青木理氏が言う「統一教会捜査中止」は時系列でみて安倍と関係なし

アゴラ 言論プラットフォーム

NHKより

青木理氏が90年代に統一教会に捜査が入るはずだったのが中止されたといってるが、安倍晋太郎が死に晋三が当選したばかりの頃。甘かったのは小沢一郎ら旧竹下派だ。さらに、近年についても、民主党政権のときに、統一教会対策が強化されたとか聞いたことないが、それについて立憲民主党はどう弁解するのか。

「サンモニ」青木理氏 旧統一教会の捜査停止「90年代に『政治の意図』と聞いた」(デイリースポーツ) – Yahoo!ニュース
 ジャーナリストの青木理氏が7日、TBS系「サンデーモーニング」に出演し、旧統一教会(世界平和統一家庭連合)への捜査が停滞したことについて「『政治の意図』と聞いた」と明言した。
 旧統一教会と政治

青木氏は旧統一教会について「1970年代、80年代から霊感商法とか合同結婚式とか数々の社会的問題を起こしてきた、かなり反社会性の高い教団」「宗教法人格の適性も含めて」「被害はその時点である程度抑えられたんですね。ところがそれをしなかった」「90年代なんですけど、警察が統一教会のことを調べ始めたんですよ。ある時期にピタッと止まって、その理由を尋ねたら『政治の意図だ』っていうような話が。ぼくも聞いたことがあるんですね」「政治の意図があった」とした。

仮にこの青木理氏の言う通りなら、対策の不備に、安倍父子はほとんど関係ないことになる。

田中角栄が政権に就いたのは1972年であり、退陣したのは1974年だ。逮捕されたのは1976年。そのあとは、角栄は1985年に闇将軍として君臨するが、とくに1978年の大平政権以降は「角影政権」といわれたほどだ。

さらに1985年以降は、竹下登が実質的に田中派を引き継いだが、とくに1989年の海部内閣成立以降は、小沢一郎が第一の実力者であった。この間、清和会が権力に着いたのは、1976~78年の福田赳夫内閣の時期だけであって、ほぼ一貫して反主流派だった。

90年代では安倍晋太郎が1990年に死去し、安倍晋三は1993年に代議士になったものの、官房副長官になってようやく力を発揮し始めたのは2000年。父子ともに影響を及ぼす事など出来ない時期で、安倍父子となんの関係もないことをこの青木理氏が白状している訳である。それでいて、安倍晋三が捜査や対策の邪魔をしたような印象操作に励んでるのは品性下劣に過ぎる。

1990年〜93年は宮沢内閣で小沢一郎院政期、93年〜94年は細川・羽田内閣で小沢闇将軍、94年〜95年は村山社会党内閣で野中国家公安委員長、96年〜2000年は橋下・小渕内閣で竹下派全盛であり、大体の時期にあって現在の立憲民主党政治家のかなりの部分が連立内閣に入っていたのである(細川内閣、羽田内閣はもちろん、自社さの時代の社会党や新党さきがけは立憲民主党の主流だし、自自連立もあった。現在の自公だけが与党になったのは2000年4月以降だ。そして、2009年~12年は民主党政権で、統一教会対策を自民党、とくに清和会がサボって、現在の立憲民主党関係者、旧竹下派、宏池会などは積極的だった事実はない)。

こうした経緯をみていって、統一教会を甘やかしたとしたら、それが安倍晋太郎とか安倍晋三とかの工作の結果だとみるのは相当に無理がある推測で、小沢一郎ないしその周辺こそ疑われてしかるべきだ。

さらに近年についても、民主党政権のときに、統一教会対策は改善されたのか?そんな話は聞いたことない。

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