私たちは心の底から痩せたいと思っているのにランニングをしない。なぜなら言い訳の余地があるからだ。
仕事で疲れている。駅まで歩いたからノーカン。 引き戸にロウを塗らなきゃ。血まなこになって走らなくて済む理由をこしらえる。
もういっそ、仕事が終わったら間髪を入れずに仕事着のまま走ってしまうのはどうだろうか。
「お疲れ様です!お先に失礼します!」を合図にして駆け出せば言い訳が介入する暇はないのだ。
走って痩せたいけどタイミングがない
最近、太った・大きくなった・顔が変わったなどと言われるようになった。赤ちゃんが相手なら褒め言葉になるかもしれないが、あいにく私は赤ちゃんではない。
これを機にランニングでもして痩せようと思ったのだが、運動の習慣がないので走るタイミングが分からないのだ。
職場から帰宅して18時頃に夕食を食べる。食べてすぐに走るとお腹が痛くなるのでダラダラする。大抵の場合はそのまま居眠りしてしまう(赤ちゃんみたい)。
なんとか目を覚まして走れたとしても、汗を洗い流して一息ついた頃には22時を回っている。このスケジュールだと自由な時間がほとんどなくてつらい。
朝に走る人もいるらしいが、私は限界まで寝たいから無理だ。夕食は18時に食べたいし、食後の居眠りをやめるくらいなら太ったままでいい。ただ走るだけでもいろいろ制約がある。
仕事着ランニングの圧倒的な早さ
帰宅ランという文化が世の中にはあるらしい。仕事が終わったら職場の更衣室などでランニングウェアに着替えて、数駅分あるいは家まで走ることを指す。
しかしそれでは仕事をしているとき「速度」が生かされないのである。
いかなる仕事も、生きる糧を得るという点では原始時代の狩りと同じである。パソコン事務であれ接客であれ全部狩りだ。
そして狩りには速度が必要である。
長く続いた狩猟時代は「生きる糧を得ること=狩り=速く動く必要がある」という公式をヒトのDNAに植え付けている。
つまり現代人が仕事をしているときにも脳はそれを狩りと認識し、いつもより素早く体を動かせる状態にしているのだ。
その速さをランニングに生かさずしてどうするのか!
実践、仕事着ランニング
仕事着を脱ぐと気持ちが落ち着いて加速が失われてしまうので、定時になったら間髪をいれずにそのまま走り出すのが仕事着ランニングである。
「お疲れ様です!お先に失礼します!」という挨拶を号砲の代わりにして走り出そう。スーツの人はスーツで走ってください。
私は車通勤なので、職場の周辺を一通り走ってから車で帰るという想定でやってみる。はじめは神社の鎮守の森を駆け回ろうじゃないか。
そういえば神職の養成学校に通っていたころ、厳しいことで知られる先生はこう言っていた。
「神主装束を身につけているときは走ってはいけません!なぜなら……火事が起きてると思われるからです!」
分かるようで分からない話だ。確かに走っている写真を見るとただ事ではない気がするが、実際にはお腹と顔に脂肪がつきはじめただけである。