「本質的に、 Web3 とメタバースは相互に関連していない」:メタバース専門家 マシュー・ボール氏

DIGIDAY

昨年マーク・ザッカーバーグがFacebook――ではなくメタ(Meta)が「メタバース企業」になる方向に旋回していると宣言した後、メタバースというコンセプトが時代の潮流となった。しかし、シリコンバレー内外の未来学者たちは、メタバースの構築方法についてそれよりもずっと以前から真剣に議論してきた。

マシュー・ボール氏はそのような先見の明のある人の一人だ。ボール氏は、いくつかの有名なメディア企業やテクノロジー企業(最近ではAmazonスタジオ[Amazon Studios]で2016年から2018年にかけて戦略部門の責任者を務めた)の役員を経て、現在はベンチャーファンド、エピリオン社(EpyllionCo)のマネージングパートナー、ならびにゲームおよびメタバース分野のベンチャーファンドや投資グループのパートナーおよびアドバイザーを務めている。

ボール氏は「メタバース分野のリーダー」としても知られている。これは、このテーマについて彼が自分のドメインで発表してきた一連のエッセイの影響が大きい。これらのエッセイは、近年になってメタバースが一般の人々の意識に浸透するのに貢献した。ワシントン・ポスト(The Washington Post)紙は2020年4月、メタバースとゲーム業界を結びつけた重要なレポートのなかで同氏に言及している。そして中国の政府系メディアであるセキュリティ・タイムズ(Security Times)が2021年8月にメタバースの概念に反対する公式声明を出した際にも、同氏の研究を引用している。

同氏の最新著作「メタバース:そして、それがどのようにすべてに革命をもたらすか(The Metaverse: And How It Will Revolutionize Everything)」が7月19日に発売された。米DIGIDAYはボール氏に連絡を取り、来るべき仮想世界に対する彼のビジョンについて詳しく聞いた。

このインタビューは、わかりやすくするために編集され要約されている。

――現在、人々がブロックチェーン技術とメタバースの概念を混同しているのは問題か。

本質的に、そのふたつが相互に関連しているとは言えない。私が人々に伝えたいのは、私の視点から言えば、Web3はメタバースに関連する哲学とデータベース技術を指しているということだ。

トピックが混同されるのには、それなりの理由がある。定義上、Web3はWeb2の後継であり、メタバースはインターネットの後継と形容されるが、私はこのふたつを分けて考えている。私の見方では、メタバースとは主にリアルタイムでレンダリングされた3D仮想世界の相互接続ネットワークのことであり、Web3とは技術的にも哲学的にも分散型インターネットのことを指す。

当然ながら、大規模な社会的・技術的変化は「そのほか(の現象)」をもたらす傾向がある。なぜなら、変化は変化をもたらすからだ。このようにして、このふたつの別々の状態が同時に、あるいは互いに反応して起こるかもしれない。また、Web3の技術と哲学は、メタバースの繁栄に不可欠である、と判明するかもしれない。

確かに、個々のユーザーと開発者に大きな力と、利益がもたらされることはデジタル経済の成長にとって不可欠であり、また、技術的に実現可能なだけでなく、一般の人が参加したいと思えるようなメタバースを構築することにとっても必要だと考える人もいる。

――現在のブロックチェーン企業のなかには、メタバースに対するあなたのビジョンと一致するような形でテクノロジーを使用している企業があるか。

メタバースに関する多くの技術文献を見ると、それを実現させるために必要なネットワークと計算の膨大さに大きな焦点が当てられている。多くの人にとっては、分散コンピューティングインフラストラクチャにアクセスする方法を見つける必要がある。

(余った電力をほかへ渡すことができる)ソーラーパネルの仕組みが最も近い例えかもしれない。自宅にあるホームシアター、サムスン(Samsung)のTV、ソニーのPlayStation 5、またはMacBook Airの空き容量を、特に隣人に貸し出すことでネットワーク遅延の課題をある程度回避できる。

その解決には必ずしもブロックチェーンが必要ではないが、レンダー・ネットワーク(Render Network)(彼らのトークンはRNDR)のような企業は、スマートコントラクトを使用し、ブロックチェーンにおけるプログラマティック入札を使用して、未使用のコンピューティングキャパをほかで利用できるようにしている。もうひとつの例は、ケビン・ルーズ氏がニューヨーク・タイムズ(the New York Times)で書いたこともあるヘリウム(Helium)で、これは使われていないブロードバンドの容量をほかの個人に安全かつ自律的に貸し出すという、(レンダーネットワーク)とある種類似したアプローチをとっている。

――平均的な消費者がメタバースとは何なのかをどの程度認識しているのか、理解しているか。

メタバースとは何かという質問をよく聞かれる。メタバースの定義、時間、理由などについて、なぜ人々は同意できないのか。そこで思い出して欲しいのは、インターネットが始まって40年、消費者向けインターネットがメインストリームとなって四半世紀になる今でも、ほとんどの人はインターネットが何であるかを説明できず、ましてや一貫性のある説明ができる人はいないという点だ。通常は、人はそれぞれの個人的な観点から説明する。技術者はプロトコルについて語り、ネットワークエンジニアは地中のチューブについて語る。消費者はおそらく自分のiPhoneのアプリについて話し、ハードウェアメーカーはインターフェースのデザインについて話すだろう。

結局のところ、お店の商品棚に陳列されているようなメタバース製品はない。メタバース収益というものは存在していないし、私たちはメタバースのなかに住んでいるとは言えない。しかし結局のところ、インターネットが証明しているように、それは必要ではない。実際にはこれらの点は実用的な事項ではないのだ。

面白いことに、私はメタバースについて語る時に、ウィリアム・ギブソンのSF小説「ニューロマンサー(Neuromancer)」からの表現をよく引用する(ギブソンは「ニューロマンサー」で「サイバースペース」という概念と言葉を作った)。もちろん、ニューロマンサーはSF小説「スノウ・クラッシュ(Snow Crash)」の有名な前身で(「メタバース」という言葉はサイバースペース的なものに対して、スノウ・クラッシュでつけられた名前)、この作品では彼の有名な「未来はすでにここにある。ただ均等に分配されていないだけだ」というテーマが扱われる。

どういうことかと言うと、いわゆる「メタバース」にもっとも深くのめり込んでいる人、あるいはロブロックス(Roblox)のようなプロト・メタバースにのめり込んでいる人は、この言葉にあまり馴染みがないということだ。彼らにとって、この用語(メタバース)はもちろん、必要ない。そして彼らは、メタバース体験が何か、何でないか、明日はそれがどうなるのかについて積極的に考えたりはしない。しかし、まさにそのような、彼ら世代における(メタバースの)受容が結実をもたらしている。

――現時点で最も人気の高いメタバースプラットフォームはマインクラフト(Minecraft)やロブロックスなどのビデオゲームだ。ユーザーは最終的にこれらのプラットフォームから(年齢が高まるにつれて)「卒業」するのだろうか。

個々のプラットフォームから卒業する可能性はある。確かに、人々はハボ・ホテル(Habbo Hotel)やネオペッツ(Neopets)、クラブ・ペンギン(Club Penguin)、マイスペース(MySpace)、AOLインスタント・メッセンジャー(AOL Instant Messenger)を卒業した。私はIRCチャットやナップスター(Napster)を使って育った。これは避けられないことだ。

重要なのはコラボレーション的なソーシャル空間における基本的な行動に関して、世代交代が見られるかということだ。その答えはイエスだ。(メタバース的なものの受容に関して)足踏みが止まっていたり、少なくとも停滞してしまっていることを示す証拠はほとんどない。興味深いのは、メタバースという言葉を知っている大人と、知らないが毎日それを生きている若者のあいだで、分断があることだ。そして最終的には、前者よりも後者の方がずっと重要なのだ。

ほとんどのケースにおいて、(メタバースの)前の時代を生きている人々が、(メタバース時代を生きている)消費者のために製品を作っている。私たちがゆっくりと持っているのは、製品を作る人々の世代交代だ。世界最大のソーシャルネットワーク群は今でも、PC時代、あるいはソーシャル時代初期に育った人々によって構築、設計、運営されている。もうすぐ、(開発企業の)ファウンダーたちがiPadを手にして育ち、5歳から15歳までのあいだで一番好きな娯楽はロブロックスまたはマインクラフトだった、という時代にたどり着く。

――プラットフォームが広告目的だったり金目的のもののように感じさせてしまってユーザーを疎外してしまうこと。どうやってこれを避けながらブランドやマーケティングアクティベーションを組み込み収益を上げることができるのだろうか。

確かに、マーク(ザッカーバーグ)は、彼が言うところのメタバースのGDPを最大化することの難しさを、それを構築するために必要な投資を資金調達する必要性と共に、詳細に語っている。誰も明確な答えを持っていないと思う。たとえばフォートナイト(Fortnite)を見てみると、エピックゲームズ(Epic Games)は、AppleがAppストアの支払いを独占していて、フォートナイト内でサードパーティーの支払いシステムを利用できないと考えていることが明らかだ。これは動的な課題だ。誰も明確な答えを持っていないと思う。なぜなら、それは最終的にはポリシーの程度問題であって、搾取かユートピアか、という問題ではないからだ。資本主義か共産主義か、という問題でもない。

私がメタバースについて最も楽観的なことのひとつは、さまざまなスキルを促進する点にある。ソーシャルメディアに目を向けると、アルゴリズムによるレコメンデーションや最適化の弊害について多くのことが語られている。YouTubeにおける15分ビデオの目標は何かというと、その動画を見た後(15分が終わった後)を円滑にすることだ。Facebookにおけるスクロールの目的は何かというと、ユーザーにもう一度スクロールさせるか、別のフィードをクリックさせることだ。ゲームには異なる目的がある、と言っているわけではない。ゲームもユーザーにプレイを続けて欲しいと思っている。

違いは、私たちがゲームをするのはゲーム自体が楽しいという理由からだけということ。多くの人が、ある種のネガティブな悪循環に囚われた状態でソーシャルメディアやニュースにエンゲージメントを持っている。たとえ(エンゲージメント中の)気分が悪くても(楽しんでいなくても)、彼らは中毒になっている。しかし誰も楽しくないゲームはしない。彼らは楽しいから遊ぶのだ。

[原文:Why Web3 and the metaverse shouldn’t be conflated: A Q&A with Matthew Ball

Alexander Lee(翻訳:塚本 紺、編集:黒田千聖)

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