私は傘をよく忘れる。どこかに置き忘れた結果、生涯で20本はなくしただろう。
もう、こんな悲しみは味わいたくない。
傘を忘れない人間になるために、訓練として1ヶ月毎日傘を持ち歩くことにした。
そうしたら、思わぬ気づきがあった。
1ヶ月どんな天気でも必ず傘を持ち歩く
傘を忘れない人間になるために、1ヶ月(30日間)以下のルールを設定した。
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どんな天気でも屋外にいるときは必ず傘を持ち歩く。
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傘を持たずに屋外を移動していることに気づいたら、必ず傘を取りに戻る。
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傘の「紛失」や「忘れかけ」た回数をカウント、合わせて状況をメモする。
場所Aを出る前に傘を持ってないことに気づき取りに戻ったら「忘れかけ」、傘を持たずに場所Aから場所Bに移動してしまったら「紛失」と定義した。
つまり、家からコンビニに行くとき、傘を持たずに出かけたら「忘れかけ」。コンビニについてしまったら「紛失」としてカウントするというルールになっている。
我ながらややこしい。
「忘れかけ」と「紛失」の状況を分かりやすく分けようとしたところこんなことなってしまった。恐縮ですが、そういうものだと、今回ばかりは一旦飲み込んで欲しい。
訓練の成果が出続けた1ヶ月
まず分かったのは、どれほどのペースで傘を忘れるかだ。
1ヶ月(30日間)で傘を忘れなかった日は19日、「紛失」は0日、「忘れかけ」は11日であった。
割合は以下の通りである。
「忘れかけた」の11回のうち10回のシチュエーションは「自宅から出かけるとき」という場面であった。
公道へ足を踏み入れ、自分の目に空模様が映った瞬間に「おいおい傘はどうしたんだい?」ともう一人の自分がツッコミを入れて慌てて取りに戻るという流れが頻発した。
普通であれば「雨が降ってる!傘忘れてた!」という思考を経るのだろうが、「太陽がまぶしいな……傘忘れてた!」というあべこべな思考が当たり前のように起きるようになってしまったのだ。
これは訓練のために課したルールによるもので、実際に「傘を忘れる」のとはちょっと意味合いが違うがどうかご了承いただきたい。
吉野家で傘を忘れなかった!
「忘れかけた」の残る1回こそが、いわゆる日常で使われるまさに「傘を忘れる」という状況だった。
吉野家で外食をした際にテーブルの端っこに引っ掛けたまま会計をした直後。なんだか腕が軽いなと思った瞬間に傘の存在を思い出して紛失をまのがれた。
もはや持っていないことに違和感を覚えるようになっていたのだ。立ち位置が財布や時計と同じところまで来ている。完全に訓練の成果が出た場面であった。
ちなみに最後の10日間は忘れかけた日が20%と私にしては控えめな数字になっている。成長の結果少しづつ忘れないようになっていったらしい。
考え事をすると傘を忘れる
では傘を「忘れかけた」きっかけは何だったのか?
忘れてしまうきっかけは、なんといずれも「考え事」をしていた瞬間だった。
今回の訓練で設定した「自宅から傘を持って出る」というルールが「考え事」をしていると頭からスポッと抜けてしまうのだ。
「考え事」をしながら家から出ようとして傘を忘れ、慌てて取りに戻るという場面が何度も発生していた。
昔から考え事をすると没入してしまう気があるが、ここまで顕著な結果を残すとは誇らしさすら感じてしまう。みなさんからも私をぜひ褒めて欲しい。
例えば、自室からコンビニへ向かおうとする前に「何を買おうかな」程度の考え事をするだけで家の玄関に傘を置きっぱなし、今回のルールでいう「忘れかけた」状態になってしまうのだ。
今後は移動するたびに「よーし!傘を持つぞ!」という行き過ぎな意気込みが必要なのかもしれない。
だんだん傘の持ち方が変わっていく
予想外なのは、傘の持ち方が変化したことだった。
私も伊達に長く生きてはいないのでこれまでの人生でたくさんの傘を持ってきた。それなのに傘の持ち方に変化の余地が残されているとは。
今までの持ち方が長年の蓄積の結果生み出された私にとっての完成された持ち方だと当然思っていたのに、その常識がもろくもこの30日間で覆ってしまったのだ。
傘の持ち方の変化は、今回の訓練で最も私自身を驚かせた現象だと思う。
最初は当たり前のようにグリップを持っていた。今でも客観視するとこれが適切じゃんと思ってしまうが、これよりマイベストな持ち方があった。
17日目には腕を伸ばし手をパーにして支えている。晴れの日でも持ち歩くせいで無意識に傘の持ち方が最適化されていったのだ。
この状態だとどうしても傘は引きずらざるをえない。当然良くない持ち方だが、17日目までくると傘を持つとき肘を曲げることも指を曲げることすら億劫になっていたのだ。
ちなみに3日目に傘を脇で挟んでいる時期があったがすぐやめた。脇が濡れるから仕方ないね。
天気で気持ちが左右されるようになる
天気で気持ちが左右されるのは多くの人に共通する点だ。しかし、この企画を通じて天気で一喜一憂が激しくなったのも発見だった。
ただ、その感情がいやに打算的な感情なのだ。雨が降ると「あー得したな」と感じてしまう。自らに課した傘持ち歩き生活に辟易としていたのだろう。
出かけた日に、快晴から急変して雨が降ってきたときなど心が躍ってしまった。
一方、天気予報晴れな上で終日カンカン照りになろうものなら、この企画を考えた自分へ「何故こんな天気に私は傘を持っているのだ」と恨み節が心の中で響き渡ってしまう。
その恨みがピークだったのは梅雨明け宣言の日である。今年の梅雨の短さをこんな変な理由で憎んだ人はあんまいないんじゃないか。
傘を持たない毎日が不安に
この実験が終わった翌日、30日ぶりに傘を持たずに出かけたところ、そわそわするような不安がずっと心のスミにあった。
そう、傘が毎日の必需品と心が思い込んでしまったのだ。
ただ晴天の日に歩いているだけなのに、あなたは忘れ物をしていませんか?という自問自答が繰り広げられてしまう。
傘を忘れない習慣が付いたと言えばいいのだけれど、当初思っていた習慣とは別のものが身についてしまったようだ。
時間が経つにつれて少しづつこの傘=毎日の必需品という感覚は薄まってきてはいるが、雨が振りそうな日に傘を持つと、この実験の前には無かったしっくり感が沸き上がってくる。