安倍氏の拉致対応 なぜ失敗した? – PRESIDENT Online

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2021年12月、「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」の元代表・飯塚繁雄さんが亡くなった。ジャーナリストの宮田敦司氏は「家族会は高齢化が進んでいる。もう一刻の猶予もない。かつて安倍首相は、北朝鮮が立ち上げた調査委員会を『かつてない体制』と評価したが、そうした失敗を繰り返してはならない」という――。



記者団の取材に応じる岸田文雄首相=2021年12月18日午後、東京都中央区 – 写真=時事通信フォト

過去の政権と同じ「意気込み」だけを語る首相

北朝鮮が日本人の拉致を認めて謝罪してから今年で20年になる。2021年12月には「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」(以下、家族会)代表を14年にわたって務めた飯塚繁雄さんが亡くなった。家族の高齢化は進んでおり、拉致被害者の早期帰国に向けてもはや一刻の猶予もない。

だが岸田文雄氏が首相に就任しても、事態が進展する兆しは見えていない。

2021年10月18日、岸田首相は官邸にて家族会と面会した。

「私の内閣においても変わりなく拉致問題は最重要課題」
「ご家族の皆様の思いを、これからもしっかりと胸に刻み、私自身先頭に立って取り組んでいかなくてはならないという強い覚悟」
「全ての拉致被害者の一日も早い帰国実現に向けて、私自身、条件を付けずに金正恩委員長と直接向き合う決意」
「関係国との連携の中で、あらゆるチャンスをつかんで、被害者の帰国を実現しなければならない」

など、そこで語られたのは判で押したように過去の政権と似通った言葉の数々だった。

飯塚繁雄さんが亡くなった際には「妹の田口八重子さんと再会できずにお亡くなりになり、心から申し訳ない思いでいっぱいだ」と述べ、「(拉致問題解決に向けて)あらゆるチャンスを逃さないと心に刻む」と記者団にあらためて決意を示した。

しかし、どのような方策を考えているのかは明らかにしていない。具体性に欠けた意気込みを繰り返し述べているだけだ。意気込みを語るだけなら誰でもできる。

安倍首相が「かつてない体制」と評価した調査委員会

この20年における拉致問題の歩みを振り返っておこう。

2002年9月17日に平壌で行われた小泉純一郎首相(当時)と金正日の日朝首脳会談で、北朝鮮側は長年否定していた日本人の拉致を初めて認め、謝罪し、再発の防止を約束した。そして同年10月15日に5名の帰国が実現。だがその後は進展がなく膠着(こうちゃく)状態に陥った。

2014年になって、事態は再び動き出す気配を見せる。北朝鮮が日本人拉致被害者についての再調査に合意したからだ。

北朝鮮は日本による制裁措置の一部解除と引き換えに、拉致被害者の再調査を担う特別調査委員会を、秘密警察である国家安全保衛部(現・国家保衛省)に設置した。国家安全保衛部は、体制への不満や反体制的な思想を持った政治犯を取り締まる秘密警察だ。さらに特別調査委員会のトップには国家安全保衛部の徐大河(ソ・デハ)副部長が就任。同氏は金正恩の側近であり、強力な権限を与えるとされた。

安倍晋三首相(当時)は「かつてない体制ができた」と特別調査委員会を評価し、制裁措置の一部を解除する方針を示した。

労働党の犯罪を調査できない組織に意味はない

だが、日本人拉致を実行したのは国家安全保衛部ではなく、朝鮮労働党(以下、労働党)直属の「作戦部」および「35号室」が中心だ。実は、国家安全保衛部はこれらの組織を調査することはできない。労働党直属の組織ではない国家安全保衛部に、労働党の犯罪を調べる権限はないからだ。

北朝鮮では労働党の命令ですべてが動く。金正恩が本気で日本人拉致について調査を行う気なら、労働党の組織を含む国家のすべての機関に対して強大な権限を有している「労働党組織指導部」に調査を行わせているだろう。

案の定、調査委員会はなんの報告も出さないまま時間だけが過ぎていった。設置から1年がたっても「調査を誠実に行ってきたが、今しばらく時間がかかる」とのらりくらりを繰り返す。実際のところは調査を進めようがないため結果を出せなかったのだろう。そして、特別調査委員会は2016年2月に一方的に解体された。

経済的に行き詰まっていることを金正恩が認めた

特別調査委員会のトップの肩書だけを見て、「金正恩が日本人拉致問題を解決する気がある」と判断するのは早計だった。

ではこれから日本はどうするべきなのだろうか?

今後、交換条件なしで日本側が納得できる返答を北朝鮮側が出す可能性は極めて低い。

2010年11月、金正日は平壌での会合で「3年以内に国民経済を1960~70年代のレベルに回復させ、(祖父・金日成主席の目標だった)『白米を食べ、肉のスープを飲み、絹の服を着て、瓦屋根の家に住む』を、真に成し遂げねばならない」と述べた。

しかし、2021年の朝鮮労働党第8回党大会で金正恩は「人民生活の安定や向上を図る」と強調し、前回の党大会(2016年)に打ち出した「国家経済発展5カ年戦略」について「掲げた目標は、ほぼすべての部門ではなはだしく達成できなかった」などと述べている。

つまり、ミサイルや核開発など戦略兵器の開発を推し進めたことで、国民生活が犠牲になっていることを暗に認めたのだ。北朝鮮経済は中国の支援だけでは再建できないところまで来ている。



※写真はイメージです – 写真=iStock.com/Omer Serkan Bakir

無条件での全員帰国にこだわって時間を無駄にできない

こうした状況から、北朝鮮は日本の経済制裁の緩和を望んでいると考えられる。日朝国交正常化までは望んでいなくとも、事実上の日本からの援助を期待しているというわけだ。

岸田首相は「条件を付けずに金正恩委員長と直接向き合う決意」と述べている。

経済支援を行うことは、日本を攻撃するための弾道ミサイル開発の進展につながるという見方もある。だが、北朝鮮経済が行き詰まっている今こそ、制裁の一部緩和を交換条件に拉致被害者を全員帰国させるよう働きかけるべきだろう。むろん、経済的に利することのない方策があればベストだが、無条件での全員帰国にこだわっていたずらに時間を無駄にする猶予は残されていない。

岸田首相がまず着手すべきは、国家安全保衛部ではなく、労働党組織指導部のような権限のある組織が調査を行うよう要求することからだと筆者は考える。繰り返しになるが、北朝鮮を動かしているのは労働党だからだ。北朝鮮が動くのを待っていてもらちが明かない。首相自らが動かなければならないときがやってきている。

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宮田 敦司(みやた・あつし)
元航空自衛官、ジャーナリスト
1969年、愛知県生まれ。1987年航空自衛隊入隊。陸上自衛隊調査学校(現・情報学校)修了。北朝鮮を担当。2008年、日本大学大学院総合社会情報研究科博士後期課程修了。博士(総合社会文化)。著書に『北朝鮮恐るべき特殊機関 金正恩が最も信頼するテロ組織』(潮書房光人新社)、『中国の海洋戦略』(批評社)などがある。
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(元航空自衛官、ジャーナリスト 宮田 敦司)