旧統一教会は何を目指しているのか

アゴラ 言論プラットフォーム

編集部より:筆者の長谷川良氏は世界日報のウィーン特派員です。アゴラでは世界日報が統一教会(世界基督教統一神霊協会)の設立したメディアであることを承知の上で、彼のブログを転載していましたが、安倍元首相の暗殺事件の後、統一教会がこれに関与している疑いもあったため、転載を一時中止していました。そのような事実がないため、転載を再開します。


統一教会は「反社会的」だから解散命令を出せという憲法学者

九州大学の南野森教授(憲法学)がTBSの番組の中で、「統一教会は反社会的だから解散命令を出すべきだ」と発言したという。そして、「反社会的な団体には『信教の自由』や『言論の自由』などを持ち出して議論をしてはならない。統一教会は暴力団体だからだ」という暴論を発した。

同教授は「統一教会は普通の宗教団体ではない」と断言する。それでは「どの団体が普通の宗教団体か」と聞いてみたい。と同時に、絶好の機会だから教授に聞いておきたい。「統一教会が提示する教えを知っているのか」と。

統一教会の教えは2000年の歴史を有するキリスト教の伝統的な教えを土台としている。旧約聖書と新約聖書66巻をその教えの土台としたキリスト教だ。だから現在の名称の前の統一教会は「世界基督教統一神霊協会」と呼ばれていたわけだ。

南野森教授が「統一教会は普通の宗教団体ではない」と主張する以上、統一神学を知ったうえでの発言と考えていいだろう。統一神学の何かを理解し、教会の経典「原理講論」を最低一度は読破されたと考えるから、統一神学のどこが問題であり、普通ではないのか、を指摘するのが暴言を吐く前の義務だろう。統一神学のエッセンスを知らず、「あの宗教団体は普通ではない」という議論は憲法学者がするべき発言ではないからだ。

教授が統一教会を反社会的と断定し、「宗教の自由」、「言論の自由」を享受できる資格のある団体ではないと判断する根拠の一つは、統一教会が過去、信者との間の献金問題があって、それに関連した民事訴訟件数が多かったことがあるのだろう。それに対し、統一教会側は2009年、「コンプライアンス宣言」を表明し、法の遵守を徹底し、強制的な献金集めを慎むように信者たちに求めていくと発表して以来、その訴訟件数は減少したという。その時の教会会長は引責辞任している。

聖職者の性犯罪が数万件にのぼるカトリック教会は「反社会的」か

残念なことだが、宗教団体には民事、刑事訴訟を抱えている団体は少なくない。その代表格は13億人以上の信者を誇る世界最大のキリスト教会、ローマ・カトリック教会だろう。世界各地の教会で聖職者による未成年者への性的虐待事件が発生し、教会指導部がそれを隠ぺいしてきたことが明かになっている。聖職者の性犯罪件数は5桁、数万件にもなる。アイルランド、フランス、ドイツ、米国など世界のカトリック教会で聖職者の性犯罪が暴露され、裁判にもなっているのだ。

南野森教授はその事実をご存じだろう。未成年者時代に聖職者に性的虐待を受けた犠牲者たちがその後の人生でどのようなトラウマに悩まされながら生きているか、癒されないために自身で人生を閉じた犠牲者も少なくないのだ。

もちろん、どのような犯罪も容認されるべきではないが、不法な経済的活動より未成年者への性的虐待が重犯罪であることは間違いない。ローマ・カトリック教会こそ教授がいう「普通の宗教団体ではなく、組織犯罪グループ」であることはその訴訟件数からも認めざるを得ない。しかし、そのカトリック教会の宗教団体の解体を要求する声はほぼ皆無であり、その「信教の自由」は尊重されて今日に至っている。如何に多くの民事訴訟件数を抱えている宗教団体とはいえ、「信教の自由」は尊重しなければならないことは憲法学者ならばご存じだろう。

聖職者の1人が、「性犯罪は教会だけで発生しているわけではない。教会内の聖職者による性犯罪発生率は社会のそれとほぼ同率で、教会だけが飛びぬけて多いわけではない」と立派な(?)弁解をしていた。これは事実だ。宗教団体の教会も社会の一員とすれば犯罪問題でも社会と同じ程度の犯罪が起きていると考えても不思議ではない。その意味で、社会は教会での聖職者による性犯罪に大きな憤りを感じながらも、宗教団体の解体を求める声は少数派に留まってきたわけだ。

統一教会には高額献金問題を解決する義務がある

南野森教授を含む統一教会批判を繰り返す知識人、メディア関係者は統一教会の基本的な世界観について知るべきではないか。批判しながら、統一教会が何を目指しているのかを知らないとすれば、それは世論に迎合した批判に過ぎないと言われても仕方がない。統一教会の創設者文鮮明師は生前、「世界を救えるのなら、教会は要らない。これまで苦労された神を解放できればいいのだ」と述べている。

若い青年、大学生が学業を途中で捨て教会に献身していったのはメディアが好んで使う「洗脳」の結果ではない。若い世代の心を揺り動かす世界観、人生観がそこにあったからだろう。欧州の統一教会では冷戦時代、文鮮明師は“ミッション・バタフライ”と呼ばれるソ連・東欧共産圏への宣教活動を始めている。選ばれた若い青年たちが共産圏に入り、地下活動をしながら神のみ言葉を伝道していった。彼らの中には拷問を受けて亡くなった者もいる。暗い牢獄に長くいたため足指を腐らせた信者もいた。彼らは無神論共産主義の過ちを伝え、その社会で苦しむ東欧の国民に神を伝えていった。たぶん、統一教会を批判する日本のメディア関係者は彼らの存在すら知らないだろう。統一教会にもコルべ神父がいたのだ。

旧統一教会は社会から批判を受けた高額献金問題を迅速に解決する義務がある。高い理想を掲げながら、「反社会的団体」と見られ続けていたならば、神の威信がたたなくなるからだ。一方、容共左派知識人、メディア関係者は献金に関わる民事訴訟は司法にゆだね、統一教会が提示した世界観、人生観について少しは知るべきだろう。九大の憲法学者の暴言を読んで、日本での統一教会批判の程度の低さに驚いたことを最後に付け加えておきたい。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2022年8月23日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。

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