アイドルに規制 中国政府の怖さ – 倉本圭造

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1●最近の中国政府の余裕の無さはちょっと病的である。

中国のアイドルファンクラブの強烈な規制がはじまり、結構国際的にも盛り上がりつつあったアイドル発掘番組が突然禁止になるなど、中国政府の強権的な統制姿勢に注目が集まっています。

7-8月には芸能人が次々と問題を指摘されて「芸能界を追放」されるようなニュースがあいついでいましたし、8月30日には若年層へのゲーム規制が発表されるなど、次々と「規制策」が打ち出される昨今の中国の感じはかなり余裕がなさすぎて少し怖い・・・という思いを持つ人も日本のSNSには多いようです。

この毎日新聞の記事によると、

「道徳の欠落」した芸能人を取り締まり、共産党や国を愛する人物を重視するよう指示。業界への規制や思想統制を強める方針を示している。

そうで、今後は「党から心が離れている」芸能人を起用することは許されない・・・という方針になるのだとか。

また、いわゆる「オカマ」とか「おネエ系」のタレントも排除される方針で、「男はもっと男らしくなるべきだ」と批判しているとか。

2●「箸の上げ下ろし」まで口を出さざるを得ない「余裕のなさ」

変な話ですが、「香港の民主活動家を弾圧」とかなら、その是非はともかく「中国政府ならやるだろう」という感じで納得する人が世界中にいると思うのですが、ゲームやアイドルの「推し活動」までガチガチに規制し、頻繁に見せしめの粛清(芸能界追放)まで行われるというのは、ちょっと「一線を超えている」感じがあります。

なんか規制する対象が「箸の上げ下ろし」的なものすぎて、「何をそんなに恐れているのか」という気持ちになりますね。

強力な一党独裁政権を維持したいがために、香港の民主派を弾圧する・・・のはわからないでもない。しかし、アイドル番組を規制するってどういうこと?

↑こんな感じで、日本のSNSを見ていても、香港の民主派を弾圧しているニュースが流れていた時とは違う「ヤバいものを見てしまった」という印象を述べている人を多く見かけます。

なぜそうなるかといえば、特に”政治的”な発言をするわけでもないアイドルすら突然糾弾されて社会的に抹殺されたりするような世の中では、次に誰がその攻撃対象になってしまうかわかったものじゃないからです。

表向きは「熱狂」を持って政権を支持しているように見える中国人ですが、心のどこかで少し「怖さ」を感じている人もいることでしょう。

3●「狂気の政権による弾圧」というより「良識的人民の願い」のストレートな現れ・・・だからこそ恐ろしい

しかし、加熱するアイドル関係の規制にしろネットゲームの規制にしろ、そして大企業を叩いて「共同富裕」のために巨額の寄付金を出させるなどといった政策は、おそらく「良心的な中国人」にとっては

「当然のことをしてくれた」

という感覚も根強くあるように見受けられることが、この問題を難しくしているように思います。

つまり、「強権的で暴虐な政府が、民衆の思いに反する弾圧を繰り返している」という感じではないと思われるからです。

日本でも、子供のネットゲームを規制しろとか、「男らしくない」カルチャー(たとえばオタク系コンテンツなど)を排除しようとか、アイドルビジネスなんかみっともないからやめさせろとか、大企業を叩いてカネを出させて貧困層に分配しろとか、まさに「この中国の規制」と同じことを言っている人が結構いますよね。

そういう「良識的な人民」の願いを直接そのまま反映して動いている一連の流れだからこそ、ちょっとやそっとでは止まれずに行くところまで行ってしまうのではないかという懸念がある。

●4●「ネオ文革」と言う人もいるが・・・

中国ジャーナリストの福島香織さんがその著書『習近平「文革2.0」の恐怖支配が始まった』において、昨今の習近平政権の強権的政策は、毛沢東時代の「文化大革命」の再来なのだ・・・という指摘をされており、そういう見立てが今日本のSNSでも広がっているのを見かけます。

私はさらにより大きな視点から見ると、昨今の中国の強権化は、「地域からアメリカの影響を排除しはじめると歴史上当然起きる現象」として見ています(過去の文革も、ベトナム戦争の苦戦ゆえのアメリカの覇権イメージの退潮ゆえに生まれた空隙を埋めるように起きたという見方もできると思います)

つまり、「反米勢力は反米できているうちが花」なんですね。

「アメリカ」の影響を排除しはじめると、そこまで「反米」という一点において結束していた勢力同士の主導権争いが高まり、「内」に強権的支配、そして「外」に恫喝的外交・・・をやめられなくなる例が、20世紀の東西冷戦においてよく見られた光景でした。

これ↓は以前ウェブ記事で使った図ですが・・・

この図の「元ネタ」は日本のネットで流行っていた「薬物依存症」に関する図なんですが、まさにこの「依存症」のたとえ話がドンピシャで当てはまるように、「アメリカの影響を拒否する」ということは、その地域における主導権争いが激化し、

「内にも外にも強権的対応をし続けないわけにはいかない依存症」

のような状態になるんですね。

5●米軍のアフガン撤退は、むしろ「反米勢力の終わりのはじまり」であり、そこに「日本にとっての繁栄のボーナスタイム」の可能性も眠っている。

米軍のアフガン撤退を、ベトナム戦争末期の「サイゴン陥落」を連想した上で、「アメリカの時代の終わり」を意味しているのだ・・・という印象は世界中に広がっており、中国政府もかなり意識的にそういうイメージを広げようとしています。

しかし、1975年の「サイゴン陥落」は「アメリカの時代の終わり」を意味したでしょうか?

むしろ、その後の日本は世界一の繁栄へと駆け上がっていく時間になりましたし、そして西側勢力全体で見れば、10年もすれば「アメリカ側と共産主義側」との「差」は埋めるべくもない大きさになり、最終的な「西側」の勝利が決定づけられる寸前までいきました。

つまり、直感に反するようですが、「サイゴン陥落」は「アメリカの終わりの始まり」ではなく「反米勢力の終わりのはじまり」だったわけです。

そしてなぜそうなるのか?の理由が、「アメリカの勢力を拒否すればその地域で不可避的に始まる果てしない内輪揉めによって、ここまで書いてきたような”止められない強権性の暴走”が起きるからなのだ」と私は考えています。

最近私は、連続したウェブ記事によって、

A・アメリカのアフガン撤退はアメリカの時代の終わりを意味しない。

B・むしろアメリカと同盟国の連携の必要性が高まることで日本にとって非常に有利な情勢に繋がる

C・「昭和の末期」の日本が世界一の繁栄を手に入れたようなボーナスタイムを今回の日本も引き寄せる事ができる可能性がある

D・そのためには、「平成時代」に染み付いたグダグダな空論を脱する主体的でリアルな議論が必要なのだ

・・・といった趣旨で、

○現在の国際秩序の混乱を日本にとっての繁栄のボーナスタイムにする方法

そして。

○日本のオリジナリティが、分断されていく世界を繋ぐ希望になる理由

についてまとまった文章を発表しています。

少し分量がありますが、週末のお時間ある時にでもお読みいただき、SNSなどで議論のネタにしていただければと思います。

まずは、

1 米軍撤退がむしろ「反米勢力の終わりのはじまり」である理由について述べたこの記事

そして、

2 米軍撤退が「四方八方を糾弾しまくる型の政治的正しさ(ポリコレ)運動の穏健化」につながり、”欧米的理想を現地社会の伝統と地続きに溶け合わせる”事が必要な時代になり、そこで日本が果たす役割が大きいということを示した記事

最後に、

3 今後やってくる日本にとっての「繁栄のボーナスタイム」を掴み取るためには、アメリカの影に隠れてじっとしているだけで良かった平成時代と違い、今後の令和の日本にはどういう「主体的な議論形成」が必要なのか・・・について深堀りしたこの記事

などをどうぞ。