怖いもの見たさと知的好奇心と
宇佐市内の大乗院というお寺に、鬼のミイラが安置されているという。
鬼である上に、ミイラとは。こんなに恐ろしいことはない。じゃあミイラじゃなくて生きた鬼なら怖くないのかというと、それはもっと怖い。怖い上に危険だ。やっぱりミイラの方がいい。でもミイラも怖い。鬼のミイラ怖い。怖いけど、…見たい。
そして、寺に鬼がまつられてるっていうのはどういうことだろう。鬼って邪悪なものだと思うのだ。それを参拝の対象にしてしまうなんて、いったいどんなことになっているのだろう。
怖いもの見たさ半分、知的好奇心半分で大分までやってきた。
すばらしいお天気
この日、怖いもの見たさなんて吹き飛ばすほどのお天気であった。前日まで降っていた雨もやみ、用意してきた服では汗ばむほどの暖かさ。のどかな土地柄もあいまって、まだ4月なのに夏休みみたいな風景だ。とてもこれから怖い鬼を見に行くムードではない。記事を書く身としては雷の一つも鳴っていると盛り上がるのだけれども…。
標識によるとそろそろこのあたりに大乗院があるはずなのだが、それらしい建物が見つからない。うっかりそのままピクニックに出かけそうになるのをこらえて、通りすがりのおじさんに聞いてみる。
おじさんが案内してくれた先はちいさな空き地で、その隅に小さな石段が山の方に伸びていた。幅の狭い、ひっそりとした石段だ。
林の奥へまっすぐに伸びていく石段。石段の脇には古びた木のポストがあり、お清めの塩が置かれている。
あまりの陽気にゆるみまくっていた気分が、この塩を見て少しひるんだ。けっしてからかい半分で取材にきているわけではないのだけれども、お寺にまつられている鬼を、記事にしてサイトに載せようなんてちょっとヨコシマな考えでは。たたられたりしないだろうか。
ついつい気がゆるむ
しかしそんな緊張感も全く伝わらないほどに、写真に写る空は青い。茂っている木々の葉も青々としている。
そしてそれは写真だけの話ではなくて、現場にいる僕たちの心もついつい天気につられてウキウキしてしまう。軽い足取りで石段を登っていると、ついつい鬼のことを忘れてしまうのだ。
途中、石段を下りてくる人とすれ違った。「こんにちは!」と軽やかに挨拶を交わして、その人は石段を下りていった。明らかに陽気だ。彼も、僕たちも。
そしてすっかり浮ついた気分で石段を登り切ると、目の前に大乗院があらわれた。
ピクニック気分との戦いはつづく
石段の上にあったのは、寺と言うより家のような建物であった。いや実際に住職がくらしておられるわけだから「家のような」というのは語弊があって本当に家なわけだが、ここではその一室が、本堂としてお参りのために自由に出入りできるようになっている。
浮ついた気持ちでやってきた本堂、その入り口には張り紙があり、そこでやっと僕は自分が何をしにきたかを思い出して、すこし畏怖の念を取り戻す。
ピクニック気分をを戒めるように、御大師さまたちはけっこう怖い顔をしていた。しかしそのすぐ脇の茂みから、すぐそこでウグイスが鳴いている声がする。ウグイスかわいい!また浮かれそうになる気持ちを、いかんいかん、と必死で押さえる。
グッと気を引き締めて御大師さまへのお参りを終え、いよいよ本堂の中へ。