如何にウクライナ戦争終わらせるか

アゴラ 言論プラットフォーム

ロシアのウラジーミル・プーチン大統領がウクライナをさらに破壊し、何千人もの人々を殺すのをどうやって止めることができるだろうか。ロシア軍の攻撃をどうしたら止めることができるか。残念ながら、現時点ではその答えを見いだせないのだ。

キーウ郊外の戦場跡を視察するグテレス事務総長(2022年4月28日、グテレス事務局長の公式ツイッターから)

国連のグテレス事務総長が26日、モスクワを訪問し、プーチン氏と会合して早急な停戦、ロシア軍に包囲されたマリウポリ市から市民を安全に避難させる人道回廊の実施などを話し合ったというが、具体的な合意はなく終わったという。

プーチン大統領が2月24日、ロシア軍にウクライナ侵攻を命じて以来、既に2カ月が過ぎた。国内外避難民の数は同国人口の30%近くに迫っている。犠牲者の数はウクライナ側とロシア側を含めると数万人に及ぶだろう。グテレス事務総長は28日、ロシア軍の攻撃を受けて廃墟化した首都キーウ(キエフ)近郊のボロディアンカとブチャ、イルピンを訪問し、「21世紀にあって戦争は絶対に受け入れられない」と強調したが、その戦争は今なお続いているのだ。

バイデン米大統領は3月25日、ポーランドを訪問し、ワルシャワで演説して、「如何なる独裁者も人々の自由への愛を撲殺させることはできない。如何なる残虐な行為も自由への意思を押しつぶすことはできない。ロシアはウクライナに勝利はできない。自由を求める人々を希望のない暗闇の世界で閉じ込めることはできない」と述べ、「この男(プーチン大統領)は権力の座に留まることはできない」と語った。

人間の自由への美辞麗句が戦時下にあるウクライナ国民の心にどれだけ助けとなったかは知らない。同大統領のこのセリフを聞いたロシア下院のスポークスマン、ヴャチェスラフ・ヴォロディン氏は「ヒステリック」と呼び、バイデン大統領の発言を「米国の無力さの表現」と受け取った。

ウクライナ戦争に駆り立てられているプーチン大統領の大国復興へのファンタジーはこのコラム欄でも数回書いてきた。ここではロシア正教会最高指導者、モスクワ総主教のキリル1世の「この戦争は形而上学的闘争だ」という説明をもう少し考えてみた。

キリル1世は「形而上学的戦い」について、具体的には、退廃文化を享受する欧米社会に対する善側のロシア側の価値観の戦いと説明している。冷戦時代、レーガン米大統領(在職1981年~89年)は当時、共産主義世界を「悪の帝国」、民主主義世界を「善」として善悪闘争論を展開させたが、キリル1世はその善悪の立場を逆転させ、同性愛を奨励し、薬物世界に溺れる退廃文化の欧米世界を悪に、それに対抗するロシアを善の立場に置く新たな善悪闘争を呼びかけているわけだ。

それに対し、訪日中のドイツのショルツ首相は28日、在日ドイツ商工会議所主催の会合で講演し、民主的価値を守り、共通の価値観を共有する国同士の結束の重要さを指摘、独裁政治を続けるプーチン大統領に対して民主主義の優位性を強調している。

民主主義は主権が国民であり、自由な選挙で政府を選出でき、人権を尊重し、言論・宗教の自由は保障されていることを前提としているが、民主主義国でそれらの条件が完全に守られている国は残念ながら多くはない。キリル1世ではないが、人間の過大な自由への欲望を寛容に受けれる西側文化が退廃文化を生み出している面は否定できない。

だから、第2次冷戦は人権の制限、言論・宗教の取り締まりなどを実施する強権政治の世界に対し、自由への謳歌で退廃下にある欧米社会の世界との戦いということができる。第1次冷戦時代の「善悪の戦い」とは明らかに異なる。

第1次冷戦が終焉した直後、ソ連最後の大統領となったゴルバチョフ大統領は、「冷戦時代の勝利側の欧米社会は傲慢に陥って、敗北した元共産圏にその圧力を広げていった」と非難した。あれから30年以上の年月が経過した。ソ連の後継国ロシアに大国の復興を掲げるプーチン大統領が現れ、失った大国の回復に腐心してきた。プーチン氏は欧米社会の弱点、不統一を巧みに利用し、民主主義システムの崩壊を目指してきている。

問題は、欧米社会が民主主義の理念に対して自信を失ってきていることだ。資本主義経済の問題点、自由社会の逸脱現象などに直面し、民主主義国の盟主・米国も腐敗、堕落、貧富の格差、退廃した性文化、薬物汚染といったさまざまな問題に直面しているからだ。一方、ロシアはプーチン大統領の強権政治で表向きは結束、統一しているが、自由を制限された若い世代は夢を求めて国外に脱出する一方、大多数の国民は経済的困窮を甘受しながら生きている。両者とも理想からは程遠いわけだ。

第2次冷戦時代は、もはや華々しい戦いとはいえなくなった。共に血まみれの状態でリンクに挙がっているボクサーの試合のようだからだ。

ない物ねだりかもしれないが、民主主義の理念を発展させ、世界を平和にできる指導者の出現が願われる。同時に、人間が一人一人良くならない限り、世界は第3次、第4次の冷戦を体験せざるを得ないのではないか。それではどうしたら人間は良くなるだろうか、換言すれば、人はどうして良くなれないのか。これは深刻なテーマだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2022年4月30日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。