年収が30年間横ばい 日本狂騒記 – ヒロ

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日本人の年収は過去30年、横ばいだそうです。16日、日経の一面「〈データが問う衆院選の争点〉日本の年収、30年横ばい 米は1.5倍に 新政権、分配へまず成長を」とあります。30年とはバブル崩壊から全然変わっていないということです。私は30年前に日本を出たので完全なるギャップがあります。では海外がいいのか、といえば一言でいえばここまで身をかがめながらの匍匐(ほふく)前進だったと思います。

日本のメリットは日本人としての主流を謳歌できることです。私はカナダへの移民権ステータスであり、カナダの市民権(国籍)を取ったわけではありません。そうするとどうなのか、といえば30年間ずっと多国籍国家のマイナーな存在だったのです。白人社会でのブレイクスルーはたやすくありません。今は周りの白人社会には多少、溶け込んでいますが、理由は30年の功績です。

功績とは業績ではなく、社会貢献と個人の立ち位置と評判が積みあがったものです。自分でいうのもなんですが、30年間匍匐前進なんてやってられないけれど移民は移民なのです。100年前となんら変わりないのです。

では日本は王道を肩で風を切って進めるのになぜ、年収が増えなかったのでしょうか?

大局的に見て切り口はいくつかあると思います。こちら来たばかりの90年代初頭、多くの白人は私に同じことを言うのです。「日本って行ったことないけれどコーヒー1杯10㌦(800円)もするんだろー!(そんな国には行きたくねー)」だったのです。

つまり、ジパングならぬ狂乱物価ジャパンだったのです。80年代、日本では「アメリカならプール付きの巨大な住宅が数千万円で購入できる」といったトーンでメディアで紹介されていました。

その為、日本は物価高修正にいそしみます。それまでの絶対物価主義から海外物価との比較をする相対物価主義になります。マクドナルド指数なるものが真剣に取りざたするようになったのもその頃です。

私は絶対物価主義を貫けばよかったのだと思います。物価も高いけど賃金も高くなる、それでよかったのです。私は当時出張でスイス チューリッヒで2週間缶詰め仕事をしたことがあります。

当時のスイスの初任給は日本円で40万円、スイス人にはさぞかし天国かと思いきや、物価が応分で高く、ひもじい思いをしました。つまり、私のスイスの経験、あるいは英国ポンドが高かったころの英国の2か月の滞在経験を踏まえ私は物価高肯定論でありました。

20年ぐらい前、アメリカのITブームの頃、有能人材の引き抜き合戦がヒートアップし、「当社に入れば新車を一台プレゼント」などというバカげた話がありましたが、結局20年たった今でも同じような手法で人材争奪戦は繰り返されています。

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