インターネットの父であり内閣官房参与としてデジタル庁にも関与する村井純さん、そして「日本という方法」を提唱する日本研究の第一人者であり、超書評データベース「千夜千冊」を発信し続ける知の巨人、松岡正剛さん。私が知る限り、日本一デジタルに詳しい人と日本一日本に詳しい人である。
新型コロナのパンデミックがデジタル後進国など日本の本質的課題を炙り出している今、いちばん話を聞いておきたいお二人だと思い、超多忙な中、2021年4月から10月まで計4回、9時間におよぶ対談をお願いした。
この話を材に、若い人も年配者も、在郷の人も都市の人も、保守派も革新派も、右脳派も左脳派も、さあ目を開いて次の日本を話し合おう。(全3話)
(聞き手・合いの手・編集:井芹 昌信、協力:安藤昭子、土田米一、カメラ:寺平賢司)
日本とデジタル――新型コロナパンデミック、デジタル庁始動に寄せて
松岡 正剛
編集工学者。1971年、工作舎を設立、オブジェマガジン「遊」を創刊。1987年、編集工学研究所を設立。情報文化と情報技術をつなぐ方法論を体系化し「編集工学」を確立、企画・編集・クリエイティブに応用する。日本文化研究の第一人者として「日本という方法」を提唱、文化創発の場として私塾やサロンを主催してきた。膨大な書物と交際し、読書の可能性を追究した経験を軸に、書店や図書館を編集するプロジェクトを手がける。現在、編集工学研究所所長、イシス編集学校校長、角川武蔵野ミュージアム館長。
村井 純
慶應義塾大学教授。工学博士。1984年、日本初のネットワーク間接続「JUNET」設立。1988年、WIDEプロジェクト発足。インターネット網の整備、普及に尽力。初期インターネットを、日本語をはじめとする多言語対応へと導く。内閣官房参与、デジタル庁顧問、各省庁委員会主査等多数務め、国際学会でも活動。2013年、ISOCの選ぶ「インターネットの殿堂」入りを果たす。「日本のインターネットの父」として知られる。
井芹 昌信
インプレスホールディングス主幹、インプレスR&D取締役会長、編集工学研究所取締役。1958年、熊本県生まれ。1981年、アスキー出版入社、第一書籍編集長としてパソコン書の企画・編集を務める。1992年、インプレスの設立に取締役として参画。できるシリーズ、インターネットマガジン、Impress Watchなど創刊。現在、出版のDXとしてNextPublishingを推進中。
村井さんとのご縁はアスキー時代に初著の編集者を務めたことから。松岡さんとは編集工学研究所の役員もさることながら、編集の大先輩として長年のお付き合いをいただいている。
そもそもデジタルとは
――デジタルは0と1という誤解
井芹:村井さん、前に、0と1という非人間的なデジタルはだめと言われたという話を聞きましたが。
村井:国会答弁での話ですね。人間を0と1で区別して切り捨てるというデジタル関連法案はすべて反対、という質問があったんです。
井芹:それはデジタルへの大きな誤解ですね。でも、日本中にけっこう多いと思うんです、その誤解。いまだに、ITやデジタルは0と1の世界で冷たいもんだと思っている人がいます。でもテレビの地デジはみんな受け入れていて、前よりきれいな画面を見ることができて、誰も文句言ってませんよね。
村井:確かにその通りです。ただ、新しいテクノロジーを受け入れてもらうことはいつでもとてもむずかしい。その中で、やり方によってはうまくいくことがある。それがテレビのデジタル化でしたね。近年言われているデジタルトランスフォーメーション(DX)というのは、人間の心を理解してそのために何をやるかを考えてデジタルで事業や社会の仕組みを作り直すことなので、0と1の冷たい世界とは真逆の発想が必要になってきています。
井芹:村井さんがいつも言われている、デジタルとは「0と1じゃなくて、数値で表す数量化のこと」という知識も大事だと思います。2でも3でも、10でも100でもいいんですよね。
村井:その通りなんだけど、そのために大学の授業の1時間目でそのことを教えています。まだ足りないとすればどうすればいいでしょう。
井芹:その説明の好例として、地デジはいいと思ったわけです。あとデジタルカメラも成功してますね。表現力がものすごく上がっていて、コストが下がって、文化的にも馴染んでいます。
村井:写真はほんとにそうですね。CDなんかもそうでした。
――デジタルの語源は指を折ること
松岡:人類はもともとサルから出てきたとして、新たな人類ができるようになったことに、パララックス(平行視)ができた、胎児の時を長くした、直立二足歩行して両手をあけた、そして指を折ることができたということがあります。この「指を折る」というのが、デジタル(デジット)の語源ですからね。山極壽一さんなんかはサルと人間で何か違うかと言えば、指を折ってデジタルなことができるようになったのを人類と呼ぶと言ってます。
井芹:指を折ることがデジタルの語源だったんですか? 知らなかった(汗)。
松岡:「Digit」ってそうですよね。
井芹:我々はすでにデジタルを選んで人類になってたとすれば、デジタルに反対とかはいまさらおかしいですね。
松岡:そうです、サルがアナログなんです。ただし、ヒトもたくさんのアナログ性を残存させました。視覚における仮現性やグラデーションの把握能力などはアナログでしょう。では、どう使い分けるかですね。仮現性というのは、マッハやウェルトハイマーに始まったゲシュタルト心理学が重視していることで、分かりやすく言えば知覚情報を「運動する情報」として把握するということです。
グローバルとナショナリズムの問題
井芹:グローバルとナショナリズムの話ですが。デジタル、特にネットワーク化が進んでいくと、世界は平たい(フラットな)社会になっていくという見立てがあります。このまま進むと、各国特有の文化が弱くなってしまうという懸念はないでしょうか。
村井:文化や人の多様性を尊重するという話は一番大事だと思っていて、むしろそのためにデジタルは貢献できると思ってます。
松岡:多様性のためには、何を保存しておくかが重要になる。
――保存するコストを下げるのがデジタル
村井:個性を磨く、文化を磨く、そのためには情報を保存することが大事だけど、それにはコストがかかっていた。フラット化するのではなく、情報を共有したり保存するコストを下げたりするのがデジタルだと思う。また、個性を成長させるのがデジタルテクノロジー。絵が描ける人がもっと絵が上手になる、歌が歌える人がもっと歌がうまくなる。そのための道具だてを作るのがデジタルテクノロジーだと思うんです。
僕は人間を変えようなんてちっとも思ってない。人間の足の裏、立つ地面がよくなれば、安全で高い地面になれば、それだけ力を発揮しやすくなるし、問題が解決しやすくなるはず。
――みなが幸せなら戦争は起こらない
村井:そのことが新たな矛盾を生み出すかもしれないけど、それはまた別の問題。それぞれの個性が生き生きとしたら、ぶつかり合いも起こらない。ぶつかり合いは貧してるから起こると思う。みんなが幸せならぶつかり合いは起こらないはず。デジタルはいろんなコストを劇的に下げるので、お金がかからなくなるから貧乏から解放されて、ぶつからないので戦争は減る、と思うんです。
井芹:確かにデジタルは個人を強くしていますね。1980年代のパーソナルコンピュータの登場で個人の処理能力が拡張されて以来、インターネットがコミュケーション能力を拡張し、デジカメ、スマホなど、その拡張ぶりは止まっていません。ただ一方で、そのために国との葛藤が激しくなっているように見えます。
村井:それは貧富の差があるからではないでしょうか。貧富の差が激しいと革命が起こる。貧すれば鈍すです。
松岡:鈍すると貧する(笑)。
井芹:デジタルの力で個人がハッピーになっていけば、その未来は明るいと。
村井:その通り、国民がハッピーなら国は変なことしないはずですよ。
松岡:僕は21世紀の前半では、みんなの幸せではなく、もう少し尖った充実の多様性をテストしたほうがいいと思っています。ハッピーを10段階くらいにするとか、少数者の充実度にも脚光をあてるとかね。
脳神経の専門家の参画が必要では
――意識や判断がすべてつながってくる
松岡:デジタルが高じてサイバー化して誰もがそこそこ何でもできるようになると、意識とか判断とか、価値判断とだんだんつながってきます。海中や宇宙を含めてのバンド幅でそんな判断しているということは、欲望の質がだんだん均質化するということです。そうなってくると、欲望が市場を制圧しているときも、犯罪が起こったときも、サイバーテクノロジーが直前まで機能していることになり、そしてそれを人間の脳が受け取ってることになります。
そうなると、法律化とか教育化をしていくときにデジタルのサイバーと脳のサイバーをどっかでつなげなきゃいけなくなってくると思う。そういう意味で、脳研究や価値観研究をやっている人が参画してくれてないと危ないと思います。
井芹:村井さん、インターネットの目標として生命があると言ってましたよね。
村井:もちろん自律分散システムは生命がモデルだけどね、でも今の脳の話を考えたときには、人間と人間がつながるってことは脳と脳がつながってるわけだよね。インターネットはコンピュータをつないでいるけど、脳の処理も信号だから、そのうち人間の脳を直接つなぐことになるかもしれないということを、1980年代の後半に、つまりインターネットの最初のころに講演で話したことを思い出しました。
松岡:伊藤穣一(デジタルガレージ創業者、元MITメディアラボ所長)なら分かるけど、若き日の村井さんがそんなことを言ってたとは早いね。
その先には生態系があるよね。イルカとかコウモリのCOVIDとかまで関係してくる。これがズーノーシスですが、生命と人と環境が同じ感染状態に入ったときに、今のパンデミックどころじゃないことが起こる可能性がある。それをさっきの宇宙の低軌道衛星から海底のファイバーまでのバンドの中でどうやって組み立て直すかというのは、日本だけの問題じゃなく重要ですね。
――インターネット側で人の頭の中の仕組みを先取りしていく
松岡:生命の形、たとえば神経系や血脈はロジスティクスや道路とかに活かされてきていると思う。だけど、インターネットと脳の研究は、こんなに早くITがここまでくると誰も思ってなかったので、基礎のところで終わっていると思う。脳神経学の発達はラットの研究とかでやってるけど、それを待っていても間に合わない。だとしたら、インターネットの中にニューラルネットワークのシナプスだとかニューロトランスミッターなどのように、人の頭の中に当てはめて先取りしていくのがいいと思う。
井芹:インターネットが生命的に進化すると考えると、デジタルの側から脳神経のほうにアプローチしていったほうがいいということですね。
松岡:医療もそうですね。インターネットと医療はもっともっと近づいていくと思います。
生物からの視点も重要
――共同体観測システムみたいなものが必要
松岡:人間側ではいろんなデータが取れるようになってきたけど、植物とか生物のほうには情報の端末を入れてこなかったじゃないですか。しかし生命は大腸菌やウイルスと共生しながら情報を編集しています。ここまでくれば、コウモリやイルカなどの生態系も含めて、海中のファイバーと宇宙の衛星を使って全部一緒に観察できる共同体観測システムみたいなのができるんじゃないでしょうか。今のジョンズホプキンス大学の統計データ程度じゃなくて必要だと思うんです。生物系とか生態系にデジタル化が進まないのはどうしてでしょう?
村井:イルカの研究とかはありますね。南極のクジラやオキアミの研究者も、日本にもいます。世界にはけっこういるんじゃないかな。でも、コストと技術の面で、彼らのやりたいように生態系をいっぺんに観察するシステムはまだないかな。
松岡:東北や熊本で車からのデータが役立ったという話があったけど、今の都会とかはイノシシのほうに発信機や情報端末が入っていれば、イノシシがどこの街をどう見ているか、熊が、サルが、カラスがどう見ているかという外側からの情報が得られる。宇宙と海中と人間世界の間にも生態系が見えるはずです。新型コロナのようにこの生態系が大問題になりそうなのに、そっちにデジタル化が進んでいないのが心配。自動運転も大事だけど、自動イノシシも必要でしょうね。
井芹:人間側だけじゃなくて、もっと大きく生態系全体の視点が必要ということですね。
松岡:文明情報はけっこう進んだけど、生命情報はまだまだです。
井芹:SDGs(Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標)的なことの解決には、そういう視点が欠かせないような気がします。
村井:私はC.W.ニコル(作家、環境保護活動家。2020年死去)と近しかったんだけど、彼は熊撃ちの名人。トウモロコシの甘いときに熊は降りてくるんだそうです。彼の専門は森だけど、そう言えば森と熊は一緒に詳しかったですね。
松岡:これから、おそらく地球学的な地震の情報が重要ですね。いろんなところがキャッチしようとしているけど、村井さん的な世界がそっち側に移行すればもっと早くデータが集まるんじゃないですか。
井芹:生物からのビッグデータですね。もし魚から情報をもらえていれば、プラスチック問題はここまで深刻になる前に気づきましたね。
日本はデジタルという方法をうまく取り込めるか
――日本はフラジャイルな国
井芹:松岡さんは「日本という方法」を提唱されていて、その例に苗代のことなどを挙げられてますが、そのあたりの話を聞かせてもらえますか。
松岡:ディープなところでは日本列島が地震と津波と台風、それから火事が多いこと。それゆえ日本の歴史は復興・復活型なんです。必ず蘇るという形。
もう1つのディープなことは、自然環境がフラジャイルな(壊れやすい)日本列島を作ってるだけじゃなくて、国土が狭いために外来の植物を持ってくるときに、どこでもOKというわけじゃないということがありました。
――工夫して、田んぼや苗代を作った
松岡:全体的なことで言うと、お米、鉄、漢字の3つが日本を作ったと思います。これはすべて中国からの外来もの。漢字は、そこから仮名まで作り出していて、読みも音読みと訓読みを作った。そして自在なカリグラフィックな書道も作り上げてきた。
鉄は当時、さなぎという独特の技術で鉄も金もこなして、それを仏像などに活かしてきました。米は鉄砲水が出るので、田んぼを作らないといけない。それと、別に苗代で病弱な苗を強くしておいて移し替えるようにした。こんなふうにけっこう工夫して、コンバージョンによって日本の社会文化の基礎を作ってきたんです。これらの方法によって、日本は独自の成長を遂げられました。
こうして明治で西洋化を導入し、大きな敗戦はしてしまったけれど、高度成長の途中まで、池田勇人から佐藤栄作の途中くらいまでうまくやっていた。でも、公害が起こる、低賃金問題なども起こる。こういうものの是正をしていく中で、従来の仕組みの長所も放棄してしまった。松下幸之助が松下流の労務管理を作り上げたわけなのに、それを1970年代で切り替えてきた。あとは新自由主義的なグローバリズムに浸ってしまった。以来、冒頭に言った漫画や絵文字、独特の手法も、大事なものの表現を失ってしまった、というところじゃないでしょうか。
井芹:その手法を復活させるにはどうすればいいんでしょうか? それはデジタルという方法と逆行するものでしょうか?
松岡:両立させるべきです。ただし、D(デジタル)とA(アナログ)の蝶番のところがむつかしい。マンマシンも、そこに困っている。
デジタル庁への期待:縦割りから横連携に
井芹:村井さんは国のデジタル化と戦ってきたと思いますが、状況は変わってきた感がありますか?
村井:正直言うと、技術の発展に関して、政策の変化の実感はしばらくあまりなかったですね。でも、今回のデジタル庁で変わります。コロナとデジ庁で何も変わらないようならだめですね。
井芹:50センチくらい上、予算の統括などを意欲的に入れてあるのですよね。機能しそうですか?
村井:法律はできました。言い訳ができないようになってはいるはずです。
井芹:でも、やるのはやっぱり人だから、これまでの自民党ではむずかしそう。そのためには、自民党は革命的に変わらなければできない気がします。
――政治から変えるのはむずかしいが、デジタルだと一気
村井:でも今、政局論を言っていてもしょうがないので、政策も含めてチャレンジしないとだめです。
僕の専門はインターネットやデジタル技術です。行政を変えるのを行政からだけでアプローチしてもむずかしいし、それだとインクリメンタルにしか変わらないと思うけど、デジタルによる環境変化ならある意味、一気に変えることができる。
デジ庁がうまく機能すれば、それができるかもしれません。それぞれの省でできないことをデジ庁が間に入って縦割りではなく横連携にして、民間人と官僚がチームを組み、データもみんなオンラインで透明にして。そうすれば無駄もなくなるし、犯罪も減るし、成長戦略も出てくると思うんです。
井芹:そうですね。デジタルという「方法」でやることでいろんな社会変革が起こりそうな気がしてきます。
村井:こんな切り札出してうまくいかなかったら、私は腹切るしかないね。
「デジタル道」として考えていく
井芹:前に、村井さんと日本文化とデジタルの話をしたときに、日本の映画の字幕の縦書きは守らなければならないと言われてました。
村井:その通りで、画面下だけではなく横も有効に使うには縦書きはとても貴重なのもので、その標準化は日本にしかできないと思います。
井芹:日本独自の文化とインターネット的なものは両立できそうですか?
村井:大丈夫です。そうしなければならない。日本の縦書きの問題を含めて、文学、音楽、生き方とか家族への考え方、たとえば津波のような大災害に見舞われたときに、人と人が助けあうとか、ちゃんと行列を作るとか、火事場泥棒が起きないとか、そういうのは日本の文化だと思う。そういうものを大事にする中でデジタルを使っていくのが、これからの時代の生き方ではないかと考えてます。
――相撲が相撲道に、武術が武道に進化したように
村井:たとえば、相撲では大相撲はビジネスだし、国技でもあります。そこに「道」という字を入れた「相撲道」となると、次の世代のすべての人のために善いことをしなければならないような感じがしますよね。井芹さんは空手の有段者だけど、単に「空手」というと技とかテクニックの意味が強いけど、「空手道」というと心や精神の問題、忍耐とか、人を傷つけてはいけないとかが入ってきますよね。
そういう意味で「デジタル道」を考えてみたいと思ってます。これは何だろう、と考えるだけでも意味があると思うんです。
井芹:「デジタル道」、初めて聞いたし、驚きました。私は、デジタルは方法だと思っていますが、それが考え方、捉え方、精神的なことまで含んでいくような感じがしますね。武術が武道に進化してきたように、デジタル道として考えることは意味があると思います。
村井:デジタルを道という形で日本で先行して考えることは、今後の社会、世界の中での日本の役割という意味で価値があると思います。
松岡:理研の松本紘さんに頼まれて「科学道」という言葉を提供しました。子供たちに科学技術の本を読ませるムーブメントに使っています。言葉や絵から理科を学べるようにするためです。その点で言えば、デジタル道には、DとAをリバースできるバイパスも使っていくといいでしょうね。
データ共有による可能性
――文書は黒塗りができるので公開したくない
井芹:村井さんの話で、国のお金で作ったデータは、公務員は使えるけど一般の人には見せてはいけない法律があるとのことでした。でも、そこをデジタルの力で乗り越えて、データを共有することがとても重要だと思うんです。官だけじゃなくて民も見られて、もっと言えば民が官のデータを見てフィードバックをかけていくことに大きな意味があるように思いますが、どうでしょうか?
村井:政府が税金を使ってやったことは、すべてオープンにしてほしいと思いますよね。でも現実には書類を黒く塗ってしまう。面白いなと思ったのは、文書の公開は嫌でも数値データは見せてもいいという感じがあること。「データを公開すればいいんですよね。文書を公開しろと言われたら大変でした」と、オープンデータを始めるときの役人の多くが、エクセルみたいに表に数字が並んでいるものがデータで文書はデータではないと思っていました。
本当はあらゆる情報がデジタルデータになるわけだけど、文書がデジタルデータだという感覚がないために、データ公開やデータ共有のプロセスが進んでいかないんです。
井芹:それなら、文書より先に数値だけでも公開してほしいです。予算の数字も、統計の結果も、ビッグデータの解析も、それら全部を公開してくれていれば、数値はオリジナルなので、それを元にその意味を解析してくれる人はいっぱいいると思うんです。
村井:でも、それだと文書は隠されますよ。
井芹:今でも隠してるわけだから、黒塗りもいっぱいしてるし。できることからやっていく、ということでもいいように思うんですが。
村井:そうですね。でも一方、数値になりにくいことも多いわけで、たとえば臭いとか。匂いは数値化がむずかしい。そういうことはいっぱいあるので、文書も含めて公開や共有の方法やルールを作り上げていく必要があります。
――透明性が重要
井芹:会社で、たとえば売上データをスタッフに見えるようにすると、売上のいいところとよくないところが分かるわけですが、それをいちいち言わなくても自分たちで理解を深めたり、問題解決したりしていくんです。同じように、行政的なことも数字をガラス張りにすれば自律的によくなっていくんじゃないかと思うんです。
村井:それは透明性ということですね。もちろん、透明性が重要だということなら同感です。
井芹:そうです、透明性です。そういう意味でデータ共有が大事だと思いました。ただ、だからといって監視社会になって、みんなが裸にならなきゃならないというのとは、また違うとは思いますが。
松岡:とても興味深い話だと思います。村井さんのほうが広くって、井芹さんが言われているのは現実問題ですね。
――定性的なもの、コンテキストのデジタル化は遅れている
松岡:別の視点として、情報を定量的に見せることと、定性的に見せることがありますが、定性的なものについての数値化がすごく遅れていると思います。
データとコンテキスト(文脈)という問題もありますね。データとは、たとえば温度のような環境情報や嗅覚のような知覚情報も含めてコード化して最小単位を各分野で持つことですよね。しかしそこには文脈があるわけで、数値だけでは語れないものがあります。文学とかファッションとか、文化の大半は文脈的なので、このコンテキストをどうやって数量化するかということが課題になってくると思います。
もう1つ、データ共有が個人の病理と心理に関係してきたときには、その心理的な反応にどう対処するかというのはとてもむずかしい問題だと思う。鬱とかトラウマとかハラスメントなどの事象から、困るとか聞きたくなかったといった微妙な心理状態まで、人の感情にまつわる問題が改めて問われることになると思います。
これまでのデジタル化は進めるほうの議論だったと思いますが、これからは受け取る側の議論も出てくるんじゃないでしょうか。
――SDGsを推進する企業に投資が集まる
村井:井芹さんから売上データの共有の話がありました。確かに多くの企業は売上・利益という尺度で動いてきましたが、それ以外の最近一番の話題はSDGsだと思うんです。持続可能性とかネットゼロカーボンとか、ソーシャルグッドをやる企業や地球の温暖化を止めることに貢献する企業に投資が集まる。そんなルールが作られてきています。
実際は、誰も本当のことは分かってないと思うんです。地球の温暖化に何が悪いか正しく把握するためには、神様の目のように、すべてのデータを見て総合的に判断したいかもしれない。デジタルデータはそこにつながるだろうな、という思いはあります。
アジアという視点
松岡:もう1つはアジアの視点ですね。村井さんが東シナ海の漁船の話をされたので、近海にはそういうリスクもあるんだというヒントが出たと思うけど、日本とアジアの関係については文明論的には議論できていないと思います。
村井:松岡さんの話を伺っていると、日本というテーマは面白いし重要だと思うけど、私も含めて日本人自身が日本を理解できていないことが沢山あると思いました。でも、それが逆に希望かなとも思います。つまり、日本語や日本文化がとてもローカルな特徴を持っているとすれば、地球の一員として何を考えなければならないのか。そういう議論は福沢諭吉先生もしています。戦後もそうだったし、今回の新型コロナパンデミックもそうだし、デジタル庁で日本を考えるときも、そのことがとても大事だと改めて思います。
――生活圏を共有するタイムゾーンの価値
村井:アジアの視点ではタイムゾーンの問題があります。アメリカとヨーロッパと日本は、時差が8時間くらいずつあります。でも、中国だと1時間、東南アジアだと2時間、インドまででも3.5時間。だいたい生活圏としてリアルタイムで共有できる時間を持っている。インターネットの通信は光の速度なので地球一周を0.133秒で行って来れるんだから会話はできるけど、生活圏のことを考えると5時間までのタイムゾーンが限界だと思う。
すると、アジアの縦の塊に大きな意味が出てきます。アジアなら太陽の動きと一緒に考えていくことができ、新しい市場とか経済を考えたときに、日本の役割とか位置づけはけっこう重要です。それが安全保障の問題でも出てきていると思います。
日本とデジタルのこれから
井芹:村井さん、前に「日本のことは心配してない」と言われてましたが、今でもそうですか?
村井:心配はしてません。楽観主義だということもあるけど、日本の良さとか、文化に対する誇りとか強さとか、人同士の関係とか、世界に対して日本が貢献できる話はいっぱいあると思う。工業製品が強いだけでなくて、文化、人間にそんな力があると思っています。
井芹:私も期待を含めてですけど、文化とか、倫理とか、あとサブカルもそうかもしれませんが、日本特有のものが、デジタルが高じていくことでよりキメ細やかなものが扱えるようになってきて表現しやすくなるんじゃないかなと。
日本は1回、デジタル化で周回遅れになったと思いますが、この螺旋階段を上れば上るほど日本とデジタルの相性は良くなってくると思うんですが、それは勘違いでしょうか?
松岡:半分はそうだと思います。
ただデジタルの進展の中で、たとえば西君(西和彦:日本ベンチャーの草分けのアスキー社創業の立役者、元マイクロソフト米国本社副社長)とか伊藤穣一君とかが、たとえば椎名林檎とか井上陽水のようには語られていないこと。さらに言えば、連句から飛び出して俳句を作った芭蕉や、虚実皮膜といってバーチャルリアリティを歌舞伎にした近松門左衛門に近いものだとは、もっと語られてないことが問題だと思っています。つまり、日本に蓄積された文化力が今の日本の力として認識されていないということです。ある人に「日本の過去と未来を見るために最適な一冊はどの本ですか?」と聞かれたので、慈円の『愚管抄』を勧めました。ぜひ読んでみてほしいと思います。
村井:僕も日本の可能性は信じてますけど、そのためのはっきりした方法論は分からないないことが沢山あります。一方、そのために何かやるべきだということは私自身の課題でもあります。一番大事なことは、みんなで課題を理解し、議論し、考えていくことだと思いました。
松岡:今回の会談はとてもいい機会になりました。これまで、デジタルの問題と日本文化や文明論はあまり一緒に語られてこなかった。これからは、このような掛け算が起こる試みがいよいよ始まることを期待します。
井芹:ありがとうございました。
(以上)
日本とデジタル――新型コロナパンデミック、デジタル庁始動に寄せて