愛用しているものがある。それは人それぞれあると思うし、場面場面で愛用しているものは変わるだろう。筆記用具ではこれを愛用し、ファッションではあれを愛用する、というように、誰もがお気に入りのアイテムがあるというわけだ。
そんなものたちを作っている会社には、当然創業地がある。創業地があるからこそ、我々はそれを使うことができるのだ。創業という第一歩がなければ、それは生まれなかった。ということで、創業地に行って感謝を伝えたいと思う。
1985年福岡生まれ。思い立ったが吉日で行動しています。地味なファッションと言われることが多いので、派手なメガネを買おうと思っています。(動画インタビュー)
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愛用のものたち
気に入って使っているアイテムがある。たとえば、スマホだとiPhoneをずっと使っているとか、スーツならはるやまを着ているとか、デッサンの鉛筆はステッドラーを使っているとか、いろいろそれぞれこだわりがあると思う。
私の場合、万年筆はセーラーの「プロフィットJr. 万年筆」を使っている。洋服はユニクロをよく着ている。コバエにはフマキラーの「コバエワンプッシュ」を使っている。
上記の商品の共通点は、「広島」である。広島が創業地なのだ。広島で生まれたものなのだ。ユニクロは違うけれど、記念すべき1号店が広島。1号店があるから、いま私の家の近くにもユニクロがあるのだ。ということで、「ありがとう」を言いに行こうと思う。
セーラーの創業地でありがとう!
私は万年筆はセーラーの「プロフィットJr. 万年筆」を好んで使っている。その最大の理由はオレンジ色だから。オレンジ色が好きなのだ。ラミーにもオレンジ色があるのだけれど、私の好むオレンジとはちょっと違う。その結果、セーラーなのだ。
書き味の違いを語るほど、私は万年筆に詳しくない。語れるのは外装のオレンジがいい、くらいである。でも、そのオレンジが私の心を掴んだのだ。だからこそ、「ありがとう」を言いたい。こんなに素敵な色の万年筆を作ってくれたセーラーにありがとうを言いたいのだ。
セーラーは阪田久五郎氏が1911年に広島県呉市稲荷町で創業した。つまり、私の愛用する「プロフィットJr. 万年筆」はここで生まれたのだ。創業していなければ、「プロフィットJr. 万年筆」は生まれなかったので。
稲荷町という町名は、現在は存在しない。昭和44年頃から住所が変わって行く。稲荷町は昭和44年9月1日から別の名前になっている。現在の西中央4丁目辺りが、稲荷町ということになる。稲荷町はそもそもとても狭い範囲の町だった。
「プロフィットJr. 万年筆」が生まれた街の空気を吸う。厳密に言えば、稲荷町には、すでにセーラーはないし、工場もないので、ここで作られているわけではない。創業地なだけなのだ。でも、全ての第一歩がここ。だからこそ、私はここを訪れたかった。
1917年浜田町に工場を新設し移転する。先の稲荷町からは目と鼻の距離だ。今では家々が並び、セブンイレブンもある。セブンイレブン呉体育館前店の辺りが、工場のあった場所。大きな工場だったようだ。現在その名残は何もない。
地元の方にお話を聞くと、セーラーの工場がここにあったことを知らないという人も多かった。現在も呉市にセーラーの工場はあるのだけれど、天応という場所にあるので、創業地からは随分な距離になる。
1932年には岩方通りに工場を新設している。浜田工場からは徒歩5分ほどの距離だ。その時期はこの辺りに2つのセーラーの工場があったことになる。しかし、1945年に2つの工場は戦災により焼失してしまう。
この焼失により、呉駅周辺でのセーラーはなくなってしまう。そもそも1939年に先の天応に工場を作っており、1942年にはそちらに本社を移している。そのため、呉駅周辺にセーラーの工場があったと知らない人も多いのだろう。
セーラーの由来は、ひとりの提督より多くの「水兵(セーラー)」が大切だという考えと、自らの商品を船により輸出し、海外に覇を唱えたいという願いからつけられている。やはり、「プロフィットJr. 万年筆」は呉なのだ。
呉と言えば「メロンパン」。戦前から続くお店で「(有)メロンパン」という会社が作っている。つまりこの会社が作れば、ある意味なんでもメロンパンになる。食パンもコッペパンも全てメロンパン。上記はメロンパンが作るメロンパンである。
戦前からあるので、当時セーラーで働いている人も食べたことだろう。もちろん私も食べた。「プロフィットJr. 万年筆」と同じ空気を吸い、同じものを食べたいのだ。「プロフィットJr. 万年筆」はその頃、まだ作られていないけれど、基礎的なものがここにはあるのだ、たぶん。
呉のメロンパンは一般的なメロンパンの倍以上の重さがある。持った瞬間に重い、本当にこれはパンか? と思うほどの重量を誇る。この重みと「プロフィットJr. 万年筆」はなんの関係もないけれど、「プロフィットJr. 万年筆」を知るためには食べなければならない。そういうことなのだ。
これで私の愛用する「プロフィットJr. 万年筆」の創業地を知ることができた。同じ空気を吸うこともできた。ますます私は「プロフィットJr. 万年筆」を好きになった。では、日頃の感謝を伝えようと思う。
感謝を伝えることが大切なのだ。言わなくても伝わっていると思うから、すれ違いが生まれるのだ。「プロフィットJr. 万年筆」の実家に行き、ありがとうを伝える。最高の形の「ありがとう」を言えた気がする。
フマキラーにありがとう
セーラーは工場跡地を巡ったりしたが、本来は創業地に行って同じ空気を吸うというのが目的。別に工場に行ったりしなくてもいいのだ。この街で育ったんだ、という「この街」を知れればいいと思っている。同じ空気を吸いたいだけなのだ。
フマキラーである。フマキラーは広島市の祇園という街が創業地。私の家は、なぜか、本当になぜか、コバエ的なものが発生する。家が汚いわけではないけれど、発生するのだ。本当だよ、めちゃくちゃ家は綺麗なんだよ。そんな私だから愛用するのだ、「コバエワンプッシュ」を。
フマキラーは1890年に広島県安佐郡祇園町で創業した。現在の広島市安佐南区祇園である。特にこれといった観光地があるわけではないので、観光で広島を訪れた際に行くことは稀だろう。しかし、行って欲しい。そしてフマキラーを使う者ならば「ありがとう」と言って欲しい。
静かな街だった。暮らすにはとても便利な場所だろう。緑も多く、木の電信柱もあった。我々はなぜだろうか、木の電信柱を見つけるとテンションが上がる。この電信柱と共にフマキラーは育ったのだ、たぶん。
我々はなぜだろうか、自分の名前と同じものを見つけるとテンションが上がる。嬉しくなってしまう。祇園には「地主クリニック」があった。素晴らしき地主だ。ある地主は病院を作り、ある地主は感謝を伝えにその街を訪ねる。神話にしたい。
神社にサーカスのポスターがあった。素晴らしく「大」だった。世界最「大」級の「大」スペクタル。木下「大」サーカス。奇跡のホワイトライオン日本「大」上陸。「大上陸」ってなんだろう。上陸と大上陸の違い。祇園で私は哲学的な問題にぶつかった。
祇園を堪能した。フマキラーと同じ空気を吸った。フマキラーと同じ空気を吸うと、害虫なら死んでしまうわけだけども、そういうことではない。フマキラーと一緒に実家に帰ってきた感じ。伝えなければならない。
ユニクロにありがとう!
次はユニクロ。実は創業地は山口県なのだけれど、1号店は広島市にある。私はよくユニクロを着ている。今回の写真に写っている私のパンツはユニクロのものだ。それを買ったのも、当然だけどユニクロ。それを買えたのは1号店を経たからだ。
ユニクロ1号店は1984年6月2日に広島市中区袋町にオープンする。今では日本中はもちろん、海外にも店舗があるけれど、1号店を経たから2号店、3号店へと繋がって行くのだ。1号店がなければ、2号店はないし、私がよく行く下北沢のユニクロもないのだ。
広島市はオシャレだ。それでいて、懐かしく感じるデザインの路面電車も走っている。ユニクロ1号店があった辺りは、オシャレな雰囲気のお店も並ぶ。ちなみに「ユニーク・クロージング・ウエアハウス」という名前で1号店はオープンする。
1号店のあった場所は現在、違うお店になっている。しかし、広島市内だけを見ても、たくさんの店舗がある。ここがあったから、今も広島に店舗があるのだ。そして、私がよく身につけることになったのだ。私のオシャレはほぼユニクロのおかげなのだ。
ありがとう、を伝えた。一時期の私はユニクロの店員かと思うほどに全身ユニクロだった。昔付き合っていた女の子はユニクロでバイトをしていた。私のオシャレと青春はユニクロのおかげなのだ。ありがとう、そして、これからもよろしく、なのだ。
先取りのありがとう!
最後の「ありがとう」は、私が今までに一度も使ったことがないものだ。しかし、今後使うことがあるはずなので、先取りして「ありがとう」を伝えようと思う。現状の私は本当に1回も買ったことがなく、使ったこともない。
4℃である。全く知らない。人生で一度も4℃を含め、アクセサリー類を買ったことがないのだ。しかし、4℃の存在は知っているし、全く予定はないけれど、プロポーズで4℃のものを使うつもりだ。そのために前倒しのありがとうを伝えに来たのだ。
4℃が創業したのは広島市の稲荷町。先のセーラーの稲荷町とはまた別の稲荷町だ。町の範囲としては小さいけれど、大きなビルが建ち並ぶ。そんな場所で4℃は生まれたのだ。製品について全く知らないので、特に書くことはないが、今後は買うから、プロポーズの時に。予定はないけど。
ビルの間に「稲生神社」があった。商売繁盛の神社だ。創建は1619年と古い。1733年にはこの辺りで大火事が起きたけれど、この神社と大工の家のみが焼失をのがれたことから火災除けの守護ともされている。
ここで4℃が生まれたのか、とはならない。何度も書くけれど、まだ買ったことがないから。店内に入ったこともない。おそらく商品を生で見たことすらない。しかし、今後はわからない。私は絶対にプロポーズの際は4℃を買います。
まだ見ぬ4℃にありがとうを伝えた。ありがとうは何度伝えてもいいのだ。一番困るのは4℃を買わない人生を送ること。ありがとうと4℃には伝えたので、4℃にも頑張ってもらって、私が4℃を買う人生を歩めるようにして欲しい。頼むぜ、4℃。
ありがとうを伝える
普段使っているものに「ありがとう」を伝えた。今回は広島だったけれど、全国に創業地はある。そこを訪れては「ありがとう」を言っていきたいと思う。そう、私はありがとうを一番大切にする男なのだ。ありがとう、この記事を読んでくれて、ありがとう。