マニアすぎ? ゾンビ研究の世界 – 清水駿貴

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日本でゾンビの研究者として、学術発表やイベントなどでの発信活動に力を注ぐ国際ファッション専門職大学助教の福田安佐子先生。

ゾンビ研究家の福田安佐子先生

福田先生がハマった「ゾンビ研究」とはどんな内容なのか。学術的な観点から見たゾンビ映画の世界と、研究者になるまでの道のり、そして研究の面白さを聞いた。

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ゾンビの研究って何?

−−福田先生が行っている「ゾンビの研究」というのはどのようなものなのか教えてください。

研究内容は大きく分けてふたつです。

ひとつは映画を中心としたゾンビの歴史。もうひとつは、哲学的な部分です。

国際ファッション専門職大学では「ゾンビメイクゼミ」という授業をやっています。まず、ゾンビの歴史と特殊メイクの歴史、そしてそのふたつがどういう関係にあったのかを一通り教え、その後、生徒たちは自分で考えたゾンビメイクに挑戦します。メイクは現代社会の問題と関連させて考えることがルールで、その理由をプレゼンしてもらうという内容です。

−−ゾンビ映画は月にどれくらいの本数を見ていますか。

月によってバラつきはありますが、最新作はほぼ全て見るようにしています。でも全然間に合いません(笑)

オンラインでゾンビの歴史について語る福田先生

それくらいたくさんの数のゾンビ映画が今、世界中で作られています。別ジャンルのホラー映画も含めたら追いつけない数になりますね。

−−他ジャンルのホラー映画も見るんですか。

ちょっとずつ見ています。比較のためでもあるし、新しい表現手法をチェックするためでもあります。

でも、怖い内容は見る勇気が出るまでに時間がかかるんです(笑)

−−ホラー自体は苦手ですか?

苦手です。日本のホラーや悪魔系のジャンルは怖い。寝ているときに足を引っ張られる系なんかは絶対にダメです。お風呂も怖くてドア開けっぱなしで入るくらいです。

ホラー苦手女子がゾンビ研究家になったワケ

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−−そんなホラーが苦手な福田先生でしたが、ゾンビ研究家になろうと思ったきっかけは何でしょう。

同志社大学の美学芸術学科で芸術学を学んでいた学部生時代はゾンビを好きだったわけではなく、ゾンビ映画もほとんど見たことがありませんでした。

ただ「人間に似たもの」という存在にはすごく興味を持っていて、例えば人間と見紛うアンドロイドやクローンなど人間そっくりの存在が生まれてきたときにどう区別し、どう差別が生まれるのかという問題。また、逆に人間性を奪っていったナチス・ドイツによるユダヤ人大量虐殺「ホロコースト」などに関心がありました。

京都大学大学院の修士課程では、修士論文で「ポストヒューマニズム」というややこしいテーマに挑戦したのですが、「書けない」となってしまい、フランス留学という名の逃亡を図りました(笑)

留学先では書店に頻繁に通っていて、そこで平積みにされていた『ゾンビの小哲学: ホラーを通していかに思考するか』(マキシム・クロンブ著)という本に出会いました。

ゾンビに始まりゾンビに終わった博士課程

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−−フランスの書店でたまたま見かけた本が福田先生とゾンビを結びつけたんですね。

『ゾンビの小哲学』をきっかけに「私はゾンビ映画を見たことがないのにゾンビの存在を知っている」ということに気がつきました。

腐った体でノロノロ歩いている物体を見ると「ゾンビだ」とわかりますよね。明確な定義はないのに、ひとめ見ただけでゾンビとわかる強い共通イメージをみんなが持っている。これは面白いと。

元から興味のあった「人間に似た存在」を考える題材として、ゾンビ映画の世界にハマり、博士課程からはゾンビを研究テーマにすることになりました。

−−ゾンビ映画を最初に見たときは怖くはなかったですか?

ゾンビは大丈夫でしたね。

動きに癖があるから慣れますし、だんだん愛着が湧いてきて、今でも映画を見ているとたまにびっくりする場面はありますが、ゾンビ自体は可愛く感じます(笑)

ゾンビ映画の幕開け「クラシック・ゾンビ」時代

−−では、先生の研究内容である「ゾンビ映画の歴史」について教えてください。

ゾンビ映画の歴史は古く、

1932〜1967年:クラシック・ゾンビ(ブードゥー・ゾンビ)時代
1968〜2001年:モダン・ゾンビ時代
2002年〜現在:走るゾンビ(ダッシュ・ゾンビ)時代

の3つの時代に分けられます。

ゾンビ映画は1932年、ヴィクター・ハルペリン監督の『ホワイト・ゾンビ』のアメリカ公開によって始まりました。

当時、アメリカが占領していたハイチが舞台で、土着の宗教であるブードゥー教の秘術で蘇らせられ、「奴隷として使われる存在」をゾンビとしています。

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ゾンビという言葉は元々、ハイチでは「人知の及ばないもの」を指し、「幽霊」や「精霊」と言った訳語があてられていました。それが、ブードゥー教に恐れと好奇心を抱くアメリカの植民地主義的な解釈によって本来の意味とは異なった存在として描かれることになったのです。

この初期のゾンビを「クラシック・ゾンビ」と呼びます。

一人の監督が起こした革命 人を襲うモダン・ゾンビたち

−−今、私たちが知るモンスターとしてのゾンビとは少しイメージが異なりますね。

クラシック・ゾンビ時代のゾンビはあくまで奴隷であるため、命令があれば人を襲いますが、何も言われなければ基本的にボーッとしています。

そんなゾンビの定義を大きく変えた革命的な映画が1968年、アメリカで生まれました。ジョージ・A・ロメロ監督の映画『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』です。

この映画で初めて、自分から人を襲うゾンビが登場しました。

制作にあたってロメロ監督は、ハイチ文化から伝わるゾンビの存在を意識していませんでした。モンスターに囲まれた極限状態を描き、公開した結果、「これはゾンビではないか」という声があとから上がり、ロメロ監督もそれを受けて「ゾンビだ」と認めることになったのです。

このようにしてノロノロと歩き人を襲う怪物「モダン・ゾンビ」が誕生。家族や隣人がゾンビになってしまったらどうするかという倫理的な葛藤を描くことのできる映画という要素も加わりました。

しかし、この時代におけるゾンビはB級ホラー映画のなかのマイナーなモンスターに過ぎませんでした。

『バイオハザード』ヒットで幕を開けた「走るゾンビ」時代

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2002年、ゲームが原作の『バイオハザード』(ポール・W・S・アンダーソン監督、米・独・英)と、人を凶暴化するウイルスによるパニックを描いた『28日後…』(ダニー・ボイル監督、英)がヒットを記録すると、再びゾンビ映画に変化が起きます。

この2作ではゾンビたちが素早い動きを見せ、ゾンビになる原因も明確にウイルス感染とされ、「死」以外もゾンビ化の契機となり得ることが示されました。

これを機に解釈の自由度は増し、映画には多種多様なゾンビが登場。ヒット作も多く生み出されている「走るゾンビ」時代が始まり、今も続いています。

<関連記事>「人間に一番近いモンスター」ゾンビはなぜ人気に?福田安佐子さんに聞くおすすめ映画

哲学でもゾンビ

−−そうやってゾンビ映画は進化を遂げてきたのですね。哲学の側面ではどのような研究をされているのですか。

例えば、血や肉が剥き出しの傷跡、あるいは吐瀉物などを目にした瞬間、人は嫌悪感を抱きますよね。血も肉も食べ物も本来それ自体は気持ち悪いわけではなく、生命を維持するために必要不可欠なものなのに、私たちがあるべき場所だと思っている場所以外のところで目にすると「おぞましいもの」と感じる。

こういった「アブジェクション」なる概念をジュリア・クリステヴァという哲学者が説明しているのですが、私はゾンビこそがその塊だと思うのです。

死や遺体を直接目にする機会がほとんど失われている現代において、ゾンビは全身に死をまとって私たちの目の前に現れます。これは、生と死の両方が必要であるにもかかわらず、社会において隠されてしまう死という存在を、全部回帰させて取り戻す営みとして捉えることができるのではないかと考えています。

『ウォーキング・デッド』が描く民主主義の勝利

もうひとつは若い人たちも含め、なぜゾンビ映画に惹かれるのかという観点です。

ゾンビ映画の設定では、目が覚めたら世の中が変わっていたというスタートが本当に多い。それは今、自分が生きている民主主義や資本主義の世界ではない世界です。

一番わかりやすいのがドラマの『ウォーキング・デッド』シリーズ。

ゾンビ世界における人間同士の戦いが描かれますが、面白いのは、主人公たちのグループが話し合いを重ね平等を重んじる民主主義を体現していることです。

一方、登場する敵対集団はこれまでの歴史上に登場した、軍国主義や全体主義を基盤するグループや宗教的共同体などです。それらと対峙したときに、やっぱり民主主義が勝つね、という構図で描かれている。

このようにゾンビ映画やドラマでは、世界史のまき直しや、文明の崩壊と再建が自由に行われ、それが人を惹きつける要因のひとつではないかと研究を行っています。

知っているようで知らないゾンビ研究の奥深さ

−−最後に福田先生にとってのゾンビ研究の面白さを教えてください。

BLOGOS編集部

予想を裏切ってくれる作品が次々と生まれてくることですね。想像もしなかったゾンビがでてくると、自分の哲学的な考えと呼応して考えの幅がどんどん広がります。

小さい話で言うと、例えばおばあちゃんに「ゾンビの研究家です」と伝えると「え!?」と驚かれること(笑)

でも、ゾンビの存在はみんな知っている。知っているけれど、詳しくは知らない。だからこそ、学問として研究して伝える価値があると思っています。

遊んでいると思われがちな研究対象ですが、人間に近いモンスターであるゾンビは人間社会の不安や問題を映し出す鏡のような存在。

一見、そんなことして何になるの? と思うテーマであっても、深く知れば知るほど、哲学や感性についてこれまで深められてきた学術的な知見と近接し、また互いに影響を与えあうことは、研究の醍醐味であり面白さだと思っています。

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