亡命にベラルーシ国内では酷評 – WEDGE Infinity

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ベラルーシにとって東京五輪はスポーツの祭典ではなく、自国の非民主主義的な政治情勢を世界に示す大会になったようだ。陸上競技に出場していた同国女子代表選手のクリスツィナ・ツィマノウスカヤさんが起用法をめぐりコーチ陣と対立し、ポーランドへの亡命を果たした問題は、「欧州最後の独裁者」と言われるルカシェンコ大統領が主導する反体制派への弾圧の実態を浮き彫りにした。ツィマノウスカヤさんは昨夏の大統領選への不正を訴え、国中で抗議デモが湧き上がった際に支持を表明。国内では大統領側近から「裏切者」と糾弾する動きが出ており、身の危険を感じた将来有望な24歳が国を捨てることになった。

東京を去る直前、ツィマノウスカヤさん自身が独大衆紙ビルトの取材に対して「このような政治的スキャンダルにまで発展することを想定していなかった」と語ったように、もし彼女が起用法をめぐって、コーチ陣への非難をインスタグラムでメッセージを流していなければ、これほどまでの展開にはなっていなかっただろう。

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ルカシェンコは成績不振に不満

昨今、SNS上でのインフルエンサーの発言は軋轢を大きくする。世界中が注目する五輪という晴れの舞台でコーチ陣と選手のゴタゴタは内部のミーティングで十分に話し合って和解すればいいはずだ。決して彼女の行動を諫めるわけではないが、公衆の面前のようなSNS上で、外部に一方的に不満を訴えるのは、国を代表するアスリートの解決手段として好ましいとは言えないだろう。コーチ陣も選手へのリスペクトがなく、手法が強引すぎた。

しかし、ツィマノウスカヤさんには自らの競技環境を国際社会に訴えるだけの事情があった。ベラルーシ国内でのルカシェンコ支持派の糾弾が高まる中で、コーチ陣が無理矢理、彼女を帰国させようとする強硬手段に打って出なければ、ここまで国際問題化することはなかったことは確かだからだ。

ルカシェンコ大統領は長男をベラルーシ・オリンピック委員会のトップに就かせているように、スポーツを国威発揚の手段に用いている。それだけに、五輪前半戦でベラルーシ選手団の成績不振ぶりには「他のどの国よりもスポーツに出資しているのにこの結果は何だ?」と不満を示していた。硬直した政治体制の中で、政府のスポーツ役人たちがその発言に忖度し、ツィマノウスカヤさんをスケープゴートにしようと、強制帰還を東京のコーチ陣に命令したことが推察できる。

東京大会のベラルーシ事案は、メダル争いの枠外の話になるが、2021年のスポーツと政治情勢を反映する現代史に刻まれるに違いない。問題を深掘りするため、ここで少し今回の騒動の事実関係を振り返りたい。

ツィマノウスカヤさんは短距離の選手だった。東京大会への出場権を勝ち得た彼女は100メートルと200メートルに出場予定で、7月30日の最初の種目100メートルは記録が出せず予選敗退。8月2日の200メートル予選への準備を進めていたが、ここでコーチ陣から5日に予選が予定されていた、これまで練習したことのない4×400メートルリレーへの強制的な参加を指示される。

ツィマノウスカヤさんは30日の夜、自身のインスタグラムに「上に立つ人たちは、私たちアスリートに敬意を払い、時には私たちの意見を聞く必要もあると思う」と書き込み、強制的なリレー参加への不満をあらわにした。

「精神的状態」を理由に欠場を発表

翌日、状況は急転直下する。米CNNなどによると、ツィマノウスカヤさんにはこの投稿を削除するよう、チーム関係者から「脅し」をかけられ、さらに「この問題はもはや(陸上競技)連盟のレベルでも、スポーツ省のレベルでもなくなり、もっと高いレベルの問題になった」「(ツィマノウスカヤさんを)オリンピックから排除して帰国させなければならない。なぜならチーム競技の妨げになるからだと告げられた」のだという。

8月1日、ベラルーシ・オリンピック委員会は同行医師による「(彼女の)感情的、精神的状態」の診断を理由に、200メートルと4×400メートルリレーの欠場を発表。ここでツィマノウスカヤさんの東京五輪への出場は断たれた。「私には、健康問題もトラウマも精神的な問題もない。走る準備ができていた」と反論する意向を無視し、彼女に帰国するよう指示した。

1日夜、ツィマノウスカヤさんは再び、SNSでメッセージを流す。「私は圧力をかけられた。彼らは同意なく、強制的に私をこの国から出国させようとしている。国際オリンピック委員会(IOC)に介入を求める」と訴え、経由帰国便への搭乗を余儀なくされた羽田空港で警察官に保護を求め、政治亡命を申請。スポーツ選手難民を支援しているIOCや、ベラルーシの人権問題に制裁措置を科している欧州連合(EU)諸国がすぐに動き、ツィマノウスカヤさんはルカシェンコ政権から逃れた人たちが多く、国家の支援体制が整っているポーランドへの亡命を決めた。

ツィマノウスカヤさんは昨夏、ルカシェンコ政権が徹底的に抗議デモを弾圧したことに、他の若い陸上仲間たちとともに反対する意見を表明していた。

インスタグラムでの声明には「私たちは国家の側につけない。私たちは市民や仲間、同僚や友人たちに向けられた弾圧をこれ以上、容認することはできない」「私たちは表現の自由を求める。ベラルーシのどの市民にも自分の意見を表明する権利はあると考える。私たちは弾圧のない世界を求める」とメッセージが記された。

しかし、東京での動きに順応し、ベラルーシから隣国ウクライナへ逃れた夫のアルセーニーさんが「私たちはこれまで反体制派といかなる関係ももったことはない。ただ単に私たちはアスリートであり、スポーツに打ち込んでいただけだ」と語っていたように、ツィマノウスカヤさんは政治運動に積極的に関わっていたわけではなかった。

ツィマノウスカヤさんはワルシャワに行く前に東京の報道陣に対して「私はこれまでに一度限りとも政治に介入したこともないし、政治について何かを語ったりしたこともない。選手たちに何の相談もなく、リレーへの構成メンバーを決めたコーチ陣のハラスメントをあきらかにしただけだ」と語っている。