学校には国語の授業がある。でも日本人であれば、ある程度の日本語は理解できるはず。それなのに、なぜ授業で国語を学ぶのか。国語は人間として成長することと深く関わる科目だ。物事を今まで以上に広い視野から見つめ直し、その意味をもっと掘り下げ、より適切な判断を加えていく。そういう人間的な成長を言葉によって果たすことができる。そして、成長のためには新しい世界へ勇気を出して飛び込んでいく。そういう意味で、国語を学ぶことは冒険に出ることとも言える。
国語の授業で小説を学ぶことの意味は?
『国語をめぐる冒険』(渡部泰明、平野多恵、出口智之、田中洋美、仲島ひとみ著、岩波書店刊)では、学ぶ意味や楽しさだけでなく、国語を使ってどう生きるかを「冒険」をモチーフに紹介する。
たとえば国語の授業で、なぜ小説を学ぶのか。小説は書かれていないことに着目して考えていく「裏の物語」を読むという楽しさもある。登場人物も気づいていなかったり、意図的に隠そうとしていたりして、表現自体がほとんど存在しない。そういう頭を使って推理しないと見つけられないのが裏の物語。言葉の端々から隠された物語を見つけ出す面白さと知的興奮が、小説を読み、学ことの大切な意味となる。
小説の裏の物語を見つけるには、人間や社会への理解に加え、登場人物一人ひとりがどういう人間なのか、そういう人はこんな状況ではどう行動するか、といった人物像の的確な把握が必須。人間をよく理解していないと、小説の読解は難しい。人間理解のトレーニングになることこそ、小説の学習の大きな意義の一つとなる。
また、題材となる小説を多角的にとらえ、固定概念に縛られずに見つめ直そうとする際には、ほかの人との対話が大きなエネルギーとなる。自分とは違う多くの視点を知り、学ぶ。他者性を自分の中に取り込み、消化していくことで、新しいアイデアを創り出す豊かな発想力は育まれる。
国語で小説を学ぶ意味は、他者との出会いでもある。他者が見えると、自分自身のことも見えてくる。小説を読み、学ぶとは、他者と自分にぶつかって探りながら進む冒険の旅でもあるのだ。
国語や小説を通して、他者を知り、自分自身を知る。そのためには、言葉で自分を表現したり、相手に考えていることを伝えなければいけない。本書を読むと、国語を学ぶとは人間として成長することと深く関わっていることがわかるはずだ。(T・N/新刊JP編集部)
※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。