そういえば箱根の海賊船に乗ったことがない。
っていうかなんで海賊船なんだろう?
そう思って調べたら箱根山戦争と呼ばれたできごとがあり、それを題材にした小説もあることを知った。
小説以外の資料も集め、すっかり仕上がったところでいよいよ聖地、箱根に行こうと思う。
ライバル会社のバスを無理やり止めた
小説「箱根山」(獅子文六著)には1950年から1960年にかけての箱根の開発競争が描かれている。
競争しているのは函豆鉄道と箱根横断鉄道。
函豆側は船の仇を討つために、道路に遮断機を設け、横断バスの通行を、実力でとめてしまった。
獅子文六.箱根山(ちくま文庫)(p.20).筑摩書房.Kindle版.
函豆は駿豆鉄道(西武グループ)、箱根横断は箱根登山(小田急グループ)がモデルになっている。
なのでこの遮断機でライバル会社のバスを強引に止めたという事件は本当にあったできごとなのだ。
遮断機に至るまでの経緯はこうだ。
・駿豆鉄道(西武グループ)が箱根に道路を作る
・そこにライバルである箱根登山(小田急グループ、バックに東急)がバスを走らせる
・芦ノ湖でも駿豆、箱根登山ともに遊覧船を就航させていた
・箱根登山は小さい遊覧船だったが大型船を就航!
・小さい船だけという話だったのに大きい船作るなんて!だったらうちの道路走らせない!と駿豆鉄道
超かいつまんで書くとこういうことになる。
「だったらうちの道路通さない」と遮断機を作ったあたりがおとなげない。
インドでニューデリー駅に行こうとしたら「おれから切符を買え」と知らない人に通せんぼされたことがあるが、それの法人版だ。
1950年~60年代のこの2社の開発競争は「箱根山戦争」と呼ばれている。
今はそんなこともなく協力関係にあるが、その痕跡を見に行こうと思う。言ってみれば古戦場を見に行く旅である。
小田原駅からはいまでも2社のバスが出発する
箱根にはあえて小田原駅からバスで向かうことにする。かつてここで両社が激しい競争をしていたのだ。
いまでも2社のバスが小田原駅のバスターミナルから出発している。
いまは静かなターミナルだが、当時の描写は激しい。
小田原駅前は、両社の客引きアナウンスで、大変なことになった。両方とも、声のいいお嬢さんを雇って、自社のバスへお乗り下さいと、マイクで宣伝するのだが、しまいには、相手のアナウンスを妨害するのが目的となって、ガーガーと、どなり合ったので、ウグイス嬢がカケスのような声になって、縁談にさしつかえたという話も、残っている。
獅子文六. 箱根山 (ちくま文庫) (p.17). 筑摩書房. Kindle 版.
落語のようである。
いまもバス乗り場には両社の係員が立っていた。僕が小涌谷に行きたいと箱根登山バスの係員に言うと、なんとライバルである伊豆箱根バスを案内してくれた。
アナウンス妨害の時代からの変化を感じる。カケスのような声でもなかった。(カケスの鳴き声)
遮断機があった場所へ
小田原からバスに乗り遮断機があった小涌谷で降りた。小説ではそのバスについても記述してある。
両社のバスが、あの曲折の多い、急坂の国道を、競走し始めたのだから、危険この上もない。(中略)相手に抜かれないためには、一人や二人の下車客があったって、停留場をノン・ストップ。
どうしても、停めなければならぬ場合だって、意地悪く、往来のまん中に停車して、後からくる相手の車に、トオセンボウをする。
獅子文六.箱根山(ちくま文庫)(pp.17-18).筑摩書房.Kindle版.
まじかよ。
思わず雑なコメントをしてしまった。止めてもらえなかったらどうしようと思ったが21世紀のバスはきちんと止まった。パスモも使えた。
そして遮断機の場所である。
当時の週刊誌にはこのように書かれている。
「通せ!」「通さない!」「ここは駿豆の私有道路だぞ!」「箱根を私物化する強欲者!」と、あわやつかみあいにならなんばかりの勢い。(中略)
登山の車掌は「渡してはならじ……」と黄色い声で引き止める。双方ズブ濡れになってもみあうこと1時間。(中略)
第一の遮断機はあげられたが、登山バスは早雲山ケーブル駅手前の第二の遮断機で再びストップ(中略)
ここで登山側はついに断念して運休と決め、涙をのんで十数名の乗客に料金払い戻しという非常事態で幕を閉じた。(週刊サンケイ 1956/7/29号)
ひとつ目の遮断機を突破したものの、2つ目で運行を断念したとある。「渡してはならじ」「涙をのんで」などセリフが時代劇だ。国会図書館から当時の週刊誌を取り寄せてよかった。
この道路は結局、神奈川県が買い上げて県道となっている。
買収により交通戦争が終結したことを記念する石碑が芦ノ湖畔に立っている。石碑を立ててしまうほどのできごとだったのだ。
あこがれの遮断機の場所で写真を30枚撮って満喫したが、ここでもうひとつやっておきたいことがある。小涌園でアイスを食べるのだ。
アイスクリームを食べる
この小涌園を作った人物も小説「箱根山」に登場する。彼は富裕層ではなく、大衆向けの温泉施設を作り成功している。
小説では大衆がお金を使うものとしてアイスクリームが登場するのだ。
彼が小湧谷に現出させたのは、箱根に類例のない、大衆温泉殿堂だった。昨今、東京で流行してるヘルス・センターの型を、山の中で、大がかりに始めたわけだが、これが、非常に当った。
(中略)
修学旅行の子供たちにしたって、宿泊料こそ、一泊四、五百円でも、子供の一人々々が、パチンコ的な娯楽設備や、アイスクリームや、ラーメンや、記念品購入に費す金が、それ以上である。
獅子文六.箱根山(ちくま文庫)(p.27).筑摩書房.Kindle版.
僕も大衆の一人として小涌園でアイスを食べておきたい。
小涌園は改装中のため館内のファミマのアイスとなったが、小説で書かれていることを体感してニヤニヤできた。