舞台裏にはさまざまな仕掛けと情報統制。『ダークナイト』ARゲーム制作者に聞く

虚構が現実を上書きしていく体験を作り出す。

今年夏、「箱に入った脱出ゲーム」と称する『The Arkham Asylum Files: Panic in Gotham City』が発売になりました。

かつて映画『ダークナイト』のプロモーションの一環で企画され、伝説的な熱狂を生んだ代替現実ゲーム(Alternate Reality Game:ARG)の流れを汲んでいるようです。

代替現実ゲームとは、「フィクションが現実のようにリアルタイムで展開していく」とか「フィジカルとバーチャルのメディア横断」とかいろんなことが言われますが、とりあえず実物を見ていただくのが手っ取り早いかもしれません。米Gizmodoの兄弟サイト、io9がそのクリエイティブを手がけた人物たちにインタビューしています。


イマーシブなコンテンツ制作会社のAnimal Repair Shopのコンシューマーブランド「Infinite Rabbit Holes」が、フィジカルとバーチャルな世界の交錯する次世代ゲームを作りました。AR(拡張現実)とボードゲームを融合した、『The Arkham Asylum Files: Panic in Gotham City』です。

Animal Repair Shopのチームは、2007年の映画『ダークナイト』のプロモーション企画を手がけた人々でもあります。

悪役ジョーカーのセリフから「Why So Serious?」と題したその企画は、プロモーションの枠をはるかに超え、世界を巻き込むARGとなっていたのです。当時はネットや映画ブログがナード文化と手をつなぎ始めた、ちょうどそんな時代でした。

75カ国から1100万人を動員

Animal Repair Shopのバイスプレジデント、マイケル・ボリス氏によれば、Why So Serious?の規模は「参加者1100万人、75カ国」にまで広がりました。小道具として使われた1ドル札を手に、ボリス氏は言います。

「最初はこの1ドル札を、1万1000枚作りました。コミコン会場でお釣りとして使ったんです。『ONE DOLLAR』の文字部分には『WHY SO SERIOUS?』と書かれてました」

コミコンでその1ドル札を受け取った人たちが「Whysoserious.com」にアクセスすると、「指定の場所と時間に、ジョーカーの仲間に加わるよう誘われる」という仕掛けでした。

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Image: 42 Entertainment

ノーラン兄弟からの依頼

Why So Seriousのプロジェクトを率いたのは、現在Animal Repair ShopとInfinite Rabbit Holesでチーフクリエイティブオフィサーを務めるアレックス・リュー氏。当時は42 Entertainmentに所属し、そのチームには、ボリス氏やAnimal Repair Shopの創業者兼CEOのスーザン・ボンド氏らもいました。

リュー氏はプロジェクトの発端をこう振り返ります。

「コミコンの6週間ほど前、私たちは(ダークナイトの監督・脚本を手掛けた)ノーラン兄弟と会いました。

彼らの希望は『作品の映像は見せたくないし、俳優に話をさせる気もない。それでもコミコン最大の話題にしてほしい』でした」

最近はコミコン近辺に『ウォーキング・デッド』のゾンビの群れが現れたり、『ゲーム・オブ・スローンズ』の「ウェスタロス・ツアー」が組まれたりといったイベントがよくあります。

でも、リュー氏によれば、Why So Serious?はそれ以前の時代でした。

「あのころはただ1日中コミコンに参加し、その近くで飲む。それだけでしたよね?

Why So Serious?と、次に僕らがやった『トロン:レガシー』の企画で、すべてが変わったんです」

「最初はキャンペーン全体の設計を検討しました」とリュー氏。

「ノーラン監督は、ファンから作品へのアクセスをコントロールし、ヒース・レジャー扮するジョーカーのリーク写真を中心にゲームの情報を集めるというアイデアを買ってくれました。

たしかそのころ、画像はそこまでリークしていなかったんですが、彼らは『最初に出すジョーカーの画像は、これじゃいやだ』と言ってたんです」

コミックに忍ばせたジョーカー

ノーラン兄弟はリュー氏らに、ジョーカー初の公式画像を渡しました。

「あれはヒース・レジャーの、かなり暗い画像でした。メイクアップした顔以外は全部黒で。ノーラン兄弟は『まずこの画像を広めてほしい』と言ったんです」

『ダークナイト』関連のビジュアルとしては、すでにアーロン・エッカート扮するハービー・デントの市長選挙ポスターがオンラインに流れつつあったため、彼らは急いでキャンペーンを立ち上げる必要がありました。

「時間は1週間あるかないかでした」とリュー氏。

「あちこちで買える限りのトランプを買い、ジョーカーを全部抜き出して、そこに『I believe in Harvey Dent』と書きました。

全米の大手コミックストア1ダースほどにチームを送り込み、新品のバットマンコミックに、店には内緒でジョーカーのカードを貼り付けました

ロサンゼルスのMeltdown Comicsなんかには朝4時にチョークを持って行って、道に「Ha-Ha-Ha!」の文字と体の輪郭を描いて、その上にもたくさんトランプを貼り付けました。店を開けたら「何だこりゃ?」となったわけです」

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Image: Sabina Graves – Gizmodo US

ジョーカーからメールが届く

ボリス氏も言います。

「カードにはURLもなく、ただ『I believe in Harvey Dent too』とあるだけでした。

でも、その後に『.com』を付ければ、Web上に(Ibelieveinharveydent.comと)同じハービー・デントのポスターが出てくるんですが、その顔にはジョーカーのようなメイクアップがされています。ページの下には『あなたの票を大切に』とあります」

このWebサイトからはジョーカー宛にメールを送る流れになっていました。

メールを送るとジョーカーから『すべての票が大事だ。ここにXY座標がある』と返信があります。それをプラグインすると、(訳注:デントの選挙ポスターから)画素が1つ消えるのです。

ポスターの画素を消すと、徐々にジョーカーの顔が現れるという仕掛けでした。ジョーカーをすべて表示させるには9万7000人必要でしたが、それは12時間で達成できてしまいました。

「Batman on Film」のようなファンコミュニティがあったので、ファンは常に情報を受け取っていました。リュー氏は言います。

「こういうコミュニティでは、『クリストファー・ノーランには絶対にビジョンがある』とか、『我々(ファン)向けにこれをやったんだ』といった会話が見られました。

我々はノーラン氏の映画制作チームと非常に緊密に協力していました。脚本も読んだし、ノーラン兄弟と直接課題や希望を話し合い、可能なときはワーナー・ブラザーズとも連携しました」

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Image: 42 Entertainment

コミコンにピエロが大発生

その後2007年のサンディエゴ・コミコンでは、さらに大がかりな仕掛けができていました。

「ファンには会場に集まってもらいつつ、オンラインで待機する友人も確保するように伝えました。

携帯電話で見られないWebサイトを用意してあり、友人がそこにアクセスして謎を解くことで現地参加者が行くべき場所を入手。その場所に行くとまたヒントがあり、URLを手に入れる…そんなやり取りをしたんです」

コミコン会場にはピエロが大量発生しました。

「オンラインでは数十万人が参加し、現場にはジョーカーのメイクアップをした人が数百人いました。少年少女、年取った男性もいました。

マイケル(ボリス氏)が皆にメイクアップ道具を手渡し、ジョーカーの化粧を手伝いました。我々が彼らの写真を撮り、Rent-A-Clownというサイトにアップロードしました。最終的には304人のジョーカーが溢れました

でも、それは始まりに過ぎませんでした。オンライン参加者が謎を解くと「上を見て」と表示され、それを現地参加者に伝えると、空に飛行機雲で電話番号が描かれていました。参加者はそこに電話をかけ、さまざまな宝探しゲームへとつながっていったのです。

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Image: 42 Entertainment

Why So Serious?の先へ

「つまり、こういう演出が好きなんです。我々が作るのはみんな、ラビットホール(異世界への入り口)なんです」

ここで「みんな」とは、新たなバットマン関連プロジェクト『The Arkham Asylum Files: Panic in Gotham City』も指しています。『The Arkham Asylum Files: Panic in Gotham City』は箱に入った脱出ゲームという触れ込みで、また「Why So Serious」のDNAを引き継いでいます。

Animal Repair Shopは強力なストーリーを持つゲームを作ったことで、ニッチなファンコミュニティに影響を与えただけでなく、一般大衆にもARGへの扉を開きました。ボリス氏は2010年サンディエゴ・コミコンでの『トロン:レガシー』のキャンペーンを振り返り、次のように語ります。

ケビン・フリンのアーケードには無料のゲームがそろい、そこで選ばれたマシンはすべて我々が作ったゲームでした。

『Space Paranoids』は、ケビン・フリンが作ったゲームで、作品世界では史上最高作ということになっています。5レベルごとに現れるバーコードで上からの声をアンロックでき、その声はフリンのものというマシンゲームを作りました」

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Image: 42 Entertainment

この体験は、Disney(ディズニー)とのコラボで作られました。

「最初の場所で15分経つと、照明が消えて点滅し、Journeyの音楽が停止。『トロン』マシンの裏からグリッドにあるEnd of Line Clubへ通されます。

ゲームにはオンライン部分もあり、ライブイベントもあちこちで開かれ、デッド・ドロップ(スパイの受け渡し場所)で何か見つけて、それをピンと交換するといったことができました」

SNSとARGの相性は複雑

リュー氏いわく、ソーシャルメディアはARG世界の拡大に最適かというと、必ずしもそうではないようです。

「ソーシャルメディアで可能性が広がる一方、物事が複雑にもなります。ソーシャルは共有機能が役立つし、より広い空間でより幅広い会話が起こるのにも役立ちます。

それを最初に体験したのは『トロン』のときでした。FacebookやTwitterを使っている人が増えてましたから。ソーシャルでは宝探しの「宝」を知らせたり、リアルタイムなアップデートやヒントを出したりできました。

Batman on Filmと同じようなトロン関係の掲示板やフォーラムも同様で、参加者が広がるという意味ではとても良かったです。

と同時に、ハードコアなコミュニティも出現して、会話が別々の場で起こり、コミュニティ横断での情報共有が必要になりました。

でも、我々にとって、ユーザーは少数のコアファンだけじゃありません。たしかにこういう人たちは大事ですが、人数も増やす必要があります。ソーシャルメディアは数字を増やすのに役立ちました」

ただ彼は、SNSの難しさも指摘します。

「近ごろは(中略)特定の人に向けたコンテンツのマーケティングとかアルゴリズムが洗練されすぎて、前のようにオーガニックに広げるのが難しいんです。

例えばTikTokなどで何百万ビューになることもありえるんですが、そうするとその後のエンゲージメントはずっと低くなるはずです。

だから今はサイロ状態になっていて、ARGでもどこで会話が起きているのか見えにくくなってるんです」

たしかに最近、例えばDisneyの『スター・ウォーズ』をテーマにしたアトラクション、Galactic Starcruiserが閉鎖に至ったのにはそんな背景があります。

『スター・ウォーズ』というブランドを背負い、それに伴って高い値札が付いてきたことで、普通の人にはアクセスできない特別な存在であるような、間違ったイメージを持たれてしまったかもしれないのです。

「そこが今の課題です」とリュー氏。

「ARGとかイマーシブでクールなストーリーの実現自体は難しくありません。でも、規模は問題です。

『ダークナイト』の脚本が380ページなのに対し、ARGの脚本は1,800ページもあります。ARGは映画なしには存在しえませんでしたし、映画は素晴らしいタイムレスなスーパーヒーロー映画です。

だから我々が知られているような規模で何かするには、文字通り何百万ドルもかかるんです」

規模と熱量をいかに両立するか?

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Image: 42 Entertainment

最近のARGやイマーシブエンターテインメント関係者の中では、状況はもっと複雑です。最新カルチャー作品のマーケティング費用が注ぎ込まれたコミコンでの大規模な無料イベントもあればまあまあ高めの有料イベントもあり、たとえばインタラクティブホラーDelusionは、45分で100ドル(約1万5000円)前後になります。

Animal Repair Shopの現状は、イマーシブ界隈全体の状況を反映している、とリュー氏は言います。

多額のコストを説明するには、たくさんの人にプレイしてもらう必要があります

我々が物理的なプロダクトやゲームを手がけるのも、そのためでもあります。今の世界であの規模でイベントを実行して、同じインパクトを出すのはすごく難しくなっています」

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