせた。大きな飛躍だ。ロサンゼルスだけで2万2000人の番組挑戦者を負かしたのだから」。
セレブリティの推薦がもたらす威力
「カイリー・ジェンナーやシャンテル・ジェフリーズといった女性セレブのリーチ力はすさまじい。しかも彼らにはマネジメントチームもいる。でも彼らは、私たちがほかのすべてのことを脇に置き、デザイナーとしてどれほど努力しているかをわかっていない。彼らの紹介コメントも欲しいが、せめて投稿のなかで『ありがとう』の言葉があればと思う。いまの世の中では、インスタグラムの投稿、クレジット、言及コメント、タグ、ハッシュタグといったものが重視され、求められている。セレブたちが、バルマン(Balmain)やヴェルサーチ(Versace)、グッチ(Gucci)、プラバルグルン(Prabal Gurung)といった有名デザイナーにタグをつけるのを見るとがっかりする。有名デザイナーはもはや紹介コメントや広告、言及などを必要としていないからだ。昼も夜もなく何日も仕事をして自分だけのルックを生み出し、せめて誰かタグを付けるか、クレジットを書くか、言及してくれないかなと期待するデザイナーがいることを、セレブたちは忘れている。せめてクレジットだけでもなんて頼んだところで、彼らには通用しない」。
業界のメジャープレーヤーになれた瞬間
「大親友の紹介で、サックスからラインシートとルックブックの提出を求められた。とはいえ、16日間でサックスのためのコレクションを作るのは大変だった。16日間で32種類のルックをデザインし、写真と動画を撮って、ルックブックとラインシートも作って、サックスにプレゼンした。『サックスのためにお作りしました』と言ってね。多くのブランドはデジタルスケッチとサンプルを送るが、私はサックスの人たちにアッと言わせたい、感銘を与えたいと考えた。おかげで、素晴らしいプレゼンで感動した、興奮したと言ってもらえた。結果として、サックスの4店舗とECサイト向けに大規模な注文が入った。こういう瞬間のために懸命に仕事をしてきたから、本当にうれしかった。どれだけ頑張っても、なかなか満足はできない仕事だから。
この世界では、有名な高級デパートに出店できて初めて、何かを成し遂げた、業界のメジャープレーヤーになれたと言える。デパートに行って、自分の作った服をラックに見つけたとき、子供の頃から大好きなホルストン(Halston)のように、アイコニックなブランドのすぐ隣に見つけたときは、顔をぶん殴られたような気分になる。『ワオ、これぞ、ついにやった!の瞬間だ』と思う。サックスへの出店は、まさにそれだった。14年前、サックス・フィフス・アベニューを訪れたときの様子をフェイスブックに投稿したことがある。ホルストンのドレスの脇を歩きながら、『いつか、この隣に立ってやる。このデパートに出店してみせる』とつぶやく様子をね。私はマイノリティだ。私のような人間にとって、このようなチャンスがどれほどの意味を持っているか、他人には想像もつかないだろう」。
(翻訳:SI Japan、編集: 山岸祐加子)