※この記事は、ミレニアル世代のビジネスパーソンを主要ターゲットに、政治、経済、金融、テクノロジー、企業戦略、スポーツなど幅広い分野のニュースを日々配信している「Business Insider Japan」からの転載です。
既成概念にとらわれない価値を創造する「経営戦略」として、グローバル企業のスタンダードになりつつある「デザイン経営」。2018年に経済産業省と特許庁がリリースした「『デザイン経営』宣言」以降、日本でもデザイン経営に取り組む企業が増えている。
その一方で、本来の目的から外れ、単なる手法論としての導入に留まっているケースも少なくない。
デザイン経営とはそもそもどんなものなのか。企業文化として定着させ、戦略やサービスとして実装していくにはどうしたらいいのか。『サービスデザイン思考 ―「モノづくりから、コトづくりへ」をこえて』の著者であり、企業のマーケティング・コミュニケーションや事業・製品・サービスデザインの支援を展開するインフォバーン副社長の井登友一氏と、同社のデザイン部門「IDL [INFOBAHN DESIGN LAB.](以下、IDL)」の部門長、辻村和正氏に聞いた。
「デザイン経営」への誤解から生まれるKPI的発想
VUCA時代の経営戦略として、デザイン経営に着目する企業は多い。不確実性が高い今の状況をどう乗り越えていけばいいのか。まさに「今ここにある危機」を解決し、生き残りをかけて闘っている。
だが、デザイン経営には限界もある。目の前の「今ここにいる顧客」を中心に発想する傾向になるためだ。
それは、社会や自社の「望ましい未来」のあり方にも当然影響する。
デザイン経営を実装するために集めたデザイナーや人材(デザイン人材)も、「顧客やユーザーの課題を発見して、その課題を解決していく」というわかりやすい課題解決に陥りがちになる。また、出したアイデアを上申するために数字でアイデアの良し悪しを説明するというKPI的な発想になってしまうのだ。しかし、目の前のKPI達成とは別の視点から思考・試行していかなければ、「望ましい未来」を実現することはできない。
「顧客中心・ユーザー中心にすることは重要ですが、これからの時代に必要なのは、『今でもなく、ここでもない』場所にいる新たな他者を「中心」に据えた「外部」もつくり出していくこと。デザインには、常に新境地を思索・試作していく実践が求められているのです」(辻村氏)。
デザイン経営領域で注目を集める「Kyoto Creative Assemblage(京都クリエイティブ・アッサンブラージュ)」の代表者、京都大学経営管理大学院の山内裕教授によれば、「資本主義によってつくられた今の価値観の外に新たな価値観をつくることは、文化をつくること」だという。
Kyoto Creative Assemblageは、新しい世界観を提示することで時代を切り開く人材を育成するプログラムで、2022年度に開講。京都大学、京都市立芸術大学、京都工芸繊維大学のほか、著名なデザイナー、アーティスト、起業家など、そうそうたる講師陣の中に、IDLの井登氏、辻村氏も名を連ねている。
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強みは独自のメソッドと多彩なバックグラウンド
デザイン経営を「導入」しても、それが近視眼的になってしまえば長期的な企業の成長にはつながらない。そうしたデザイン経営の抱える課題を克服し、各企業の強みを活かしながらサスティナブルな組織への改革をサポートしているのが、IDLだ。
自らを「トラブルメーカー」と称するIDLは、デザイン実践を通し、クリティカルな視点で既存の価値観をクライアントとともに揺さぶり「解体」する「Troublemaking」を重視している。そして、解体するだけではなく、クライアントと共創し、今の価値観の「外部」に新たな価値を構築していくファシリテーション能力に長けているところが、IDLの特長でもある。
ビジョンの描き方一つをとっても、その手法は、数々の実践と研究を重ねながら編み出した独自のもの。既存の価値観から一歩先の未来を想像するのではなく、歴史的過去の事象を起点に将来像を描き、その実現に向けてバックキャスティング(逆算)していく。
インフォバーン執行役員、IDL部門 部門長の辻村和正氏。東京外国語大学卒業後に渡米。南カリフォルニア建築大学(SCI_Arc)大学院修了、建築学修士。国内外の建築デザインオフィス、デジタルプロダクションを経て2014年にインフォバーン入社。デザインリサーチを起点としたプロダクト・サービスデザインをリード。主な受賞歴に、文化庁メディア芸術祭、ニューヨーク フィルム フェスティバルなど。東京大学大学院学際情報学府にてHCI(ヒューマンコンピュータインタラクション)、建築、デザインリサーチを横断した学際的研究にも取り組む。
ポイントは、直線的に未来を描くだけでなく、円環的な未来を描くということだ。
「前者は今から未来を見るフォーキャスト的な方法、後者は過去に遡って現在を経由して未来を描く方法。いずれも描いた未来から今に向かってバックキャストできますが、IDLは特に後者に着目し、トランジションデザインという手法を通して円環的に未来を描くことに力を入れています。
これは、人文社会学の視点から過去の事象を考察して生活者の価値観のドラスティックな変化に着目し、未来の生活(者)を思索することによってビジョンを描いていくという手法です」(辻村氏)。
もちろん、抽象的な概念やビジョンだけをレポートして終わりではない。
「私たちはデザイナーですから、最後には共に描き出した考えを『物質化』します。商品として反映されることもありますが、そこまで行かなくても、文章やダイアグラム、スケッチやモックアップなど、何らかの認知可能な形にする。そうすることでめざすべき像が明確になり、議論をドライブしていくことができるようになります」(辻村氏)。
概念を物質化し、物質を通した思考を繰り返すこの取り組みを、IDLでは「Making & Meaning」と言い、先述した「Troublemaking」とともにIDLの特長を表す独自の「デザイン態度」でもある。
「デザイナーとは本来、物をつくることが好きで、それをせずにはいられなかった人たち。頭だけでなく、手を動かしながら物事を考えて、そこに意味を見出したり、つくり上げたりすることができる人々です。KPI的な思考ではなく、クラフト的な能力や思考を取り入れていくことが、真のデザイン経営につながっていきます」(井登氏)。
インフォバーン取締役副社長/デザイン・ストラテジストの井登友一氏。2000年前後から人間中心デザイン、UXデザインを中心としたデザイン実務家としてのキャリアを開始する。近年では、多様な領域における製品・サービスやビジネスをサービスデザインのアプローチを通してホリスティックにデザインする実務活動を行っている。また、デザイン教育およびデザイン研究の活動にも注力しており、関西の大学を中心に教鞭を執りつつ、京都大学経営管理大学院博士後期課程に在籍しデザインとイノベーションを主題とした研究を実施中。HCD-Net(特定非営利活動法人 人間中心設計推進機構)副理事長、日本プロジェクトマネジメント協会 認定プロジェクトマネジメントスペシャリスト。
デザイナーだけではない。IDLには編集者としてのバッググラウンドを持つものが少なくなく、「クリティカル・ストーリー・メイキング」という独自の実践プログラムをはじめ、文章執筆やストーリー構築の面からもクライアントのデザイン経営を支えている。
デザインファーム群のなかにおいても異彩を放っている理由は、そうした独自の発想やメソッド、人材から生まれている。
デザインの持つ本当の力が認識されはじめた
IDLが事業部門として独立してから2023年で6年。独立前からUXデザインの支援活動を始めていたが、当初はまだ感度の高い人にしかその価値が認知されていなかったため、サービス内容は誤解されることが多かったという。
「ワークショップという言葉すら一般的でなかった時代。UXデザインに対する期待は、『ユーザー調査の結果を納品してくれさえすればいい』というものでしかないことも少なからずありました。クライアント企業の未来像を共創するパートナーだということが、なかなか通じなかったんです」(辻村氏)。
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デザイナーに期待される役割も限定的だった。
「そもそも最近まで、日本企業は『デザイン』というものを誤解していたんです。特に製造業においては、デザイナーはすべてのバリューチェーンの最後の部分を担うだけという位置づけでした。商品のスペックも仕様も決定し、マーケティングもすべて終えた後に『あとちょっとカッコよくしておいて』と言われるような存在だと思われていたんです。しかしデザイン思考やデザイン経営においては、根本的に違います」(井登氏)。
井登氏によれば、モノを作れば売れた高度経済成長期を経て、2000年代には合理的な選択をし続ければゲームに勝つことのできる時代が訪れた。このころは実は経済や環境の変化が少なかったため徹底的なリサーチと分析によって「正解」を導き出すことができたのだという。
ところがドットコムバブルの崩壊やリーマンショックを経て、外部環境が大きく変わったことから先行きが見通せなくなり、合理性だけでは企業が成長できなくなった。「かつてのMBA的な発想だけではビジネスが立ち行かなくなった」(井登氏)のだ。
そんななかでデザイン思考やデザイン経営が注目され、感度の高い企業が積極的に取り入れていった。
レガシーな企業こそ、デザイン経営で強くなる
IDLの活躍の場も広がってきている。なかでも、メーカーをはじめとする大手製造業がメインのクライアントだ。デザイン経営の効果がドラスティックに発揮される分野でもあるという。
「変化に対応できずに苦境にあえいでいると指摘されることもありますが、大手製造業というのは実にパワーがあるんです。『デザイン経営』をやると決めれば、そのための部署も人員も用意し、教育をする仕組みも構築する。しかも、技術的なリソースもある。そして猛烈な勢いで組織を組み換え、進んでいきます」(井登氏)。
実際、IDL自身もクライアントの変化を実感しているという。
デザイナーをはじめとするデザイン人材もまたしかり。実は、ミドルエイジ以上のデザイナーこそ、デザイン経営の考え方を用いたリスキリングができれば、経営に大きな価値をもたらす可能性があるという。
「今の若手デザイナーは、大学でデザイン思考を学んでいるケースが多い。そのため理解力が高く、非常に優秀。しかし弱点もあり、皆同じような環境で授業を受けてデザイン思考を学んでいるために、アイデアとデザインプロセスがコモディティ化しがちなんです」(辻村氏)。
一方、ミドルエイジ以上のデザイナーはデザイン思考の教育を受けてこなかったものの、コモディティ化とはある意味かけ離れたこだわりを追求してきた面があるという。
「デザイン経営を考える際に役立つのは実は考え方の偏り。妙なものへの愛やこだわりがあったほうが、危機にさらされたときの突破力が強いんです。これまでプロダクト開発などで活躍してきた優秀なデザイナーがいる企業はチャンスです。彼らがリスキリングし、その知識とアイデアを経営に活かせれば、新しい世界が見えてくるのではないでしょうか」(井登氏)。
アルチザンが増えれば、日本企業はもっと勢いづく
これからは、デザイナーがアルチザン(職人)となり、それが増えていくことでKPI思考やMBA的な発想を解体し、デザイン経営宣言を本来の意味で実践していくことになるというのが井登氏の仮説だ。
「アルチザンが活躍していたのは、現代のような極端な分業制が成立する前の時代です。寄り集まって暮らし、働いていたアルチザンたちは、同じような仕事をしながらもそれぞれの得意分野を持っていた。そして競い合いつつも協力しあってコミュニティを発達させていたんです。それぞれの持っていた偏差が全体の成長につながっていったんですね。
このような偏差を持つアルチザンたちが企業に増えていくことで、今後も企業は成長を続けていけると思います」(井登氏)。
デザインには3つの時代があると言われる。Design for customerの時代、Design with userの時代、Design by peopleの時代だ。
「今はDesign with userからDesign by peopleへと向かおうとする過渡期です。つまり、一般生活者が民主的にデザインを実践していこうとする時代です。
従来のデザイナーには一般生活者がデザインを日々の実践として円滑に進めるための道具作りとその使い方をファシリテーションする役目が加わります。企業、組織、社会、それらに属する皆がデザインを手段として活用しながら、より良い未来を描けるようになっていくといいと思います」(辻村氏)。
デザインの力で企業を変える――。そのために必要な企業のマインドセットを、IDLは、先述したTroublemakingとMaking & Meaningによってサポートしているのだ。
「デザインで未来を拓くんだという思いをクライアントと共有しながら、イノベーションの「共創関係」を広げていきたい」と語ったIDLの2人。その広がりは、日本の行く末に大きな影響を及ぼすに違いない。
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