「何だ、おめえは。青鯖が空に浮かんだような顔をしやがって。」
詩人・中原中也が太宰治に向かって放ったとされる文句だ。(檀 一雄『小説 太宰治』小学館 P+D BOOKS 190頁中32頁目、電子書籍版 2019年発行(Kindle)より)
中也は酒癖が悪く、Wikipediaを見るだけでも強烈なエピソードがいくつか確認できるが、これはそのなかでも有名な罵倒である。
とはいえ、これまでのところ、実際に青鯖が空に浮かんでいる姿を見たことがない。
あり得ないことに喩えてこそ成り立つものだ、というのは理解できる。それでも、無粋だとわかっていても、一応見ておきたいのだ。青鯖が空に浮かんだ時の顔を。
前の記事:冷凍今川焼きを揚げるとうまい
鯖を一尾手に入れる
そうと決まればまず鯖を確保する必要がある。
近所のスーパーや魚屋さんではまるまる一尾を売っていないため、家からまあまあ近い鎌倉に来た。
青鯖というのはとくに鯖の種類のことではなく、鯖の色が青いことからついた呼称だそう。
ということで無事、寒鯖をゲット。
問題はこのあとどう空に浮かべるかだ。
釣竿で吊りさげようとしたが、地面と平行にしたいとなると難しい。
あとでおいしくいただくことを考えるとなるべく身を傷つけたくないのである。
浮いているように見せたい
となると、まずできることは「浮いているように見せる」である。
100均で買ってきたクリアなカードケースに挟んでみてはどうか。
これを空にかざしてみる。
さて本題だ。気になるのは鯖が空に浮かんだ、その表情。
中也からすると太宰治はこんな表情をしていた、ということだ。
冒頭に挙げた檀一雄の著作では、青鯖の下りの前までに、太宰は不必要に人に媚びるきらいがあることを何度か描写している。
そして酒の席で次第にひどくなる中也の絡みに対する甘い相槌が、この罵倒を引き出させたと読み解くことができる。
嫌々人に媚びてやり過ごそうとする、居心地の悪さを隠した表情だ。それを踏まえて見てみるとそんな感じの顔に見えなくもない、気がする。
やっぱり空に浮かべたい
空に浮かんだ風に写真を撮ることができたし、浜辺で黄昏る人々の視線もなかなかに痛かったので一旦は帰宅した。
しかし、やっぱりどこかで本当に鯖を空に浮かべることができなかったという後悔が残る。
鯖をぷかぷかと空に浮かべることは、かなしいけど物理的に不可能だ。ということは、私ができるのは鯖を空に放り投げることだけだろう。
食べ物だし粗末に扱うことは許されない。もちろんそれはわかっている。
それでも、空に浮かべたいという強い気持ちが、ここ(心)にあるのだ。
念のため、編集部の古賀さんにも相談してみた。
「先日お伝えしておりました、次回の企画『青鯖を空に浮かべる(仮)』を撮影しております。なかなか完璧に青鯖を空に浮かべるのが難しく、もう空に放り投げるしかないと考えております。鯖を粗末に扱う意図は全くないのですが、どう思われますか」
古賀さんからの返事は「敬意を持って優しく投げていただければ大丈夫だと思います。絶対に落とさないでください」だった。
敬意をもって鯖を投げる。大切なことを教えてもらった。あとは覚悟を決めてやるだけだ。
翌日、筆者はもう着る予定のない服を纏い、ビニール手袋を携え、近所の河川敷にいた。チャンスは一回きり。どんなことがあっても絶対に落としてはならない。緊張が走る。
顔こそ確認できないが、なんかこう、やりきった感がすごい。サウナでととのったときくらい、頭がすっきりしている。
余裕がなくて顔こそ正確に捉えられなかったが、ただ、鯖を空に浮かべたという事実だけで満足している自分がいる。
もし死後の世界で中也と太宰に会うことができたら「青鯖ってね、空に浮かべるとすっきりするんですよ。」と伝えたい。