メモ
ソビエト連邦の書記長、のちに唯一の大統領を務め、冷戦終結に尽力した一方、ソ連解体を加速させてロシアの世界的な影響力を低下させたとも批判の声もあるミハイル・ゴルバチョフ氏が、入院していたモスクワの病院で亡くなりました。91歳でした。
Mikhail Gorbachev has died at age 91 – Russia – TASS
https://tass.com/russia/1500181
旧ソビエト最後の指導者 ゴルバチョフ氏死去 | NHK | ロシア
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220831/k10013795831000.html
ゴルバチョフ氏は1931年3月2日生まれ、ロシア南部スタヴロポリ地方の貧しい農家の出身。1955年にモスクワ大学法学部を卒業して博士号を取得。1967年にはスタヴロポリ農業大学を卒業しています。
共産党に入党したのは1952年のことで、1970年にスタヴロポリ地方委員会第1書記に就任し、スタヴロポリ大運河建設を指揮。1971年に中央委員会の委員となり、1978年に中央委員会書記、1979年に党政治局委員に就任しました。
1985年、前任のコンスタンティン・チェルネンコ氏の死去に伴い、中央委員会書記長に就任。ソビエト連邦の事実上の最高指導者となりました。
ゴルバチョフ氏は政治・経済改革政策「ペレストロイカ」と、1986年に発生したチェルノブイリ原発事故をきっかけにした情報公開政策「グラスノスチ」を推進。さらに、人民代議員会を設立して民主化を推し進めました。1990年に行われた選挙に勝利して、ソビエト連邦初の大統領となりました。
外交では、アフガン戦争から撤退し、アメリカのロナルド・レーガン大統領との首脳会談で核兵器の制限や冷戦終結を実現。ノーベル平和賞を受賞しています。
しかし、国内では強硬派の反発を招き、1991年8月にクーデターが発生。このクーデターは失敗したもののゴルバチョフ政権の影響力が失われたことで、バルト3国が独立。さらに、ロシア共和国のボリス・エリツィン大統領らがソビエト連邦を離脱する動きを取ったため、ソビエト連邦は崩壊しました。
以後はゴルバチョフ基金を設立して環境問題などに取り組んできました。2022年のロシアによるウクライナ侵攻に対しては、戦闘行為をやめてただちに和平交渉の開始が必要だという意見を表明していました。
ロシアなど旧ソ連国家ではゴルバチョフ氏は「国を弱体化させた」「経済崩壊を招いた」とあまり評価されていないとのことですが、西側諸国では冷戦終結の立役者として評価されていて、1991年にはゴルバチョフ氏の愛称・ゴルビーを冠した「ゴルビーのパイプライン大作戦」というゲームが発売されています。タイトル画面にはゴルバチョフ氏の姿もあります。
Gorby no Pipeline Daisakusen (1991) – MobyGames
https://www.mobygames.com/game/gorby-no-pipeline-daisakusen
なお、近年の配信版ではゴルバチョフ氏の姿と「ゴルビーの」という冠は省かれています。
パイプライン大作戦 for FC – YouTube
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「パイプライン大作戦」のゴルビーは本編に登場しませんが、ゲームギアのアクションパズルゲーム「がんばれゴルビー」だとストレートにゴルビーが主人公となっています。
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